第95話-3

「王弟殿下、あんたが何者であろうとも、どんな眼の持ち主であろうとも、僕らにとっては無価値だよ」



 イラーレが、言った。



「どうでもいい存在。王太子殿下が死のうが生きようがどうでもいいように、あんた自身もどうでもいいんだよね、これが」



 噛み砕いた飴の残骸を飲み込みつつ、片割れが頷く。じいとランティスへ向けられた空色は、言葉通り興味なさげで…そのくせ、内側を暴こうと、どろりと濃い。それは猛禽類に似て見えた。

 ランティスにも、王太子にも、この忌まわしい瞳にさえ興味がないと言い捨てる。



「けど」と、ふと視線をランティスから外した。ついとエヴァラントの仕事机に眼をやる。



 空色の双眸が、俄かに揺れた。



「…友達が悲しいのは、嫌」



 視線を追いかけ、机を見やったランティスは、渋面のままに呟く。



「エヴァラントの話か」



 にこりとイラーレが笑みを作った。是とも否とも答えない。



「さて」と一つ手を打った。



「僕ら、本日の営業はここまでとなります。眠たいので王弟殿下はご退出願えますか」


「ちょっ…! まだ話は」


「話は終わり。もう何もない」



 ゆっくりと手を上げ、扉を指差した。出て行け、と言外に示す。既にランティスへの興味の失せたガジャは、大欠伸で天井を仰いでいた。

 不満げに唇を引き結んだランティスだったが、すぐに一つ息を吐き、踵を返した。開け放たれたままの扉を掴むと、出ていく直前で、視線だけ二人へ向けた。

 低く沈む声で、問う。



「エヴァラントは、無事、か」



 返答はなかった。視界の隅で、嗤うイーサンと、大きく伸びをするガジャが見えた。

 それ以上何も言わず、赤い髪を揺らし、ランティスは軋む扉を閉めた。

 出て行った王弟殿下の足音が遠ざかっていくのに耳を傾けつつ、イーサンの表情を消した。ガジャは椅子に深く座り直し、深く息を吐いた。



「…これで良かった…んだよねぇ」


「どうだろ」



 平坦な調子でイーサンが答えた。ガジャは肩を竦め、首を横に振る。



「あいつ、エヴァの左眼が見えてないって…知ってるのかなぁ」


「知ってるでしょ。ついでに、『見えてる』こともわかってる」



 嫌そうに顔を歪めたガジャが、苦いものを含んだように吐き捨てた。



「嫌な奴。なら、エヴァのこと放っといてくれればよかったのに。そしたら、こんなことにならなかったじゃん」


「…遅かれ早かれ、エヴァは妹から離れようとしたんじゃないかな。自分が足かせだなんて思い込んでるから」


「馬鹿だねぇ。離れられるわけないのに。…エヴァが生きてるのって、妹ちゃんの為だけ、じゃんかぁ」


「だから、僕らも手をだしたんでしょ。エヴァは死なせない」



 光に透ける黒髪が赤く輝き、空色の双眸が輝く。

 徐に眼鏡を外したイーサンは、両手を拝む形で合わせ、それを額に押し当てた。少しだけ頭が痛い。『力』を使った代償だから仕方がない、と細く息を吐き出した。

 気遣うような半身の視線に、薄笑いで答えた。大丈夫だと、ゆっくりと首を振る。

 首を伸ばし、天井を仰いだ。古く汚れた天井が、仄かな灯りでは届かない闇の中でぼやけて見えた。



「僕らに、翼があれば」独りごちるように、呟く。



「エヴァを傷つける奴らを全部殺して、連れて逃げてあげるのに」



 擦れた声に、ガジャの眉尻が下がった。「イル」と呼んだ。



「僕らはもう、飛べない」


「わかってるよ」



 言ってみただけだと苦く微笑んだ青年の、黒髪の赤が、少し濃くなった気がした。

  

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