第78話-2

 あの男も勝手に誓いを立てた一人である。それにも腹が立つが、それ以上に腹が立つのは。



(あー涙とか…アホか)



 静かに言い合うジーニアスとマリシュカの声に混じり、耳の奥で甘い囁きが蘇る。




 ―――俺の心臓は、お前のものだ




 灰青の瞳が、柔く、縋る様にルーヴァベルトを見上げて。



 瞬間、カッと顔に熱を感じた。腰から背筋を這いあがる何かに、肌が泡立つ。頭がじんと痺れた気がした。

 あの時も、顔が火を噴くかと思った。何を言い出したんだこいつは、と怒鳴ろうとしたが声にならなかった。口をぽかんと開けた間抜け面に、ランティスが微笑む。

 それが、やけに優しくて。

 胸の奥の、柔い部分に針が刺した気がした。細く長い針。すっと刺し込んで、鈍い痛みはどこか甘い。

 どん、と心の臓が跳ねた音がする。思わず顔を歪めた。そんな目で見るな、と脳裏で悲痛な声がした。

 ルーヴァベルト、と名前を呼ばれたと同時に、握られた手を振り払う。そのまま跪いた男を蹴り倒し、気付けば部屋を飛び出していた。


 もう一度泣きそうになった。


 泣きたくなったのは、恥ずかしさのせいか…それとも。



 重いため息を吐き出し、額を押さえる。思い出すだけでどうしようもない気持ちになって、そわそわと落ち着かない。胸の奥で鼓動が跳ねるせいだろう。

 ふと、顔を上げた。すると、先程まで押し問答を繰り返していた二人の視線が、ルーヴァベルトへ向けられている。



「え?」



 突然の注目に、驚き猫目を瞬かせた。次いで、赤茶の瞳が不安げに揺れる。



「あ、の…何か?」



 すると、マリシュカが一歩、ルーヴァベルトへ寄る。そっと手を取り、彼女の顔を覗き込んだ。



「ルーヴァベルト様…ご迷惑、でした?」


「は?」


「私が突然押しかけてしまって…」



 そこに関する分別はあるのか、と内心思ったが、言葉は飲み込んだ。顔には出ていたかもしれない。

 心配そうに返事を待つマリシュカの肩越しに、白けた表情のジーニアスが見えた。当たり前だ、と小さく嘲りを浮かべていた。「『はい』と言ってやれ」という心の声が聞こえる気がする。

 曖昧な表情で「あー」やら「うー」やら歯切れも悪く口籠る。どう答えてよいのかわからない。そもそも、マリシュカがどういうつもりかもわからないのだ。


 そんな様子に、彼女は小さく息を吐いた。



「仕方ありませんわね」と、残念そうに肩を落とす。



「ルーヴァベルト様を困らせるつもりはありませんもの。今回は帰りますわ」


「ご英断です。どうぞ、出口へご案内致します」



 背筋を正した執事殿が、上辺だけの笑みを浮かべ、出口を指し示す。一刻も早く出て行けという素振りに、妖精の如き香る微笑みでマリシュカが答えた。



「ありがとうございます。次回は気をつけますわ」


「はい?」



 次回、という言葉に、ジーニアスの笑みが固まった。対し、マリシュカは始終朗らかな表情だ。



「今回は急にお伺いしたのが敗因ですものね。次はしっかり地盤を固めて、えげつない手だろうが何だろうが駆使させて頂き、申出を受け入れる以外の選択肢など浮かばぬような状態にして参りますわ」



 投げられた言葉に、執事殿の整った顔が歪む。柳眉を潜めた彼を綺麗に無視し、くるりとルーヴァベルトを振り返った。

 ずい、と顔を寄せる。菫色の澄んだ双眸に見つめられ、少女は身を硬くした。


 儚げに美しい令嬢。だと言うのに、花を思わせる両の瞳は、まるで獲物を見据える狩人のようで。



「ルーヴァベルト様」甘える声が、呼んだ。



「お忘れにならないで。私が貴女の、唯一の『花』であることを」

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