第68話-2

 扉が完全に閉まるのを確認し、マリーウェザーがほっと息を吐いた。



「いや、すごいですねぇ、ルー様」


「は?」


「あのミモザを陥落するなんて」



 そばかすの浮いた鼻の頭を指で撫でつつ、にんまりと口端を持ち上げる。小さな瞳をきょろりと回すと、肩を竦める。



「彼女、良い子だけど随分堅物でしょ。特に仕事に関しては完全に割り切ってるし」


「確かにミモザさんは有能。すごいと思う」


「デショ? そんな彼女が、ルーヴァベルト様には甘いって言うか…」


「…?」


「あ、全然気づいてないんだ」



 やっぱり、と吹き出した。

 車椅子に腰掛けた老婆は、そんな二人のやり取りを余所に、独りぷうぷうと眠たげだ。



「だってあの子が顔色変えて心配した所なんて、私、初めて見ましたよ! それに今だって! ルー様は特別なんですって!」


「よ、よくわかんないけど…」


「わっかんないかなぁ!」



 あのミモザが、どんな時でも表情を無にして業務に励むメイドの鏡が、この少女の前でだけ僅かに感情を表に出すのだ。

 それに関して、彼女自身が気づいているかどうかはわからない。だが、意図せず漏れ出た感情のように感じられた。

 そして、それを向けられる本人もまた、よくわからないという顔で首を捻っている。



(ま、そうだろうな)



 心の内で、マリーウェザーは独りごちた。

 ルーヴァベルトは手のかからない主だ。かつ、彼女自身が他人の助けを必要としていないように見える。



 ―――きっとそれは、死の間際でも変わらずに。



 一体、誰にならば甘えるのだろう。

 答えはわかっている。彼女が甘えるのは、彼女の家族だけ。

 兄と、この年老いた乳母。二人の前では、年相応の少女の顔をのぞかせて。

 …もし、同じような甘えを向けてくれたなら。



(…ッ)



 想像し、胃がきゅっと締め付けられた。

 きっとそれは、とてつもなく甘美だろう。

 ルーヴァベルトが微笑んで、柔く自分に縋ってきたら。

 この強い少女が。誰にも頼らず、自身の足で踏ん張っている彼女が。

 他の誰でもなく、自分の手を取ったなら。



(恐ろしいな)



 どうしようもない独占欲に絡め取られる気がして、考えるのをやめた。何せ彼女は、王弟殿下の婚約者殿。ランティス自身が囲い込んだ、愛しの君。

 決して手を出すべきではない。

 


 けれど。



(危なっかしいんだよな)



 難しい顔で考え込んでいる少女の顔に貼られた湿布。昨晩の夜会で一体何があったのかと、逡巡した。

 胸の奥がちくりと痛む。細い針が差し込んだような痛みは、決して誰にも悟られてはいけない痛みだ。マリーウェザーは茶化した笑みを浮かべたまま、そっと痛みを飲み込んだ。

 金属音をさせ、扉が開く。茶器を乗せたカートを押しながら、ミモザが入ってきた。

 花の芳香が、一段と増した気がする。

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