第111話

 塔の外に飛び出した瞬間、眩しさに目が眩む。

 思わずたたらを踏みつつも、何とか周りを見回す。塔の周りは木々が鬱蒼とした森のようで、遠くに貴族の屋敷らしき建物が見えた。

 どうやら屋敷の敷地内に建つ塔に軟禁されていたらしい。順当に考えれば、ここはガラドリアル家の所有する土地なのだろう。

 敷地内からどう外に出るかと、眉を寄せた。馬鹿正直に正門から出るわけにはいかない。

 エーサンがどうやって侵入したのか尋ねようと振り返った時だった。



「ルーヴァベルト様!」



 馴染みのある声に呼ばれ、そちらを見やった。

 木々の間から、転がる様に少年が飛び出てきた。黒髪のくせ毛に、困ったような下がり眉。



「ハル!」


「ご無事で!」



 庭師の少年は泣きそうな顔のまま駆け寄ってくると、後ろに立つエーサンへちらと視線を向けた。軽く頷き、再度ルーヴァベルトを見る。



「見つかる前に、こちらへ」



 そう促すと、塔の前から木々の影へと誘導する。小走りについて行きつつ、ルーヴァベルトは塔を振り返った。濃い灰色をした石造りの塔は、蔓草が這い、所々苔むしている。朝の空気の中にあっても、どこか重く褪せた匂いがする気がして、そっと顔をそむけた。

 誘導された先に、灰髪の執事殿が控えていた。



「なん…」


「話は後です。これに着替えて下さい」



 抱えた袋の中からルーヴァベルトの寝間着を出すと、ぐいと押しつける。有無を言わさぬジーニアスの眼光に、黙ったまま上着を脱いだ。

 その場で着替えはじめたルーヴァベルトに、ハルがぎょっと眼を見開く。対し、ジーニアスとエーサンは全く意に介す様子もなく、その場に転がした二人に関して言葉を交わし始めた。



「マリーウェザーは完全に気絶していますね。エヴァラント様は、全く動けませんか?」


「すみません、ジーニアスさん。指先が動くかどうか程度で、何もできません」


「承知致しました」



 淡々と状況を把握し、どろりと濃い金色を瞬かせる。思考するように視線を伏せたが、やがて一人頷いた。



「エーサン、と仰いましたか。ご協力感謝します。ですが、ここからはハルと一緒に身を隠して頂けますか」


「わかった」



 詳しい説明もないのに、素直に頷く。そんなざんばら髪の男に、満足げに作り物めいた綺麗な笑みを向けた。



「話が早く、助かります」



 それからルーヴァベルトへ視線を向ける。丁度着替え終った所で、脱いだ服を簡単に折り畳んでいる最中だった。

 それらを受け取り袋に入れつつ、ジーニアスが口を開いた。



「間もなく軍部から派遣された人間が、こちらへ到着します」



 言いながら、土を手に取り、「失礼します」とルーヴァベルトの寝間着の裾を汚し始める。ポンポンと軽く布地を叩くだけで、白い布が薄茶色に薄汚れていった。



「貴女は就寝中、賊によって攫われたのです。兄君も同じく。旦那様によって貴女は救い出された」


「は?」


「誰に尋ねられても、そのように答えて頂けますよう、お願いします」



 一拍置いて、ルーヴァベルトは頷く。

 そういう筋書きで処理するのだと言われれば、従う他ない。王弟殿下の婚約者である令嬢が、わざと捕まって、挙句暴れて自力で逃げた等、表沙汰にできる話ではないとわかっていた。

 押し黙ったままの少女の顔を見上げ、執事は金の双眸をすうと細めた。

 また顔に怪我が増えている。どのような経緯でつけられたものかは知らないが、不快な気分になった。

 ランティスに関わってから、何度、血を流させただろうか。

 きゅっと薄い唇を噛んだ。不甲斐なさに、静かな怒りが腹の底で熱を帯びる。

 まだ、少女。

 彼女は、子供だ。



(そんな、娘に)



 気にするな、と彼女は言う。それにランティスは腹を立てていた。それはジーニアスも同じで。

 自分でない誰かが傷つく方が痛むのは何故なのだろうかと、いつも思う。



(せめて)



 この件が片付いて、彼女が血を流すことがなくなれば、と願う。巻き込んだのは自分たちのくせに、願うことしかできない不甲斐なさにまた腹が立った。

 無表情を装い、隠れ拳を握る。ルーヴァベルト自身が怪我を気にするそぶりがないことが、更に腹立たしかった。

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