第91話-3
今夜、何かあったら対処できるようにと、主であるランティスから同行の指示を受けていた。とはいえ、表だって着いて行くわけにはいかない。こっそり屋敷に忍び込み、ホールの近くで待機していたのだ。
暗がりに身を潜め、窓から漏れる煌びやかな光の中、ルーヴァベルトを注視していた。
が、一瞬眼を離した隙に、あっという間に姿を消した彼女。
探しに向かおうとしたところで、顔色を変えたランティスがホールを飛び出してきた。人目につかぬところで接触すると、誰かを追いかけていったらしいと言われ、血の気が引いた。
(どうして…)
前回も、一人で立ち回ったルーヴァベルト。誰にも頼らず、一人、傷に塗れ。
どうして。
夜闇に紛れ、必死に探した。彼女の事だ。一人で対応するつもりなら、きっと人気のないところへ向かう。
そう思い辿りついた庭園。明かりの灯らぬ暗さの中、高く造られた生け垣の迷宮から、僅かに人の気配を感じた気がして、心の向くままに飛び込んだ。
入り組んだ造りでないことが幸いした。全速力で駆け抜けた先に、もみ合う人影を見つける。
膝をついた淡い色のドレス。
苦しげな呻き声。
考えるよりも先に、身体が動いていた。
黒装束の男の背中に飛びつき、腕を首へ回すと、力いっぱい締め上げた。虚を突かれ、男は全力で暴れる。
体格差がある。長引けば不利だ…そう判断した瞬間、すうと碧眼を細めた。瞳の奥でどろりとした感情が沈み、同時に相手の首を両手で掴み、大きく捻った。
ごきり。
鈍い音は、大きくは鳴らなかった。
けれど、ハルの耳にははっきりと聞こえた。身を離し芝生の上に立つと、不自然に首を傾げた相手を、無感情な双眸で見やる。
男の身体が揺らぎ、ゆっくりとたたらを踏んで―――倒れた。
一転して静かになった夜の中に、少女が咽る音だけが響く。そちらを見やれば、彼女は涙で潤んだ視線を、驚きを含んでハルへ向けていた。
カッと頭に血が上った。
「あなたはっ…!」
気づけば、怒鳴っていた。
拳が、身体が、ぶるぶると震える。赤茶の猫眼を見開いて、ルーヴァベルトは困惑の表情だ。
何故ここに、とでも思っているのか。
何故殺した、とでも責めるつもりか。
何故怒って、と、感じているに違いない。
(本当に…っ!)
怒りが腹の中でとぐろを巻いていた。彼女の首に、赤く内出血の跡が残る。それにまた、血が沸いた。
どうして、と思うことがある。
どうして、と責める気持ちがある。
どうして、と問いただす権利が、ハルには、ない。
無事でよかったと、そう声をかけなければ。彼女は自分の主の婚約者殿で、ハルが守るべき相手。一人彼女が死へ向かおうとするのを、阻むのが仕事。
咎めることは、ハルのするべきことではない。
瞼を伏せ、細く息を吐いた。
その時。
ぎょっと眼を剥いたハルが、ルーヴァベルトが座り込む傍の生け垣を見る。瞬間、激しい葉音がした。弾かれるように彼女に抱きついたハルは、庇うように生け垣へ背を向ける。
が、それ以上何の音もしなくなった。芝生の上に座り込んだ二人は、茫然と生け垣を見やる。
しばらくすると、ずるずると何かを引きずる音が聞こえ、ハルは首筋が泡立つのを感じた。何かがこちらへ近づいてきているのがわかった。思わず、ルーヴァベルトを抱える腕に力を込める。
一旦と遠ざかった音は、生け垣を迂回して再度近づいてくる。迷宮を、道筋通りに進んでいるらしい。
未だ小さく咽ているルーヴァベルトを脇へ押しやると、立ち上がった。
誰がやってくるのかわからない。味方である可能性は限りなく低かった。
同とでも対処できるよう、暗がりの先を青い瞳が睨み付ける。
いつの間にか、眉尻はいつも通りの下がり眉。その顔に、表情は無い。ごっそりと感情が抜け落ちた顔で、ただ、夜闇の向こうを見据えた。
重たいものを引きずる音が近づいてくる。
暗がりの中に、ぼんやりと、人影が見えた。
その輪郭を捕えた瞬間、ハルは、俄かに眼を見開く。
と同時に、後方でルーヴァベルトが声をあげた。
「先生!」
そこには、くたびれた衣服に身を包んだ不精髭の男が、居心地悪げに立っていた。
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