第80話

 何で、と思うと同時に、顔を上げていた。

 不躾と知りつつ、目の前の令嬢を凝視し…理解した。



(そういう、ことか)



 むごい、と感じたのは、エヴァラントの主観だ。彼女は、マリシュカ自身は、微塵もそう感じていない。同情も憐れみも、彼女に失礼だろう。


 思わずしまったことに、嫌悪する。


 けれど、それを押し隠し、へらりと笑って見せた。



「ええと…ルーは、こちらのご令嬢と結婚するってことかなぁ?」


「何でそうなる馬鹿兄貴」



 つい口が滑ったのは、ルーヴァベルトだ。

 胡乱な目つきで兄を見やった後、はっとした顔で口元を隠す。動揺したのか、一歩後ろに後ずさった。

 そんな妹を見やり、エヴァラントはゆっくりと眼を瞬かせた。鮮やかな青緑のワンピースがよく似合っていると思った。艶やかな長い黒髪と、彼女の肌の色がよく映えた。


 失敗したと思っているのだろう。眉を顰め、俄かに耳を赤く染めている様が愛しい。

同時に、少し淋しくなった。


 だから、エヴァラントは笑った。



「俺としては、可愛い妹が二人になるってのは、悪くない話だなぁ」


「ちょっと、私の妹よ。あげないわよ」



 アンリが不服げに横槍を入れる。その隣に並ぶ王弟殿下は、無表情にボサボサ頭へ視線を向ていた。



「エヴァラント」と、ランティスが呼ぶ。



 エヴァラントは、少しだけ逃げ出したくて、躊躇した。灰青の、「失せし王」の眼が、自分を見ている。視線を合わせれば、きっと逸らすことなど許されない。

 逃げ出したい。

 けれど、ランティスへ向き直った。


 彼は大事だ―――ルーヴァベルトにも、自分、にも。


 向かい合った王弟殿下は、覗き込むように視線を穿つ。瓶底眼鏡越しにも、それが痛かった。


 心の奥底まで覗かれるような気がして。


 ぬるりと腹の底を、攫われる気がして。


 己の被った皮の内側を暴かれることは、どうしようもない恐怖だ。エヴァラントが抱えているものは、黒く、醜く、悍ましいもの。誰にも知られたくない。―――彼女に、見られたくない。


 だから、自分も、


 ほんの一瞬のことだった。エヴァラントには絶望的な長さだった。左眼がじくりと疼く。まるで存在を主張するかのように、痛んで。

 不意に顔へ表情を浮かべたランティスが、口を弓なりににんまりと笑った。



「ルーヴァベルトと結婚するのは俺だ」



 いつも通り尊大に言い放った。それに、彼の婚約者殿は、口元を抑えたままで眉根を寄せた。



「な! ルーヴァベルト!」



 同意を求めて彼女を見やるが、相変わらずな表情で、彼女は返事をしない。辛うじて首を横に振らないのは、どこか思うところがあるからか。



「お返事がありませんわねぇ」



 花の笑みに僅かな嫌味を含んで、マリシュカが微笑む。「やめなさいよ」とアンリが窘めるが、妹令嬢はどこ吹く風だ。

 視線をマリシュカへ移したランティスは、けれどへこたれずに鼻を鳴らした。



「悪いがマリシュカ嬢。俺とルーヴァベルトは婚約している。ちゃんとこいつの口から、了承の言葉も貰ってるんだ」


「あら、女心は紫陽花のように気まぐれですのよ。ほんの少し土が変われば、色も考えも変わりますわ」


「では、俺の海より広く深い愛で、しっかり染めてやろう」


「それだけ深くいらっしゃれば、少しくらい別の愛情が混ざっても、気付かれませんわね」



 二人の言い合いに、ルーヴァベルトはどうしたものかと猫目をぱちくりさせている。

 アンリは呆れて額を抑え、エヴァラントは楽しげに笑う。

 微動だにせず立つ執事殿は、表情をぴくりとも動かさぬままに、その場で控えていた。



「はっ! 何と言おうが、嬢は女。ルーヴァベルトと結婚はできんだろうが」


「お言葉ですが王弟殿下。男女の仲は拗れて壊れれば一瞬ですが、女同士の友情は一生続くものですの。下らぬ駆け引きなどもなく」


「本当に、驚かせてくるご令嬢だな」


「恐れ入ります」


「ちょっと、いい加減にしなさいよ、あんた達」



 見かねたアンリが間に割って入る。同時にそっぽを向いた二人に、がっくりと肩を落とした。



「子供じゃないんだから」



 苦言を呈するが、お互いに譲らない。頭が痛いと眉間を抑えたアンリの側で、エヴァラントが吹き出した。「仲がいいなぁ」

 改めて妹へ向き直ったアンリは、少しばかり厳しい表情を作った。



「とにかく、マリシュカ。あんたは私と帰るわよ」


「嫌ですわ」


「嫌ですわ、じゃない。突然人様の屋敷に押しかけて、『一緒に暮らしましょう』なんていくわけないでしょう? 一応これでも、このポンコツ、王族なのよ?」


「おい、ポンコツってどういうことだ」


「それに、小指を誓ったってどういうことよ。それも含めて、きちんと説明して貰うからね」



 マリシュカは不服げではあったものの、結局素直に頷いた。それでやっとアンリの表情も緩む。

 屋敷の主人である友人を振り返ると、苦い顔で小首を傾げた。



「騒がせて悪かったわね。このお詫びは、また改めて」


「貸し一つ、な」


「嫌な男! ここは笑顔で『気にするな』でしょ」


「何しろ俺はポンコツだからなぁ」



 白い頬を膨らませたアンリを見て、破顔した。

 相手はぷりぷりと怒りながらも、妹の手を差し出した。素直に手を取ったマリシュカは、ゆっくりとルーヴァベルトへ頭を下げた。



「申し訳ありませんでしたわ、ルーヴァベルト様」



 それに、ルーヴァベルトは慌てて首を横に振る。「いや、大丈夫です!」声が少しだけひっくり返った。

 顔をあげた令嬢は、菫の双眸を瞬かせ、じいと彼女を見やる。吸い込まれそうな程澄んだ瞳を、赤茶は不思議そうに見返した。

 もう一つ瞬きをすると、今度はランティスへ向き直る。



「お騒がせ致しました」



 王弟殿下は、小さく頷いた。それから灰青をすうと細め、顎をつるりと撫ぜた。



「近く、夜会へ参加する」



 それに関して改めて使いを出すと、付け加えた。

 アンリが僅かに視線を逸らす横で、マリシュカは是と礼をとった。「お待ちしております」

 灰青の瞳が、首を垂れた亜麻色の頭を見下ろす。短く、告げた。



「俺は、ファーファルの花を、歓迎するぞ」



 顔を上げた令嬢は、菫の視線を挑戦的に王弟殿下へ向け、そして花が綻ぶように、艶やかに笑う。

  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る