第109話

 疲れ果てていた。

 何もかも、に。


 置かれた立場、


 妄信的な一族、


 刷り込まれて身の内から消えない思想と、


 柔く危うい友情。


 全てがユリウス・ガラドリアルを形作るものであり、どれもが縛る鎖であり、何もかも捨て去りたい憎悪の対象だった。


 それでも一つたりとも手放せなかったのは、きっと、その全てを愛していたからだろうと、今は思う。正しくなんて、なくても。


 ガラドリアル家は国内の回帰主義の筆頭であった。フロース五家に名を連ねているため、発言権が強い事も大きい。

 しかし、表だってその思想を口にすることは禁じられていた。数代前の時代に、回帰主義によって国内が荒れたためである。結果回帰主義が敗れたにも拘らず、フロース五家にガラドリアル家が残されたのは、徹底的に排除することによってうまれるであろう回帰主義者の不満を緩和するためだったと教えられた。

 表立っては思想を口にしない…けれどそれは一族内外問わずくっきりと根付き、消えない。結局ガラドリアル家は回帰主義者であり、その思想を捨てることは出来ず、他貴族たちもそれを把握した上で、均衡を保っていたのだ。

 何より、回帰主義者が祭り上げたい「王」がいない。その間は、国が荒れる心配もないと誰もが思っていたのだ。



 ―――第三王子が産まれるまで、は。



 灰青の輝きを目に宿す王子の誕生に、回帰主義者は狂喜し、水面下で緩やかに動き出した。何せ、自分たちの望む王を王座に座らせるためには、上に二人、邪魔な王子がいるのだ。

 何より、ガラドリエル家には、第三王子と同じ年頃の本家嫡男がいる。どうにかして近づけ、側近として召し上げられることにより、王子を支えるのだ…そんな勝手な妄執に取りつかれ、徐々に一族の空気が狂っていった。

 たった一人を除いて。




 ―――ユリウスは、お前らの道具ではない!




 そう怒鳴った叔父の姿は、今でも記憶に鮮やかだ。

 怒りに顔を赤く染め、獣のように歯をむき出しに、眦を吊り上げ当主である兄を睨み付けていた。




 ―――自分の息子を使って、国を荒らす気か!




 妄信的な回帰主義に凝り固まった一族の中、たった一人、その色に染まらなかった男。彼は、嵐のような声で思想の危険性を説き、咆哮を上げる様にユリウスの立場を憂いた。

 当時のユリウスには、内容など一つもわからなかった。確か、三つか四つの時の話だ。

 ただ、自分に手を伸ばし、鬼の形相で引きずろうとする叔父の姿が、恐ろしくて恐ろしくて。

 あれが甥を救おうと、唯一差しのべられた手だと知ったのは、随分先の話である。

 叔父の願いはどこにも届かなかった。

 反対に危険視され、轟々と非難を浴びて、叔父は泣いていた。

 ユリウスを見つめ、泣いていた。

「可哀想に」と。

 あの時の涙が、眼差しが、作り物めいた優しい言葉よりもずっとユリウスの心を穿ったから、今もずっと彼の人を好きなままだ。

 さよならを言われた後も…狂った、後も。



 ―――俺の子が産まれるのだ。お前の従兄弟だぞ



 逃げ出す日、こっそりと会いに来た叔父はそう言った。

 そして、泣いた。「すまない」と。


 助けてやれず、すまない、と。


 ヘーゼルグリーンの瞳から大粒の涙が零れて、隣に立つたっぷりとしたストロベリーブロンドの髪の女性も、哀しげな表情を浮かべてユリウスを見ていた。

 叔父は逃げ出し、連れ戻され、結局狂って死んだ。

 彼が死んでも朝は来るし、夜は闇が落ちる。季節は巡るし、腹が減っては物を食べ、眠たくなれば眠るのだ。

 彼が死んでも、何も変わらない。一族も、ユリウスに望まれるもの、も。

 詰め込まれ、刻まれる思想。

 その中で、叔父の言葉が、涙が、胸の内でしこりとなって残っている。

 どちらが正しいとか、間違いとか、正直判らないまま、緩やかに疲弊していく心。

 そんな中で出会った第三王子は、一族の意に反して、まったく王座に興味を示さなかった。兄の邪魔をするな、とばかりに、回帰主義者とは距離をとる。

 ユリウスは、第三王子が好きだった。それは、自分自身が彼と出会い、その心に触れて、得た感情だ。

 第三王子は…ランティスは、大事な「友達」。その願いも、ユリウスは知っている。

 相変わらず胸の内で相反する思想がせめぎ合って、じわじわと精神を削っていっていたけれど。

 塔に幽閉された叔父は、孤独と愛する者たちを奪われた怒りに耐えきれず、最後は発狂して死んだ。

 自分もいつか発狂するのだろうか、とユリウスは思った。

 自分もいつか発狂するのだ、とユリウスは感じた。

 そんな時、誰かが王太子殿下に毒を盛った。

 同時期に突如ランティスが婚約した。何の後ろ盾もない、男爵家の娘。どの派閥につく気もなく、ガラドリアルの望みを叶える気もないというランティスの意志が、透けて見えるような気がした。

 一族は怒り、ユリウスに何をしていたのだと詰った。きっと一時の気の迷いだと、殺せと声高に主張する。愚かにもそれを実行する辺り、揃いも揃って狂い果てていたのだろう。

 ユリウスはランティスを知っている。

 彼が、どんな視線を婚約者殿に向けているか、その眼でしかと見た。

 誰の選択が正しくて、どう立ち回るのが正解なのかなんて、未だに一つもわからない。思い出しては後悔することばかりで、嫌になる。

 するべきことがわからないのかと、顔を歪めた両親に、親族。それらに囲まれた時、いい機会だ、と、頭のどこかで声を聞いた。

 もう、疲れ果ててしまった。

 いい機会なのだ、これは。




 ―――よく考えてみて。君の大好きな王弟殿下を王様にしないために、一番邪魔なのは誰?




 脳裏に響く声に、ユリウスは薄ら笑んだ。



(そんなのわかりきってる)



 かちゃり、と鳴いた扉の開閉音に、緑がかった碧眼を細め、立ち上がった。

  

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