第58話-2
さらりと発せられた言葉に、ルーヴァベルトは背中が泡立つのを感じた。寒気がするような、甘ったるい台詞。
思わず身を固くした婚約者殿を、ランティスは愛しげに抱き寄せた。心臓が大きく跳ねる音が、全身に響く。化粧と頭が崩れる、と押しやりたい気持ちを抑えつけ、両手を胸の前で握りしめた。
奇しくもその姿は、慣れぬ社交の場で王弟殿下に庇護される儚げな令嬢めいて、周りに映る。
ランティスの言葉に、驚き息を飲む音と、羨望のため息がざわめきの中に混じって聞こえた。
目の前の親子は、投げられた言葉に唖然と眼を見張っている。男の顔からは笑みが消え、娘は先程とは違う様子で顔を赤く染めていた。
「それでは、伯爵」にこりと灰青の双眸を細め、ランティスが言った。
「私はこれで失礼します。今夜の主役に挨拶をしたいので」
ルーヴァベルトの肩を抱いたまま、腕の中に抱える様に、半ば引きずる形で歩き出した。それに倣い、ファーファル兄妹も伯爵に会釈をすると後に続いた。
背中に親子が何某か言い合う声が聞こえる。抑えているものの、娘の声には怒りが滲んでいた。
四人が進む道を拓くように、客たちが避けてゆく。その度、好奇の視線を不躾に向けられる。時折肌がひりつくのは、その中に悪意が混ざっているからだろう。
けれど、ランティスはどこ吹く風だ。
我が物顔で歩を進める男の腕の中で、歩きにくさにルーヴァベルトは小声で囁いた。
「離して下さい」
「何故」
「歩きにくいです」
「もう少し我慢しろ」
機嫌よくそう答えたランティスは、更に強く少女の身体を引き寄せる。拍子に、前へつんのめりそうになり、思わずランティスへ縋りついた。しかし、がっちりとした体躯は少しも揺るがず、ルーヴァベルトを支えた。
不満げに視線を伏せた婚約者を横目で見やる赤髪の男は、酷く嬉しげに口元を綻ばせた。印象的な灰青の双眸は、とろりと甘く、ただ一人ルーヴァベルトにだけ注がれている。
その様子に、誰もが驚いて道を開けるのだ。
「凄いですわね」
マリシュカが兄へ囁いた。「お噂通りの溺愛っぷりで」
妹に顔を寄せつつ、アンリも苦笑する。
「あそこまでとは、私も思わなかったわ。今日は一段と凄いみたい」
思わず地が出た兄を、眼を瞬かせながら見やった。
「そうなんですの?」
「こないだ屋敷で会った際は、こんなんじゃなかったもの。牽制のつもりかしら?」
「まぁ、殿下ったら、お可愛らしいこと」
片手で口元を隠し、マリシュカが可憐に笑う。そうかしら、とアンリが首を捻った。
「女の子を引き合いに出して、粉かけてきた娘を追っ払うなんて、格好悪くない?」
「あら、違いましてよ、お兄様」
くすくすと楽しげに、令嬢が亜麻色の髪を揺らした。淡い色の薔薇のような唇を弓なりに、内緒ごとと声を潜める。
「殿下が牽制されているのは、ご令嬢方ではありませんわ」
「あら」
「あの殿下が、そこらのご令嬢を蹴散らすのに、ルーヴァベルト様のお力など必要ないでしょう。そんなことをすれば、あの方の矜持が傷つきます」
「そうなの?」
「そうですわ。殿下が牽制なされたのは…」
ちらと周りへ視線を流す。その先には、夜会に招待されている…男性客の姿。
彼らはあからさまな好奇の視線を、先に行く二人へ向けていた。
妹に倣ってそちらを見やったアンリは、怪訝げに眉を寄せた。
「…そんな、わざわざアイツのに手を出そうと思うかしら」
「中には、そういうお馬鹿さんもいらっしゃる、という話です」
「不憫ねぇ」
小さく肩を竦めると、改めて菫の双眸で妹を捉えた。妖精の如く可憐で美しいマリシュカに、至極真面目な様子で、低く問うた。「それで」
「君の御眼鏡には適ったのかい?」
社交用の顔に戻った兄を、ひたと見上げた少女は、恥じらう仕草で…どこか妖艶に、同じ菫の瞳を細めた。
ああ、お兄様。
「私、是非ともルーヴァベルト様と、仲良くなりとうございますわ」
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