第36話-2

「悪いな、急用だ」とアンリへ詫び、腰を屈めてルーヴァベルトの頭へ唇を落とした。一瞬、赤茶の瞳が伏せられる。が、すぐに同じ微笑みを顔に貼りつけた。



「少し席を外す。アンリ、ルーヴァベルトを頼むぞ。ジーニアスはここに残れ」


「承知致しました」



 頭を下げた執事の横を颯爽と通り抜けると、さっさと部屋を出て行った。廊下に控えた使用人が、静かに扉を閉めた後、その後を追う足音が聞こえた。

 残された客人は、あらまぁと肩を竦める。



「慌ただしいわねぇ」


「申し訳ありません」


「いいのよ。相変わらず、忙しいんでしょ」



 気にせず立ち上がったアンリは、するりとルーヴァベルトの隣へ腰を降ろした。警戒からか流石に表情をこわばらせた彼女に、青年は朗らかに告げる。



「ちょっと見せてね」



 言うや否や、顔を寄せた。ぎょっとしたルーヴァベルトは、即座に身を引こうとし、堪えた。ひたと向けられた菫色の視線が、真剣なものであったからだ。

 アンリの指先が、頬に触れる。



「嫌だったら言ってね」



 確かめるように肌をなぞり、ルーヴァベルトの瞳を覗き込む。赤茶の双眸は、警戒を解かぬままに、それでもじっと瞬きすらしない。

 ほんの僅かな間だった。すぐに身を放したアンリは「そうね」と独りごちる。



「今使ってるのは、ウチの化粧品みたね。基礎化粧品もそうかしら」


「主の指示でそのようにさせて頂いています」


「そうなの? いい奴ね、あいつ」



 ジーニアスの答えに、嬉しげに目を細めた。



「肌に合ってたみたいでよかった。肌荒れも出てないし、今あるのをこのまま使ってもらったのでいいわ。お粉も肌色と合ってるし…今回は、色物類を見立てるだけでよさそう」


「宜しくお願い致します」


「任せて頂戴」



 そう言うと、膝に置いたルーヴァベルトの両手を取った。指先をまじまじと見つめるアンリに逆らわず、少女はされるがままになっている。しかし、自分を見ていない相手へ向ける顔から、表情が抜け落ち、伺うような視線を向けている。


 不意にアンリが顔を上げた。

 赤茶の猫目と目が合うと、ふふっと声を上げる。



「ルーヴァベルト嬢は、何色が好き?」



 一瞬惑い、彼女は答えた。「青や緑…です」

 やっぱりね、と青年が頷く。



「お化粧やお洒落は苦手?」


「…」


「飾り立てられるの嫌いなんですっけ? すっごい薄化粧だもの…。ついでに、ピンクやふりふりも苦手そう」


「…そう、です」



 もごもごと口ごもる相手に、アンリは楽しげだ。握っていた手を離し、顔にかかる髪を横へ指先で横に流した。



「そうよね。だってそのドレス、全然似合ってない」



 視線が下を向き、リボンがふんだんにあしらわれたドレスを、気の毒そうに見やる。折角綺麗な色なのにね、と呟いた。



「やっぱり似合ってませんか」



 妙にほっとした表情でルーヴァベルトが問うた。その顔に、アンリは苦い笑みを浮かべた。



「似合ってないわ。嫌々着てるドレスは、似合う訳がない」



 言いながら卓上の箱へ手を伸ばす。選ぶ手つきで中を探りながら続けた。



「肌の色髪の色、瞳の色に似あう色合いってのは確かにあるわ。その色を身につければ、本人を何倍も魅力的に見せるってのも本当。でも、それが総じて本人の好きな色ってわけじゃないの」


「へぇ」


「だけど、好きな色を着たいって娘も多いわ。そういう娘は、合ってる合ってない関係なく、好きな色を着るの。でもそういう娘に限って、とび切り素敵に似あっちゃうのよね」



 取り出した陶器の入れ物をいくつか卓上へ並べる。青や黄色、紫にも見えるピンク色等の粉が入っていた。



「好きであったり大事にしているものって、何であれ、最終的には自分に添ってくるものなのよ。だから、似合うようになるの」



 容器の一つを取り上げると、右の小指に粉を少しばかりとる。ルーヴァベルトに瞼を閉じる様に言い、そっとそこへ色を引いた。青みが強いピンクが、淡く瞼に乗る。



「好きとか嫌いとか、そういう感情は本人の内側の問題だから、外野がとやかく言う問題じゃない。嫌いなものを好きになれって言われて。土台好きになれるはずがないの。けれど、最初からそっぽ向くんじゃなくて、少しくらい向き合ってあげてもいいんじゃないかなって思うわ」



 もう一方の瞼にも色を乗せると、人差し指で優しく撫ぜて際をぼかした。満足げに笑う。



「見る角度を変えたら、悪くないと思えるところが見つかるかもしれないでしょ。それって素敵じゃない?」



 箱の中から手鏡を取り出した。それをルーヴァベルトに渡すと、覗くように促す。

 綺麗に磨かれた鏡面を覗き込んだ少女は、睫毛を二度、瞬かせた。わぁ、と小さな声を漏らした。



「夜明けの、空だ」


「良く似合うわ」



 自分の両頬に手を当て、アンリはうっとりと菫の双眸を細めた。「やっぱり女の子がお化粧するのって、素敵ね」と嘆息する。



「後は笑顔ね」


「え…」


「個人の意見だけど、お化粧の色って、笑顔の時が一番綺麗に見えると思うの」



 ねぇ、ルーヴァベルト嬢、と呼ぶ。



「いずれでいいから、貴女の本当の笑顔、見せて頂戴ね」

  

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