第59話
ユリウス・ガラドリアルに対する初見の印象は、「軽薄そう」だった。
肩まで伸ばした明るい茶髪に、緑がかった碧い垂れ目。長い前髪を一部束ね、頭のてっぺんでピンで留めている。臙脂の夜会服をさらりと着こなし、良く通る明るい声で取り巻きと談笑していた。それが全て若い女性なので、そう感じたのかもしれない。
シャンパングラスに口をつけようとした時、近づいてくる友人の姿に気付いたのだろう。ぱっと顔を輝かせ、青年は大きな声で呼んだ。
「ラン!」
それに、取り巻きも一斉に振り返った。視線の先に赤髪の男を捉え、令嬢らが驚いた顔をする。同時に、腕に抱えられた少女の姿に、眉を潜めた。
「失礼」彼女らに軽く押しやると、ユリウスが大股に近づいてきた。
心底嬉しそうに、破顔する。綻んだ口元には、八重歯が覗く。大型犬に似ている気がした。
「遅いじゃないか。遅刻だぞ」
「馬鹿言え、遅刻はしてない。ちゃんと間に合ってる」
「本当か? …ああ、アンリ! 来てくれてありがとう!」
「誕生日おめでとう、ユーリ。お招き頂き、感謝する」
「水臭い言い方すんなよ。もっとざっくばらんに祝ってくれ」
にこにこと明るい喋りながら、近くにいた給仕を指で呼びつける。盆に乗ったシャンパングラスを取ると、ランティスとアンリへ渡した。
「さぁ、飲め飲め!」
言いながら、すいと碧い瞳をマリュシカへ向ける。
「来てくれてありがとう、マリシュカ嬢。君は何を?」
「お誕生日おめでとうございます、ユリウス様。私も皆様と同じものを」
その場で簡易的な礼を取った少女へ、嬉しそうに肩を竦めた。どうやら顔見知りらしい。
次いで視線をルーヴァベルトへ向けた友人へ、ランティスが口を開いた。
「こいつには、ノンアルコールを」
「了解」
空の盆を手に待っていた給仕へ、シャンパンとノンアルコールの飲み物を指示する。給仕は一礼し、早足で飲み物を取りに向かった。
振り返ったユリウスは、改めてルーヴァベルトへ向き直る。たっぷり一拍、友人の腕の中に抱えられた少女を見つめた後、柔く眼を細めた。
「こちらが例の?」
咄嗟に、挨拶をしなければ…と思った。
が、肩を掴むランティスの力が強く、身動きが取れない。かといって、この場で押しのけるのもまずい気がした。何せ、先程からこちらの様子を、招待客たちが遠巻きに伺っているからだ。
「ランティス様」控えめに名を呼んだ。
「どうぞ離して下さいませ。ご挨拶申し上げたいので…」
すると、男は妙な顔をした。不満げに口を引き結んだのに、ルーヴァベルトは笑顔を張り付けたまま「張ったおすぞ」と横っ面を張りたくなった。一体何が不満なのだ。
一向に腕を離そうとしないランティスへ、苛つきを隠しながら、もう一度頼む。
「離して下さいませ」
「ん―…」
離せ馬鹿、という言葉が喉元まで出かかり、必死に飲み込んだ。笑顔を浮かべた口端がぴくぴくと震える。
このままでは、「王弟殿下の婚約者は、挨拶も録にできない」と評されてしまう。それはまずい。非常にまずい。鬼執事に知られたら、超絶にまずい。
脳裏に、どろりと濃い金眼を酷薄に見下ろしてくる姿が過り、身体が強張った。
(冗談じゃねぇっつの!)
こうなったら無理やり押しのけてやる、と胸の前で握った拳に力を込めた時だった。
「ふっは!」吹き出したのは、ユリウスだ。
手の甲で口元を押さえ、面白げに笑い声を漏らす。
「噂通りの溺愛っぷりだな、ラン」
噂、という言葉にルーヴァベルトが顔を上げた。張り付けていた笑みを崩し、怪訝げな表情を浮かべた彼女に、にこり、ユリウスが微笑みを向ける。
「この所、社交界はこの話題でもちきりさ」と、片目を瞑って見せた。
「かの王弟殿下は、流星の如く現れた深層の令嬢を溺愛し、片時も離さず閉じ込めてる…てね」
僅かに赤茶の眼を瞠った少女を、もう一度、まじまじと見やった。
「闇を溶かした漆黒の髪の儚げな美少女…ね」
独りごちるように呟くと、興味深げに双眸を細める。それから、慇懃に礼を取った。
「改めまして…お初にお目にかかります、お嬢様。私はユリウス・ガラドリアル。フロース五家の末席を汚すガラドリアル家の嫡男でございます。ランティス王弟殿下とは、学生時代より昵懇の間柄。どうぞお見知りおきを…」
流れるような所作で、ルーヴァベルトの手を取った青年は、そのまま甲へ唇を落とそうとし…失敗した。
寸でのところで、ランティスが少女の手を引き抜いたのである。
驚いた様子で、ユリウスが顔を上げる。後方では、アンリが額を抑え、マリシュカが重し面白げに口元を抑えた。
ルーヴァベルト自身も眼をぱちくりと、赤髪の男を見やる。彼は不満顔で唇を尖らせていた。
俄かに碧を見開き、ユリウスが吹き出した。今度は腹を抱え笑う。
「そんな…そこまで牽制せずとも、取ったりしねぇよ」
砕けた口調で、尚もひいひいと声を上げた。
「ってか、お前がそこまで入れ込むって、相当だな! あんだけ女に粉かけても、絶対に特定のを作らなかったお前が!」
「おい、俺が遊びまわってたみたいな言い方をするな」
「してただろ。あっちこっちでいい顔して…どんだけのご令嬢を勘違いさせたことやら」
「あっちが勝手に勘違いしただけだろ。知ったことか」
「おいおい、クズだねぇ」
「つか、お前に言われたくない。遊んでんのは、お前の方が上だろ」
「失礼だな。俺はいつでも、誰とでも、本気なんだよ、ランティス君。お前とは違う」
前屈みに笑うユリウスの動きに合わせ、手にしたグラスの中の液体がゆらゆら揺れている。中でくるりと円を描くように踊るシャンパンは、光を吸い込んで白に似た金に輝く。
更にむっつりと顔を顰めたランティスを余所に、一しきり笑い終わったユリウスは、眼の端に滲んだ涙を拭いつつルーヴァベルトへ向き直った。すると、警戒するようにランティスが彼女を抱き寄せると、また吹き出しそうになるのを堪えるように口を押えた。
その側では、先程から給仕が声のかかるのを待っていた。指示された通りに用意した二つのグラスが、淋しげに盆の上で煌めく。
それを手に取ると、一つをマリシュカへ渡した。もう一つはルーヴぁベルトへ差し出しつつ、ランティスへ悪戯っぽい視線を向ける。
「お渡ししても?」
茶化す口調に、ふんと鼻を鳴らしたランティスは、低く…けれど甘い響きのある声で一言「許す」と告げた。
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