第105話-2
「…でぇ!」
突然傍で沸いた気配に、思わずアーベルが横っ飛びに逃げる。先程まで自分が立っていた場所の隣に、小柄な少年が経っていた。クセのある緩い巻き毛に、空色の双眸。下がり眉が印象的だ。
見覚えがある気がする。が、気が動転して思い出せない。驚いた心臓が大きな音をたてていた。
何時の間に、と息を飲む。一体どこから、どうやって入り込んだのか。
少年はアーベルへちらとも意識を向けぬまま、緊張した面持ちで続けた。
「ガラドリアル家屋敷敷地内奥にある塔にて、現在軟禁状態にあります。外傷等は無し。エヴァラント様も一緒とのことですが、こちらは薬にて身動きが取れないとのこと」
「…塔、ね」
「現在、エーサンさんが塔が出入口を探っています。どうやら本邸と繋がっている様子で、そちらから入る方法はあるのでしょうが…まだ、外からの出入口が見つからず。窓は若干高い位置にあるので、身軽なものでなければ侵入するのは容易ではないかと」
早口に報告された内容に、一瞬、ランティスが反応した。記憶を探る様に一旦目を伏せると、小さく舌打ちをする。
「…あの男か」
脳裏に浮かんだざんばら頭の男の姿に、忌々しそうに顔を歪めた。
が、すぐに視線を少年へ戻すと、「わかった」と手にしたペンを置いた。
「まぁ、大体予想通りの流れだ。塔ってのも、心当たりがある。多分、現当主の弟が幽閉されていた所だろう」
顎をつるりと撫ぜると、灰青の双眸をゆっくりと瞬かせる。
「ご苦労。お前も戻って、塔の出入口を探れ」
是と頷いた少年は、「もう一点」と再度主へと視線を向けた。
「エヴァラント様からの言伝が」
「あいつから? 何だ」
「必ず来るように、と」
ぴくり、形の良い眉が跳ねた。両手でこめかみを押さえ揉むと、細く長い息を吐く。
エヴァラントの言伝―――その意味を考え、低く、繰り返した。
「エヴァラントが、言ったんだな」
「はい。その…旦那様が来なければ、終わらない、と」
僅かに動揺を含んで乱れた言葉に、もう一度、ランティスがため息をついた。
失言があったかと少年の眉が更に下がったが、ぐっと押し黙ったまま立っている。その傍で、アーベルはわけもわからず立ち尽くしていた。
徐に席を立ったランティスは、着の身着のままといった服を脱ぎだす。脱いだ服をそこらに投げ捨て、あっという間に上半身裸になると、机の傍で無造作に置かれていた袋を取り上げ逆さまに振った。中から思い布地がどさりと落ちた。取り上げ、広げる。濃紺に金の縁取りがある上着は…彼の、軍服。少し前に、自身の屋敷から届けられたものだ。
合わせて白いシャツも拾い上げると、慣れた手つきで袖を通す。
「言われなくとも」と、悪態をついた。
「そんなこたぁわかってる。あいつとの付き合いが、どれ程だと思ってんだ」
忌々しげに呟きつつ、手早く着替えて行った。誰の手も借りずにあっという間に軍人へと仕上がった王弟殿下は、靴をはきかえ、腰へ剣を佩いた。赤い前髪をかきあげる。
「すぐに向かう」
そう言い、茫然としたままのアーベルへと顔を向けた。
「お前は続きを。俺のサインが必要なものの処理は済んでいる。後はそれぞれまとめて、各所へ渡しといてくれ」
「え、あの、殿下…」
「任せたぞ」
背筋を伸ばし、颯爽と歩きだす。靴底が硬質な音をさせ、床を蹴る。主へと道をあけた少年は、軽く頭を垂れた。
そのままアーベルの横をすり抜けようとする王弟殿下の腕を、思わず掴んだ。
「待ってください!」
言うや否や、後悔する。よりによって上司の、しかも王族の腕を不躾に掴んでしまった。
さっと血の気が引くのを感じた。が、後には引けない。
(ええい! ままよ!)
ぐっと腹に力を入れ、灰青の双眸を見やる。あからさまに不愉快げな視線に一瞬心が折れかけたが、何とか持ちこたえて口を開いた。
「が、ガラドリアル家に向かわれるのですか!」
「今の話を聞いていたならわかるだろ」
冷えた声が、低く地を滑る。ぞっと肌が泡立ったが、それでも腕を離さない。
「ゆ、ゆ、ユリウス様に会いに行かれるのですか?」
「いや、対処しに行く」
「対処? ユリウス様をですか?」
ひっくり返った声に、煩わしそうにランティスが腕を払った。呆気なく離されたアーベルは、たたらを踏みながらも、必死で食らいつく。
「ゆ、ユリウス様は…」
「…あいつは、王弟の婚約者を誘拐した。更に、王太子毒殺未遂の容疑者で…ガラドリアルの息子、だ」
「…ッ!」
変わらぬ声色に息を飲む。
同時に、明るい笑みを浮かべた、茶の髪を思い出した。
華のある男だった。名家の跡取りとして産まれ、整った顔立ちに、明るい性格。王弟殿下と懇意にしていて、女性からは人気がある。
アーベルにはないものを、沢山持っている人。
正直、仲が深いわけではない。時折執務室にやってきて、ランティスと他愛ない話をして帰っていく。アンリと二人で居座って、仕事の邪魔をされることもあった。
けれど、決して嫌いではなかった。
夜会の隅、独りぼっちで右往左往していた自分を見つけてくれて、颯爽と光の中へ連れ出してくれた彼の人。
それを、素直に感謝できる程度には、好感を持っている。
ただ、それだけ。
(だけど)
「…いいんですか」
零れた言葉。
本当はわかっている。今更出来ることなど誰にもなく、道筋は既に出来上がっていた。後は、転がるだけなんだ、と。
わかっていた。
わかっている、から、だから零れた言葉。
言って、気付く。
目の前の相手を、どれだけ酷く切り裂いたか、を。
灰青がアーベルを見ていた。表情は無かった。だというのに、くっきりと男の心が浮かんで見えた。
赤い髪が微かに揺れる。ゆっくりと眼を瞬かせた拍子だった。
「俺はあいつの望みを知ってる」
「え…」
「俺は精霊王じゃない」
くしゃり、ランティスの顔が崩れた。
出来ることは限られているんだと、独りごちるように呟く。
それはあまりに小さな声で、けれどはっきりとアーベルの耳に届き…胸を刺した。
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