第98話

 頭を抱えたまま、アンリはソファに沈み込んだ。このまま考えることを放棄して、丸まって眠ってしまいたいと願う。

 そう出来る程、自分が薄情でないことが、今は呪わしい。

 何度目かわからぬため息をつく彼の隣には、硬い表情の妹が寄り添う。整った美貌は蒼白に、微かに震えていた。

 兄妹の傍に控えた執事は、感情を削ぎ落した金眼を細め、彼らを見つめていた。



「本当、なのね」



 力なくアンリが呟く。独り言にも似た問いかけに、ジーニアスが是と頭を垂れた。



「恐らく、十中八九間違いはないかと」



 そう言い、ちらと壁際へ眼をやった。

 視線の先では、青い顔をしたメイドが唇を引き結び、床を睨み付けている。その眼と両頬が少し赤い。癖のあるブリュネットが、白いモブキャップから零れて落ちていた。

 王宮よりの知らせで屋敷内が騒がしくなった最中、ルーヴァベルトが姿を消した。

 いなくなってどれ程経っているのかは定かではない。何せ、彼女に関しては、ルーヴァベルト付きのメイドに一任されており、他の誰も所在の確認を行っていなかったからだ。

 ルーヴァベルトが部屋にいないことに気づけたのは、本当に偶然である。

 メイドの一人がミモザへの所用で婚約者殿の部屋を訪れた所、中はもぬけの殻だった。おかしいと思いミモザの自室へ向かうと、彼女は自分のベッドに横たわっていた。声をかけても身体を揺すっても一向に起きる様子が無いことに、慌てて執事を呼び行った。彼が数度頬を張って、やっとのことで目を覚ました彼女は、ルーヴァベルトが部屋に居ないと知り顔色を失った。

 薬で眠らされていたらしいメイドは、どうもその辺りの記憶があやふやで、酷く混乱していた。取り乱す彼女を落ち着かせ、霞む頭の中から手繰り寄せた記憶に浮かんだ人物の名を聞き、ジーニアスは渋面になる。すぐさま向かった先にその人物がおらず、思わず舌打ちをした。



「恐らくルーヴァベルト様は、マリーウェザーと共に居るはずです」



 ヨハネダルク家乳母の部屋にいるはずのメイドはおらず、代わりに別のメイドが驚いた顔で執事を見上げていた。聞けば、マリーウェザーから何某か用事があるので一晩だけ乳母付を変わって欲しいと頼まれたという。

 深いため息を掃出し、アンリは両手で顔を覆った。

瞑った瞼の裏に、件のメイドが映る。たっぷりとしたストロベリーブロンドに、凹凸の少ない痩せた体型を黒のお仕着せで隠していた。


 その双眸は、小ぶりなヘイゼルグリーン。



 ―――よく知った友人と、良く似た色の、瞳で。



 やっぱりか、という落胆と、何故、という憤りが胸の内で交ざり合う。重たい石を飲み込んだように、息が詰まった。

 隣に座る妹は、怒りに眉を顰めたまま、声を押さえ呟いた。



「何故ですの」



 マリーウェザーが持つ瞳の色の意味も何も知らぬ彼女は、ただ自分の花を捧げた相手を連れ去られたという事実だけしかわからない。

 それはミモザも同じだ。二人共同じように苦痛に顔を歪めていた。

 何故…と、その答えをアンリは持っている。けれど、果たしてそれを口にすることが正しいのかどうか計りかねた。

 迷い、執事へ眼を向ける。灰を被ったような髪色をした男は、どろりと濃い金色を瞬かせ答えた。

 亜麻色の前髪をかきあげ、一拍置き、問う。



「…マリーウェザーの件、ランは」


「ご存知です」



 淀みなく放たれた返答に、ああとアンリは天井を仰いだ。「よねぇ」と漏れた呟きは、空しく宙に霧散する。


「この屋敷に雇い入れる者は、全て経歴を厳しく調査致します。マリーウェザーに関しても同様…当初より、彼の者の身元は把握済でした」


「その上で、ランは傍に置いていたってこと、ね」


「はい」



 もう一度両手で顔を覆ったアンリは、腹の中に貯まったものを出しきる様に、長く息を吐いた。身体が重い。思考も進まない。

 それでも、彼は、言葉を紡いだ。



「…誰と繋がっているかも、わかっていた、てことね」


「はい」


「それは…私達にとって、最悪な相手かしら」



 ジーニアスは瞠目し…口を開いた。



「旦那様は、あの方の願いを知っている、と」

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