第104話-2

「兄ちゃんは、動けない?」



 頷いたルーヴァベルトは、そっと兄の胸元へ手を置いた。



「はい。怪我や出血は見当たらないので、多分、薬を飲まされているんじゃないかと。指先は動くみたいですが、それ以外は全然駄目っぽいです」


「じゃ、自力で逃げるのは、無理、か」


「ですね。私が背負うのもやってやれないことはないかもしれませんが…現実的じゃないです」


「わかった」



 首を揺らすように頷くと、ぐるりと室内を見回す。



「あまり、時間が、ない。ここは、貴族の屋敷の、敷地内にある、塔だ。出入口がどこにあるか、まだ、見つけて、ない」


「…先生、まさか、壁登ってきたんですか…?」


「うん」



 あっけらかんと返した相手に、思わず苦笑いを浮かべた。

 けれどすぐに切り替え、猫目を真っ直ぐ小窓へ向ける。



「わかりました。では、伝言をお願いします」


「うん」


「私がお世話になっている屋敷の主人へ伝えて下さい。犯人はユリウス・ガラドリアル。マリーウェザーも一緒に居ます。兄は薬で身動きが取れないけれど、無事です。今の所、すぐに命をとられそうな気配も無し、と」



 それだけ伝えれば、あの男ならわかるだろう。脳裏に浮かぶ赤髪の背中を思い出す。

 ちくり、と胸の奥が痛み、俄かに眉を顰めた。

 犯人はユリウスだと、己の声が耳の奥で反復した。―――知れば、ランティスはどんな顔をするのだろうか。



(…くそっ)



 内側にもやもやと膨らんだ名のない感情を押し込める様に、両頬を手で叩いた。ぱんっと乾いた音が響き、男二人が驚いた顔をする。

 気にせず顔を上げた。



「お願いします」



 一拍置いて、エーサンが頷く。



「引き受けた。丁度、ハルも、一緒に、いる。あいつに、伝えて貰う」


「え、ハルもいるんですか?」


「貴族同士の、いざこざなら、あの男との渡し役に、ハルがいたら、円滑」


「…成程」



 ではハルに、と告げると、彼はもう一度頭を揺らして頷いた。

 と、不意にエヴァラントが声をあげた。「あの、すいません」

 初めて視線をボサボサ頭の瓶底眼鏡へ向けたエーサンは、長い前髪の奥で眼を瞬かせた。この状況でへらりと笑んだ男は、申し訳なさげ口を開く。



「ついでに、ラン君へ伝えて貰いたいことがあるんですけど」


「何だ?」


「必ず来て、と」



 驚いた表情を兄へ向けたルーヴァベルトを、彼は見ようともせず続ける。



「彼が来なければ、終わらないから」



 いつも通りの口調だった。

 そのくせ、有無を言わさぬ声色だった。

 ルーヴァベルトは口を噤む。理由はわからないが、聞くべきではない、と肌で感じた。

 高い小窓から、エーサンが答えた。



「承った」



 一言、そして小窓から覗く頭が消えた。微かに壁の外で壁を蹴る音が聞こえ、遠ざかっていくのがわかる。

 無事、下まで降りることを祈りつつ、改めてルーヴァベルトは小窓を見上げた。

 今は何時だろうか。明るい日差しの中に、夏の色を感じつつ、ほうとため息をついた。

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