第91話-2
「ぎゃっ!」
濁った悲鳴と共に男が身じろぐ。勢い余ったルーヴァベルトは、相手を下敷きにする形で倒れ込んだ。瞬間、身を捩って肘で腹を抉る。「ぐえっ」と蛙が潰れるような声が上がった。
急いで身を起こし、握ったままの靴で再度相手の頭を殴りつけた。二度目の殴打で、ヒール部分が折れた。男の頭が揺れ、白目を剥く。
壊れた靴を投げ出すと、男の口へ片手を突っ込んだ。ぬるりと生暖かい口内。無表情に見下ろした少女は、無慈悲にその手で拳を握る。
ガゴッ。
鈍い音と共に、獣のような悲鳴が響き渡った。もの凄い力で男がルーヴァベルトを払いのけ、顔を抑えながら転げまわる。生け垣に倒れ込んだ少女は、ちらとも表情を動かさぬまま、ドレスに絡まった枝葉を払った。
男は必死に自分の顎を掴み、外れたそれをどうにか戻そうと躍起になっている。
その姿を見やり、ルーヴァベルトは眉を潜めた。
―――男の夜会服の色は、深い緑。生け垣の色によく似ている。
(ホールにいた奴と違う)
まさか。
思った途端、後ろから首を締め上げられた。細い紐が柔い肌に食い込む。咄嗟に指を間に滑り込ませようとしたが、間一髪間に合わなかった。ぎりぎりと締め上げられ、息ができない。
「…っ!」
苦しさと、痛み、頭に昇る血で、目の前がぶれて歪む。瞳が徐々に上向いて行き、このままだとヤバイ…そう思った時だった。
不意に首を絞めつける力が緩む。ルーヴァベルトはその場に崩れ落ちた。鼻から、口から、大量の空気が身体に流れ込んでくる。その濃度に、四つん這いになって激しくむせ込んだ。
「ぅげっ…ゴホッ…」
喉元を抑え、喘ぐように息をする。痺れるような痛みを宥める様に、肌を撫ぜた。
何度もむせながら、涙の滲む視線を後方へ向けた。涙が瞳に膜を作り上手く見えず、震える手で目元を拭う。改めて見やると、ぼんやりとした視界が徐々に輪郭を露わにし、転がる男とその傍らに立つ人影を捕えた。
転がっているのは、黒装束に身を包んだ男。目元以外、顔も布で覆っていたが、今はぴくりとも動かない。
傍らに立つのは、小柄な少年…ハルだ。
彼は真っ青な顔で、見開いた碧眼で、ルーヴァベルトを睨めつけた。
「あなたはっ…!」
ぶるぶると拳を震わし、怒りを孕んだ声で、そう呟く。
いつもおどおどと眼を合わせない彼にしては珍しい様相に、ルーヴァベルトは息を飲んだ。下がり眉が、今は吊り上っている。
ハルが怒ってるのはわかった。
何故怒っているのかは、わからない。
その怒りが自分へ向けられていることに関しては、どう反応すればよいのだろう。
困惑気味に座り込んでいる彼女へ、ハルは凍えた視線を向ける。腹の底からせり上がる怒りに、下唇を噛んできゅっと顔を顰めた。
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