第54話-2

 ふと、足元の黒い塵を見とめた。

 先程、ランティスが火をつけた燃えかすだ。



「私用の手紙だから気にすんな」書類から顔をあげず、ランティスが言った。



 と、不意に、サインをする手を止める。思案気に眉を顰めたかと思うと、徐にアーベルを見やった。



「なぁ」怪訝な表情で、首を捻る。



「俺って、薄情か?」



 唐突な質問に、補佐官は眉を潜めた。青白い顔を怪訝そうに、碧眼を丸くする。



「どういうことでしょうか」


「女性から、薄情だ、と怒られた」



 ペンを走らせながらも、仕切りに頭を捻っている。珍しく思い悩む様子で、先程まで無表情だった顔が、今は子供の様にふて腐れていた。

 ええと、と言葉を選ぶように、アーベルが視線を泳がせた。



「それは…殿下が袖になさった女性から、でしょうか」


「ばっか、違う」


「では、婚約者様ですか」


「…あいつに、薄情って言われたことは無い」



 別の事はあるのか、と内心思ったが、口を噤んだ。ランティスの顔が、更に難しいものになったからだ。

 一体誰から言われたのかはわからないが、王弟に対しそんな不遜なことを言い、許される立場の女性なのだろう。深入りはすまい、と、さらりと流した。



「薄情、とは思いませんが」サインの終わった書類を取り上げ、処理済の箱へ終いながら答える。



「殿下は何を考えていらっしゃるかわかりかねる時がありますので、そういう点を指して、薄情、と評している可能性があるのでは」


「えー?」


「これは僕個人の認識ではありますが、多くの女性は、結果どうなった…という部分よりも、その過程がどうであったか、という部分に重きを置くように存じます。ですので、殿下がなされた事が結果良いものであったとしても、そこに至るまでの過程が気に入らなかったのでは」



 ちらと上司を見やれば、眉を顰め、実に不服といった様子で、処理を続けている。

 口が過ぎたかとも思ったが、怒らせた様子はないのでほっとした。まぁ、この程度で怒る狭量な相手ではないけれど。


 しばらく無言で仕事を続けていたランティスだったが、徐に口を開いた。



「俺は、優秀だと思わんか」


「はぁ」



 何を言い出したのかと、間の抜けた返事をしてしまう。突然どうして自画自賛か、と眼をぱちくりさせた。

 けれど至極真面目な顔で、ランティスはアーベルを見た。印象的な灰青の双眸が真っ直ぐと、人好きする精悍な顔は真摯な表情で、無駄に恰好良い。アーベルとしては、別に見たくもない恰好良さであったが。



「ついでに、要領もいい方だと思う。勝負にゃ強いし、ここぞというところで失敗もせんし」


「確かにそうですね」


「だよなー!」



 勢いづいた赤髪の男だったが、すぐにしおしおと萎れ、手を止めた。サインを終えた書類を脇に除けると、額を抑え、机の上に突っ伏してしまう。



「で、殿下?」


「なー、アーベル」



 頭を捻って部下を見やると、唇を尖らせ言った。



「何でか俺、こないだから、失敗続きなんだよ」


「えーと、それは…」


「何でかわかんねぇけど、あいつの事になると、全部間違える」



 あいつ、が誰を指すか、聞かずともわかった。


 まだ見ぬ婚約者殿…評判と憶測だけが独り歩きする、殿下の愛し人。


 視線を宙へ投げ、大仰にため息をついた。



「大切にしたいんだよ」独りごちるように、呟いた。



 大切にしたい。

 傷つけたくない。

 こっちを見て欲しい。

 笑ってくれないか。

 できれば、ほんの少しでも好きになって。



「でも、全く駄目なんだよなぁ…」



 記憶の中に浮かぶ少女を想うのか、口をひん曲げた。

 アーベルは驚いた。上司のこんな姿は初めて見たからだ。



(すごいな…)



 その、婚約者殿は。


 不遜で勝手、自信が人の形をとってそこらを闊歩しているような男で、人前でこうも弱音を吐くことなど今までなかった。

 それがどうだろう。まるで、初心な少年のようで。

 茶化す気にもなれなかった。むしろ、恐ろしさに背筋が寒くなる。

 アーベルは、ランティスと言う男を知っている。赤髪の王弟殿下は、明るい笑みの下に、とてつもない怪物を勝っているような男だ。自分に害無い相手には塵とも関心はないくせに、少しでも敵意を見せようものなら、予想だにしない手で追い落とす。

 そのくせ他人に関心が薄く、誰にも平等に優しく振る舞って見せる。

 そのせいで、勘違いをする令嬢も少なくない…とアーベルは思う。正直、ランティス相手であれば、一晩抱き捨てでも良いと言い出す令嬢も少なくないのだが、どれだけ豊満な美女も控えめな美人も、ランティスにとっては等しく「どうでもいい」相手なのだと気付いた時、男を自分の物差しで測るのをやめた。

 同時に、ランティスの置かれた状況を思い、少しばかりの同情もする。

 王弟殿下は優秀で、無敵とばかりに自信に溢れ、そして何もかも「どうでもいい」強さを持つ…それに少なからず惹かれているのは確かで、だから何だかんだと文句を言いつつ、アーベルは補佐官であり続けるのだ。


 そのランティス、が。


 ごくり、と唾を飲み込んだ。慰めた方がいいのかと言葉を探した。いやしかし、この男を慰めるなんて、自分には重荷過ぎる。



「ほ、本当に愛していらっしゃるのですね」



 やっとこさ捻りだした言葉に、引きつった笑みを添えて続けた。「婚約者様を」

 宙を泳いでいた灰青の焦点が、アーベルの碧眼へ合った。ゆっくりと震わせた睫毛。にんまりと三日月に歪む。



「ああ」うっとりと、呟いた。



「俺は、あいつを、愛してる」



 背を冷たい指がなぞる。ぞっと鳥肌が立った。



 執着…というものを、目の当たりにした気がし、引きつった笑みを作ることしかできずに立ち尽くした。

  

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