第88話
リリア―シュ夫人は、退廃的な雰囲気を持つ中年の美女だった。
長椅子へ気だるげに寝そべり、挨拶に訪れる客たちを、にこりともせずあしらっている。その様子も様になっており、まるで一枚の絵画のように思えた。
王太子殿下一行が連れだって挨拶の口上を述べても、彼女は別段居住いを正すこともなく、やはり気だるげにほっそりとした顎のラインをなぞる。
「お久しぶりですわね、王弟殿下」
「ああ、夫人も相変わらずの美貌で何より」
「ありがとうございます」
抑揚無く口先ばかりの謝辞を述べ、ちらりと男の隣へ視線を流す。
唐突に目があったルーヴァベルトは、一つ瞼を瞬かせると、作り笑いを顔へ浮かべた。相手は意に介する様子もなく、すぐに視線をランティスへ戻した。
「どうぞ、ごゆるりと楽しまれて」
「ありがとう」
赤髪の男は悠然と微笑み、優雅に礼をとった。それに合わせ、他の面々も頭を下げる。既に興味を失くした様子の夫人は、そっぽを向いて欠伸をかみ殺していた。
程なく、舞踏の始まりを告げる音楽がホールへ響いた。
ランティスに手を取られ、ルーヴァベルトもホールの中心へ足を向ける。相変わらずリードの上手いこの男は、婚約者殿を上手にフォローしながら完璧なステップを踏む。傍から見れば、さぞ息が合って見えることだろう。
作り物の微笑みを顔に貼付け、ようやく一曲目が終った。
また連続でランティスと踊らなければならないのか、と内心げんなりした時、何時の間に傍に来たのか、ユリウスが友人の肩を叩いた。
「交代だ、ラン」
にっこりと満面に笑みを浮かべた彼に対し、露骨な渋面を作ったランティス。眉間に皺をよせ、灰青の双眸を細め相手を睨めつけた。
「だから、お前と躍らせる気はないと…」
「そう言うなよ」
言ったかと思うと、ルーヴァベルトの手を取る。白い手袋をした男の手が、ルーヴァベルトの指先をきゅっと握った。
「お相手頂けますか? ご令嬢」慣れた様子で片目を瞑って見せた緑の碧眼に、曖昧な笑みを向ける。どうするのが正解か、とランティスを見やると、彼はルーヴァベルトを引き寄せようと肩を抱いた。
「だから…」
「よく考えろ、ラン」
俄かに声色を落とし、ユリウスが囁いた。「俺が彼女と手を取り合っていれば、多少の牽制にはなる」
灰青の双眸が僅かに見開かれる。が、すぐに不満げに眉を寄せると、ぷいとそっぽを向いた。
一曲だけだ、と呟く。
「終わり次第、すぐ戻れ」
「了解」
軽やかに返すと、「行こう」とルーヴァベルトの手を引き、ユリウスが歩き出した。引きずられるように着いて行きつつも、一瞬、ランティスを振り帰る。苦々しい表情の王弟殿下は、目が合った瞬間、少し泣きそうな顔をした気がした。
少し離れた場所で足を止めると、ユリウスはぴんと背筋を正す。ルーヴァベルトもそれに倣うと、丁度演奏が始まった。腰を軽く引き寄せられ、滑る様に踊りだす。
少しして、彼もまたダンスに関して相当な腕前だと気付いた。それなりに踊れるように見えるルーヴァベルトだが、実の所、パートナーの力が大きい。何だかんだで何度も合わせて踊ったランティスのおかげで、上辺にはそれなりに見える。細かいミスを上手に隠してくれるからだ。
そんなルーヴァベルトを、ユリウスもまた、上手にフォローしてくれていた。気づいて、驚いた。彼を見上げ赤茶の猫目を瞬かせると、意味ありげに男が微笑む。長い前髪の留めていない房が、動きに合わせて揺れた。
「ダンスは嫌い?」
くるりとターンしつつ、ユリウスが囁いた。
灰色にピンクが被る様に、ドレスの裾が空気を含んで膨らむ。近くで踊る他の客にぶつかるかと思ったが、その前に腰を引き寄せられた。
余裕めいた笑みに、にっこりと作り笑いを返した。
「緊張してしまって」
「俺に? 嬉しいなぁ。ランの婚約者殿にドキドキして貰えてるとか」
何を言ってるんだこいつ、と内心げんなりする。どうやらこの男も、自分に自信がある輩らしい。流石あの男の友人だ、と思う心を隠し、ルーヴァベルトは笑みを崩さない。
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