第107話-3
感情に任せて、自分の胸元を引っ掴む。黒いお仕着せの合わせ部分を力いっぱい引くと、ぶちぶちと悲鳴をあげながらボタンがはじけ飛んだ。更に下の肌着も同じように破ると、肌が露わになった。
のっぺりと、凹凸のない胸元が。
「見ろ!」怒声が、石壁に響く。
「そもそも俺はメイドなんかじゃないの! 女ですらないの! 全部嘘だってこと! 最初から騙してたんだよ!」
髪を伸ばし、女のふりをして、屋敷のメイドになった。
ひょろりとした身体は男らしくなく、だからといって女のように柔らかいわけでもなかった。だから、きっとすぐにバレるだろうと思っていた。バレて、全てそこで終ればいいのに、と心のどこかで願っていた気がする。
そんな願いは、どこにも届かず。
マリーウェザーは知っている。赤髪の王弟殿下が、自分が何者か気づいていたことに。
気付いて、今まで泳がされていた。
(あいつは…)
脳裏にエヴァラントの声が反響した。
―――そして、彼が選ぶであろう道、も
ぐっと薄い下唇を噛んだ。前歯が柔らかな肉を押して痛い。乾いて荒れた唇の皮が、今にも裂けて血を吹く気がした。
ランティスは知っていた。
ユリウスは、それを望んでいた。
マリーウェザーは何もしなかった。
―――それが、今の、この結果だと、わかっている。
ぐっと顔を上げた。
理不尽な怒りを向ける様に、ルーヴァベルトを睨めつける。揺れる小ぶりなヘーゼルグリーンを、真っ直ぐに彼女へ。
許すな、と、そう告げる様に。
階上の少女は、じいとマリーウェザーを見つめていた。
赤茶の、大きな猫目。くるりと丸い双眸を一つ瞬かせると、深いため息をつく。
「驚いた」
小さな声で、言う。「男だったのか」
その言葉に、マリーウェザーは顔を歪め、笑みを浮かべた。そうだ、怒れ、と身を乗り出す。
そんな心を知ってか知らずか、彼女はゆっくりと首を横に振った。
「でも、マリーが騙そうとしてることは、何となくわかってた。わざとついて来たんだから、騙したことにならない」
「は?」
「別に、男だったからって、あんまり関係ないし」
消え始めた砂埃の中、一歩、ルーヴァベルトが階段を下りた。
「それより、さっさと殴り倒してここを出よう」
「ちょ! ま、待てって!」
慌てて階段を二段分後退り、眼を声を荒げた。
「そんなの、詭弁だ!」
「マリーを、置いて行かない」
「だから!」
「マリーは、友達だ」
さらりと放たれた言葉。
びくりと身を震わせたマリーウェザーの、太い三つ編みが揺れる。その顔は、傷ついたように歪んだ。
構わずルーヴァベルトは、もう一段降りる。
「ばあやに優しくしてくれた。お菓子をわけてくれた。一緒にお茶を飲んだ。襲われた時、助けてくれた」
それは、彼の仕事で当たり前だったのかもしれない。
けれど。
「私はそれが、嬉しかった」
マリーが好きだ、と両手の指をぱきりと鳴らしつつ、相手に近づく。
「友達だから、助けたい」
力が抜けた様に、マリーウェザーの身体が壁に寄りかかる。
「そん、な」
「マリーが、ユリウス・ガラドリアルとどんな関係なのかは知らない。マリーを連れて帰りたいのは、私の勝手だ。だから、殴り倒してでも連れて行く」
握った拳を、もう片方の手のひらに打ち付けたルーヴァベルトが、薄く笑んだ。
それは酷く凶悪で…だというのに、ほっとしている自分に気付き、マリーウェザーはくっと喉を鳴らす。
「…貴女は、本当、勝手だなぁ」
そして、真っ直ぐだ、と呟いた。
身を起こし、改めて彼女の前に立つ。もう、後三段程しか二人の間に距離はない。手を伸ばせば、すぐに届く距離。
細い息を吐き、マリーウェザーが肩を竦めた。
「すぐに拳で解決しようなんて、ご令嬢の発想じゃねぇよ」
「ご令嬢じゃないもんで」
「確かに!」
そう言うと、にっと白い歯を見せて笑う。いつも通りの明るい笑顔だった。
かと思うと、軽やかに後ろへ跳びのき、ルーヴァベルトと距離をとった。狭い螺旋階段の中で、すっと腰を落とすと、相対するため体勢をとった。
「生憎、すぐにほだされてあげられる程、いい育ちじゃないんでね」
「わかってる」
もう一度拳を鳴らしたルーヴァベルトは、足元を確認するように爪先で床を蹴った。砂埃が舞う。
おお怖ぇと呟いたマリーウェザー。
「多分、間違いなく俺はあんたよりは弱いけどさぁ、全力で足掻かせて頂くので」
頷く代わりに表情を消したルーヴァベルトへ、反対に満面の笑みで告げた。
「最期位、ちゃんと役に立ってやりたいんだ」
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