第37話

 恐ろしいな、と、内心背筋に冷たいものを感じつつも、最後まで笑顔でアンリを見送った。


 あの後、暫くして戻ってきたランティスとアンリが雑談をする場に一緒にいたけれど、正直、何の話をしていたのかよく覚えていない。ただ、談笑する男二人の顔を見る度、薄ら寒い気分になった。

 ランティスにしろアンリにしろ、上辺と裏側が、全く違う気がする。



(貴族ってのは、そういう生き物なのか)



 全部が全部そうであれば、気が滅入る話だ。城下での生活へ戻りたい、と駄々を捏ねたくなった。貧乏だけれどあけすけな日々が懐かしい。


 玄関先から見送る馬車が見えなくなったところで、思わずため息をついた。



「疲れただろう」



 並び立つ赤髪の男が、顔を覗き込んできた。客人が居なくなった途端、不機嫌さを露わにしたルーヴァベルトは、ふいと横を向く。



「疲れたというより、座ってばかりで身体が痛いです」


「お前、ずっと姿勢良かったもんな」


「お客様の前でしたんで」



 つんけんと答える彼女に、ランティスは顎を撫ぜた。ふむ、と頷くと、ルーヴァベルトの手をとる。



「じゃ、ちょっと気晴らしに庭にでも行こう」



 そう言うと、返事も待たずに歩き出した。

 

 

 






 

 







 

 

 

 半ば引きずられる形でやってきた中庭は、丁度見頃の花々が、色を誇示するように咲き誇っている。


 朝の鍛錬では足を踏み入れることのない中央部分の花壇の鮮やかさに、ルーヴァベルトは眼を奪われた。ぐるりと見回すと、そこかしこに様々な色が揺れている。特に大きな牡丹の花は艶やかで、悠々と風に揺れる花弁は高貴な人のように見えた。

 息をすると、その度、花の香りが鼻腔を擽る。むせるほどではない。けれど、視界いっぱいの景色と相まって、眩暈を起こしそうだ。



「美しいだろう」



 ルーヴァベルトの手を握ったまま、満面の笑みでランティスが胸を張る。



「うちの庭師は、腕がいいんだ」


「本当ですね」



 素直に感想を述べた。

 別段花が好きなわけではないルーヴァベルトですら、心奪われる景色。この一か月、まともに庭へ目を向けなかったことが悔やまれた。



「すごい…」



 木陰から走り抜けた風が、ひやりと肌を撫ぜてゆく。煽られ揺れるモッコウバラの黄色。色が深くなりつつある緑の枝葉も、気持ちよさげに見えた。



「気に入ったか?」


「綺麗だと思います」


「そうか」



 簡潔な回答も、ランティスは嬉しそうだ。硝子玉の双眸を細め、じっとルーヴァベルトを見つめている。仄かに頬が赤らんでいるが、彼女は気づかない。



「少し歩こう。向こうに、東屋があるんだ」



 ぼんやりと景色に見入っている婚約者殿の手を引くと、思いの他素直に従い歩き出す。きょろきょろとあちらこちらへ視線を向けているところを見ると、随分お気に召したらしい。


 それは、初めて見る表情だった。しきりに目を瞬かせる様子は、子供の様で可愛らしい。普段、不機嫌そうな表情しか見ていない分、ランティスの心は躍った。

 上手くいけば、また笑顔が見れるかもしれない。今度は、作り物で無い顔が。

 握る手にきゅっと力を込めた。握り返されることはなかったけれど、触れていることが嬉しい。ああ、俺もまるで子供だ、と夢見心地で独りごちた。


 庭の奥にあるこじんまりとした白い東屋に着くと、ルーヴァベルトを座らせ、その隣に腰を降ろした。

 東屋では、空を覆う形で藤の花を揺らす。小さな鈴が連なるような藤色の房は、葉の緑、隙間から覗く天の青と相まって、御伽噺の一ページのようだ。


 そわそわと景色に見入っている婚約者殿を、にこにこと見つめていると、不意にルーヴァベルトがランティスを振り返った。


 そこで初めてランティスの存在に気付いたとでも言うように、はっと猫目を見開いたかと思うと、途端に眉間に皺を寄せる。


 未だ繋いだままの手に視線を落とすと、低い声で尋ねた。



「手、放してくれませんか」


「嫌だ」



 即座に返す。むっと唇を引き結んだルーヴァベルトに、これ以上にない笑みを向けた。



「放して下さい」


「断る」


「ちょっと」


「このまま手を繋いどくか、それともこの場で押し倒される方がいいか、選べ」


「おしっ…!」



 ぎょっと目を剥いたルーヴァベルトは、一度瞠目し、大きなため息をついた。

 それ以上振りほどこうとはせずそっぽを向いた彼女の沈黙を、是として受け取る。してやったりと満足げなランティスは、もう少し側に寄ろうとしたが、結局やめた。今度こそ、わき目も振らずに飛んで逃げられそうだ。



 もう少し距離を詰めたい。


 もっと触れたい。


 ままならぬ欲を、静かに腹の底に沈めた。


 こうして並び、指を絡めるだけで良しとしよう。今は、まだ。



 初夏に向かう風が薄紫の房をゆらしている。緩く波打つ小花が涼しげだ。

 ルーヴァベルトは黙ったままで花を見上げている。肌に薄く藤の色が映り、いつもよりも透けて見えた。彼女らしい気の強さが今は形を潜め、横顔だけ見れば儚げな印象を受ける。

まるで普通の令嬢のように。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る