第60話

 程なく、広間に音楽が響きはじめた。

 顎をしゃくってボーイを呼んだランティスは、中身を半分程飲んだグラスを渡した。ルーヴァベルトのそれも一緒に渡してしまったが、結局一度も口をつけなかった。想像以上に緊張しているらしい。



「では、婚約者殿」



 にこりと笑みを添えて、ダンスへ誘われる。手を引かれるままに、広間の中心へと足を進めた。

 その後ろでは、アンリが妹の手を取り続く。ユリウスは、いつの間にかどこぞの令嬢をエスコートし、その腰に手を置いていた。


 等間隔にそれぞれが立ち、パートナーと向かい合う。勿論、ルーヴァベルトの相手は王弟殿下。赤髪の男は彼女の腰に手を置くと、もう一方でルーヴァベルトの手を握った。

 緩やかなリズムが、徐々に明るく軽快なものに変わって行く。それに合わせ、皆がダンスを楽しみ始めた。


 が、ルーヴァベルトは思う。「これのどこが楽しいのか」と。


 広間とは言え、人がひしめき合った場所で所狭しとくるくるターンを決めるだけのダンスが、どうも面白いとは感じられない。そもそも、膨らんだドレスのスカートがパートナーに圧され、足がもつれる。それでさえ自信のないステップに、何重にも重なったペチコートが絡んで動きにくいのだ。


 てんで面白くもない…という本音を押し隠し、ルーヴァベルトは出来うる限りの笑みと、鬼執事に叩き込まれた足捌きで、それなりにダンスを楽しんでいる振りをした。


 お相手の王弟殿下はというと、相変わらずにやにやと愉快そうな顔で、婚約者とのステップに興じている。これがまた、男のダンスが上手いものだから、流石王族かと内心皮肉った。

 何度か屋敷で最終調整宜しくダンスのお相手を願った際も、華麗に完璧なリードをして下さった為、何だか腹が立ったのを思い出す。あの瞬間の「どうだ、俺、かっこいいだろう」という顔は、この屋敷に来てから見たランティスの顔の中でも、上位に食い込むくらい腹が立つ表情であった。

 今も、若干その顔である。笑顔のまま舌打ちをしかけ…何とか留めた。



 そんなルーヴァベルトの心の内など露知らず、のびのびとターンを決める王弟殿下を、遠巻きに令嬢らが見つめていた。頬を染める彼女らの中には、たまらずため息をつく者もいる。

 皆、ランティスへ少なからぬ想いを抱いていた少女たちだ。


 特定の女性を作らない主義であった王弟殿下が婚約した、と実しやかに噂され出したのが、つい一か月程前の話。

 根も葉もない与太話かと思いきや、どうやら本当らしい…と青ざめた令嬢らは、件の婚約者殿が、まだ社交界デビューもしておらぬどこぞの馬の骨と知り「せめて、一目顔を見てやらねば治まらぬ!」と息巻いて、この夜会に繰り出してきたわけだ。一様に、相手によってはまだ勝機があるのでは、という淡い期待を胸に秘め。


 かくして、麗しの赤き王弟にエスコートされて来たのは、何とも平凡な顔の娘だった。

 綺麗に着飾っている。装いは王弟殿下に合わせた色合いで、華やかだ。楚々とした笑顔も、令嬢らしい。



 ―――しかし、「王弟殿下」の隣に並び立つには、些か物足りなさを感じる少女。



 エスコートする王弟殿下の雄々しい輝きや、後ろに続くファーファル兄妹の美麗さの中では、一層霞んで見えた。


 何で彼女が…あの程度の女が。


 そう感じた者は少なくない。怒りすら感じる者もいたようだった。



 けれど。



 広間の中央で、王弟殿下が踊る。件の婚約者殿を腕に、踊る。


 その顔は、甘く、柔く―――見たことのない、艶っぽいもの、で。



 灰青の双眸は、ただ一人、腕の中の令嬢へ向けられていた。他には目に入らぬと、そう宣言した通りに。


 誰もが知っている。彼の人が、かつて分け隔てなく令嬢らに声をかけた時も、印象的な双眸は全く熱を帯びていなかったことを。


 誰もが知っている。彼の人にエスコートされたところで、手を添えても、決して抱き寄せることなどなかったと。


 誰もが知っていた。あの瞳に、「女」が映ることはあっても、「自分」が映されることなどない、と。



 シャンデリアの光が、広間に白銀の輝きを落とす。その中で、赤い髪は燃える様に美しい。まるで生きた炎だ。

  

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