第77話
脆さを目の当たりにし、ランティスは背筋が凍るのを感じた。
腕の中の少女は、何かに耐えるように身体を硬く、身を震わせている。唇を引き結び涙に堪える様は、酷く痛々しい。
平気なはずがない―――そんなこと、知っていた。
けれど、ルーヴァベルト自身が、どんな風に傷ついているかなど、想像もできなかった。いや、しなかったのだ。
(わかっていた…のに)
決して声を上げぬ婚約者殿。彼女はまだ、十五の年若い娘。貴族社会など知らず、露骨に向けられる悪意に触れたこともなかった少女。
それを、ランティスの我儘で、この世界に引きずり込んだ。
どうして想像しなかったのだろう。
何処かで「耐えられる」と、そう思い込んでいた。ルーヴァベルトの態度から、前を臨むその姿勢から、心強いなど勘違いして。
(ああ、くそっ!)
己を殴り飛ばしてやりたい、とランティスは歯を食いしばった。
守るなんて大仰なことを言っておきながら、この様は何だ。向けられる悪意から、振り下ろされた拳から、一度たりとも婚約者殿を守れていないじゃないか。
そのくせ、自分の助けなどいらないかもしれない…そう何処かで思っていた。その強さに、目が曇って。
―――守らなければならなかったのは、身体だけではないと言うのに。
両腕に力が籠る。気を抜けば抱き潰してしまいそうになって、細く息を吐いた。
「ごめん」と、何度目か判らぬ謝罪を口にする。言葉は音にした途端、薄っぺらく宙に消えた。
どれ程の間、そうしていただろうか。
不意にルーヴァベルトが身を離した。俯いたままランティスの胸元を押しやり、一歩後ろに下がる。
服の袖で目元を擦ると、肩を揺らし息を吐く。
「…見苦しい姿を…すみませんでした」
硬質な声が、淡々と告げた。「ルーヴァベルト」と名を呼ぶと、遮る様に言った。
「もう大丈夫です」
ぐいと顔をあげた少女の猫眼は、赤く充血していた。それでも、平気だと、真っ直ぐにランティスを見据える強い姿勢。
―――痛くて、苦しくて、同じ程愛しいと思う自分に吐き気がする。
例えば彼女が、もっとか弱い娘だったなら。泣き縋って助けを乞うのを、抱きしめて懐で守れたならば。
夢想し、腹の中で嘲笑った。
そうであったなら、ランティスは最初から彼女に惹かれはしない。
惹かれたのは、愛しいと焦がれるのは、狂おしく求めるのは…強くも脆い、目の前の「ルーヴァベルト」だけ。
馬鹿な話だ、と思う。
けれどもう、引き返せない。
どうしたって、目の前の娘を、手放すことなどできないから。
息を整え、ルーヴァベルトが頭を下げた。
「すみませんでした。失礼します」
早口にまくし立てると、早々に部屋を出て行こうとする。その前に立ちはだかったランティスは、徐に膝をついた。
突然の事に、ぎょっと眼を剥くルーヴァベルト。赤茶の双眸が、まん丸くランティスを見下ろす。
構わず彼女の手をとった。
そして―――小指に、口づけを落とす。
「…っ!」
反射的に手を引っ込めようとしたルーヴァベルトだが、赤髪の男がそれを許さない。壊さぬようにそっと、けれどもぎゅっと強く少女の手を握り、小指に唇を押し当てる。
そうしてたっぷり一拍置いて、ゆっくりと顔を上げた。
真っ直ぐに、灰青の双眸を、愛しい婚約者殿へと向ける。硝子玉に似た瞳の奥でどろりと輝いた光が、絡めとるような熱を帯びて、ルーヴァベルトへ注がれる。
「俺の心臓は、お前のものだ」
甘く低く響く言葉。それは、呪いにも似ている。
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