第74話-2

 応接間に通されたジュジュは、豊満な身体をソファへ沈めた。

 出された紅茶が、ローテーブルの上で白く湯気を立ち上らせている。それ越しに宙を睨めつけ、ゆっくりとした呼吸を繰り返した。

 程なく、出入口の扉が開かれ、室内へ男が足を踏み入れる。大股にソファへ寄ると、彼女の向かいにどかり腰を降ろした。

 燃える赤い髪が、窓から差し込む日差しを背に揺れる。その様子に瞼を一つ瞬かせ、ジュジュが口を開いた。



「ごきげんよう、ラン様」


「ごきげんよう、レディ・ジュジュ」



 茶化して返した男の口元は、にんまりと三日月に孤を描く。そのくせ、逆光の中で爛々と輝く灰青の双眸は、全く笑ってはいなかった。

 いつものことだ、とジュジュもまた無表情のまま。



「用件は?」



 遅れて入ってきた執事が、ワゴンに乗せたティーカップを主の前に置く。手も付けず、じいとジュジュを見つめるランティスに、抑揚無く告げた。



「同じもの、でしたわ」ティーカップに手を伸ばし、口をつける。ふわりと香った紅茶が鼻腔を擽った。



「先日、貴方から頂いた毒の見本と、先日王宮で使われた毒…全く同じと考えて、問題ないでしょう」


「やっぱりか」



 同じくカップに手を伸ばしたランティスが、豪快に中身を啜った。くっくと喉を鳴らし、さも可笑しそうに皮肉めいた表情を浮かべる。



「じゃ、やっぱどっちも同じ奴が犯人ってわけだな」



 もう一口紅茶を含むと、ジュジュはカップを静かに戻した。

 淡い金色の髪が彼女の動きに合わせて揺れる。今日は薄い薄い水色のワンピース姿だ。ルーヴァベルトの社交界デビューを終え、彼女に合わせドレスで訪問して貰う必要はないとの連絡を受けての軽装だった。

 血色もよく膨らんだ彼女の両頬。けれどそこに浮かぶのは、相変わらず厳しい表情だ。



「浅はかな行動ですわ。こんな短期間に、二度も王族と、その庇護下にある者へ毒を盛るなどと」


「浅はかな馬鹿がやったのか、相当焦ってやらかしたのか、牽制か…それともわざとやったの、か」


「どれにせよ、あまり賢いやり方とは思えませんわね」



 普段の彼女からは予想も出来ぬような、凍えた声で言い捨てた。

 重厚な紅い絨毯の敷かれた応接間に、重い空気が落ちる。白い壁の向こう、はめ込みの窓の外から鳥の鳴き声が遠く聞こえた。



「とりあえず」とランティスが口を開く。



「王太子と、王弟の婚約者…この二人をさっさと廃したい奴がいるってのは確かだな」



 ぐいと紅茶を飲み欲した。彼専用に執事が特別に入れたミルクたっぷりの紅茶に、苦くてたまらないと言うような顔をする。

 口端に残る雫を親指の腹で拭うと、乱暴にカップをソーサーに戻した。

 向かいに座る丸みを帯びた令嬢と視線が重なった。ランティスの灰青の双眸に怯むこともなく、彼女は口を開く。



「させませんわ」



 凛と響く、硬質な声。



「王太子に手出しは、させません」



 わかってる、とランティスが答えた。「重々承知だ」



「まぁ、相手さんも驚いていることだろうよ。二度の襲撃を返り討ちにされ、毒殺も失敗。俺の婚約者殿は一体何者だ…ってな。さすが俺の惚れた女」


「…ルーヴァベルト様も、世界一面倒な男に好かれて不憫なこと」


「酷い言われ様だな!」


「同情しますわ」


「おいっ!」



 空になった主のカップをソーサーごと取り上げた執事が、二杯目を注いだ。白磁に青で絵付けがしてあるそれは、今、二人が使うカップと揃いの品だった。

 テーブルに戻されたカップから、温かな湯気が上る。白い靄越しに見える令嬢の顔は、未だ硬い。

 その様子に、ランティスは少しだけ表情を緩めた。



「なぁ、レディ」呼ぶと、伏せた眼差しを上向け、男へ投げる。



「俺は、お前の事も大事だ…兄貴同様に、な」



 一瞬、彼女の目が見開かれた。すぐに咎めるようにランティスを睨めつけたが、赤髪をかきあげ気にするそぶりもない。



「今回の件、お前が動かずとも、俺がケリをつける。安心しろ」


「ラン…」


「これ以上、兄貴にゃ手出しをさせねぇよ。お前が痩せなきゃいけねぇ事態にもなりえない…絶対に、だ」



 だからお前も、たっぷり食って、気兼ねなく体型維持しとけ。

 明るい口調。ジュジュは硬い表情のまま、きゅっと下唇を噛んだ。

 何と答えてよいかわからない。

 胸にこみ上げるものがある。それど、どう言葉に変えれば良いのか。

 ただ、目の前に座る赤髪の…王弟へ、薄ら微笑みを向けた。



「ありがとう…ラン」


「いいって。気にすんな」



 ランティスの面には、笑みが張り付いている。作り物か、それとも心底か。

 長い付き合いの中で、わかることもわる。同じ程、わからないこともあった。別の人間なのだから仕方のないことだろう。

 けれど彼の歪な優しさが、ジュジュにとっても、ジュジュの大事な彼の人にとっても、柔く優しく…不憫にも思える時がある。



(けれど、私には、この子を救えない)



 ゆっくりと瞼を瞬かせた。

 自分の両腕は弱く、抱えられるものは限られている。そしてジュジュは、己の望みをはっきりと理解していた。



「俺は、お前らの望みを知ってる」



独りごちるように、ランティスが吐いた。「ついでに…あいつの願いも、わかってんだ」



 ジュジュの前に置かれたカップの底には、まだ少し紅茶が残っていた。構わずそれを下げたジーニアスが、新しいカップにもう一杯、紅茶を注ぎ、改めて彼女の前に置いた。

 手を出す気に慣れず、ぼんやりと視線だけカップへ向ける。



「ルーヴァベルトに、ファーファルの『花』がついた」


「…ッ!」


「当面、目障りなのは、俺の婚約者殿だろうさ」



 上半身を前のめりに座り直したランティスは、祈る形で両手を組むと、それを額に押し当てた。そのせいでジュジュからは表情が見えなくなる。辛うじて見えるのは口元。嗤う猫のように、弓なりに吊り上っていた。

 くっくと喉を鳴らして、ランティスが嗤う。



「レディ・ジュジュ。俺はな、心底腸が煮えくり返ってんだよ」



 良く響く低音が、地を這い響く。いつもの甘さは影を潜めていた。



「俺は、俺に牙を剥く奴も、俺の大事なものに爪を向ける奴も、許さねぇ…絶対に、だ」



 ジュジュは手を伸ばし、カップを取った。



 白い靄越しに霞んで見える男の姿は、燃える獣のように、歪に映る。

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