第96話

 明け方、未だ夜が色濃く残った未明、身体を揺すられる気配に夢から引き揚げられた。

 ううんと唸りつつ、両目を擦る。まだ眠い。ゆらゆら揺れる感覚に、瞼が開かない。

 もう一度夢へ引きずり込まれそうなルーヴァベルトの名を、誰かが耳元で呼んだ。



「起きて下さい」



 早く起きて。

 誰の声だったろうか。聞き覚えのある響きだ。

 思いながら、再度掌でごしごしと眼を擦る。ようやっと開いた眼をぐるりと回して辺りを見回すが、ぼやけた視界は薄闇に包まれており、何も見えない。二、三度眼を瞬かせて、やっと自分を覗き込む人影の輪郭を捕えた。



「ルー様」



 部屋中のカーテンはきっちりと閉められており、室内の夜闇は濃い。

 その中にぼんやりと浮かび上がる人影の色は、ピンクを帯びた淡い金髪。一対の小粒なヘーゼルグリーンの硝子玉が、ベッドに横たわるルーヴァベルトを見下ろしている。

 寝ぼけたままに、相手を呼んだ。「マリー?」

 メイドがルーヴァベルトへ顔を寄せる。モブキャップから零れたくせ毛の間から、ぎょろりとした白目がやけに爛々として見えた。

 硬い表情と張り詰めた空気に、ルーヴァベルトは眉を寄せる。



「何、どうし…?」



 問いかけを遮る様に、彼女は口を開いた。



「落ち着いて聞いて下さい」



 硬い口調。俄かに身を起こしたルーヴァベルトは、怪訝にマリーウェザーを見上げた。

 ヘーゼルグリーンが、ゆっくりと瞬く。



「エヴァラント様が、指名手配されました」


「は?」


「王太子殿下毒殺の容疑で」



 途端、ルーヴァベルトが跳ね起きた。一足飛びにベッドから飛び降りると、そのまま走り出そうとする。

 寸でのところで彼女の腕を捕まえたマリーウェザーは、「どこへ!」と抑えた声で諌めた。



「何処へ行く気ですか」


「放せ!」


「兄君の所へは行けませんよ」


「うるさい!」



 完全に目が覚めたのか、猫眼を吊り上げ、メイドを睨めつけた。腕を掴む手を引きはがそうと、もう一方の手で爪を立てる。一瞬、顔を歪めたマリーウェザーだったが、それでも手を離さない。

 負けじと少女を睨みつけ、ゆっくりと続ける。



「エヴァラント様は、今、行方不明だそうです。…順を追って説明します。まずは、落ち着いて」



 感情に任せ肩で息をするルーヴァベルトは、ぎろりと相手を睨めつけ…ゆっくりと息を吸い込んだ。彼女から眼を離さぬまま深く吐き出すと、顔を歪め、向き直る。

 承諾と取ったメイドが、ほっと安堵の息を吐いた。



「数刻前、王宮より知らせが。王太子殿下が毒を盛られ、その現場にエヴァラント様の痕跡があった、と」



 兄の名前に、何がしか口を挟もうとルーヴァベルトが眼を見開くが、堪え続きに耳を傾ける。



「表沙汰にはなっていませんが、殿下は昏睡状態。王宮は重要参考人としてエヴァラント様の行方を追っています」



 苦しげに、ぎゅっと目を瞑った少女を、痛ましげに見やる。唇を引き結び、掴んだ手に込めた力を緩めた。

 ルーヴァベルトが息を吐いた。



「兄貴は、そんなこと、しない」



 絞り出した言葉に、マリーウェザーも頷く。「私もそう思います」

 ゆっくりと瞼を上げた少女は、乱れ肌に張り付いた黒髪を、無造作にかきあげた。

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