第79話-2
そんな中、最初に口を開いたのは、マリシュカだ。
「お初にお目にかかりますわ」
そう言うと、床に座り込んだままのエヴァラントへ、優美な礼を取った。
「マリシュカ・ファーファルと申します。以後お見知りおきを」
にこりと極上の笑みを添える。緩く波打つ亜麻色の髪に結ばれた若草色のリボンが、彼女の動きに合わせて踊った。
花の顔をぽかんと見上げるボサボサ頭は、相手が一体誰かもわからず困惑の様子だ。
但し、誰もが見惚れる彼女の笑みに見とれているのかと言えば、そうでもないようだった。分厚い瓶底眼鏡のおかげで、正確なところはわからないが。
返事もしないエヴァラントへ、ランティスが言う。
「彼女はファーファル家のご令嬢。アンリの妹だ」
ランティスの隣に立ったアンリが「私の自慢の妹よ」と付け加えた。乱れた衣服は、いつの間にか整えられている。
その言葉に、エヴァラントが慌てて立ち上がった。が、コートの裾を踏んづけ尻もちをつく。顔を真っ赤に茹で上げつつ何とか立ち上がると、ぺこりと頭を下げ、ひっくり返った声で名乗りを上げた。
「え、エヴァラント・ヨハネダルクです! ご挨拶が遅れ、大変失礼致しました!」
「いいえ。元よりお名前は存じ上げておりますわ。ルーヴァベルト様のお兄様ですもの」
朗らかに口元を綻ばせ、極上に甘い声で答えた。
「どうぞ仲良くして頂けると嬉しいですわ。私、ルーヴァベルト様とお友達になりたいんですの」
不意に、エヴァラントの纏う空気がぴりりと張った。顔から感情が消え、眼鏡の奥の瞳がどろりと輝く。
が、未だ頭を下げたままの彼の変化に、周りは誰も気づかない。気づかれぬまま、細い呼吸一つで、元に戻る。
顔を上げた男は、いつも通り頼りなさげな顔をして、へにゃりと口端を緩めて見せた。
「ルーの…妹のお友達でしたか。驚きました。妹に、ご令嬢のお友達がいたなんて」
「私は、姉妹のように仲良くしたいと思っておりますわ」
「それはそれは…良かったね、ルー」
明るい口調でそう笑うエヴァラント。妹は、不機嫌な顔で、下唇を突き出している。
エヴァラントの後ろで、低い声が、冷たく彼の名を呼んだ。
「エヴァラント」王弟殿下の声に、男の肩がびくりと震える。背筋を這うような、圧のある響き。
「彼女は、ルーヴァベルトとお友達になりたいそうだ」
ランティスは、笑っていた。赤い前髪を無造作にかき上げ、灰青でじいとエヴァラントを見ている。
「う…ん、今、聞いた…」
「というか、もっと親密な関係になりたいんだろうよ」
「まぁ、当人同士がいいなら…」
「エヴァラント」
のらりくらりとした返しに、ランティスが語気を強めた。声を更に低く落とすと、はっきりと、告げた。
「ちゃんと、見ろ」
瓶底眼鏡の顔が俯く。ひょろりとした身体をマルメ、逆らうように、鞄を抱えた腕に力を込めた。
けれど、赤髪の男がそれを許さない。
徐に足を上げると、エヴァラントの背中を蹴りつけた。「うぇっ!」と悲鳴をあげたボサボサ頭が、小さくたたらを踏んだ。
驚く面々を気にも留めず、ランティスは繰り返す。
「エヴァラント」男の顔から、表情がごっそりとはげ落ちた。
「嬢は、ルーヴァベルトに、小指を誓ったぞ」
息を飲んだ音は、一体、誰のものだったか。
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