第34話
料理長の言付けに従い、応接間の前に立つ。
扉をノックする前に、細く息を吸い込んだ。同じ程細く吐き出すと、しゃんと背筋を伸ばす。
扉の向こうに、あの男がいる。
僅かばかり憂鬱な気分だが、これも仕事の一環だ、と自分に言い聞かせた。
コンコン―――ノック音から一拍置いて、内側から扉が開かれる。隙間から灰髪がしゃらりと見え、無表情なジーニアスの顔が覗く。どろりと濃い金眼でルーヴァベルトの姿を見止めると、一礼し、中へと招き入れた。
応接間に呼ばれたということは、ランティスの他に、誰か客がいるのだろうか。用心にこしたことは無いと、叩き込まれた令嬢の歩みでしずしずと室内へ入る。横から感じる鬼執事殿の凍える視線に、失敗は許されないと気が引き締まった。
が、室内の様子に、取り澄ました表情は、脆くも崩れ去った。
「なん」
だこれ、と口から飛び出そうになり、慌てて口を噤む。薄く紅を引かれた唇を引き結ぶと、ごくりと言葉を飲み込んだ。
紅い絨毯に、大きく広げられた分厚い敷布。その上に、これまた色とりどりの布が、所狭しと並べられていた。
立ちすくむルーヴァベルトに、ソファに座っていた人物が、さっと立ち上がった。
「これはこれは、お美しい!」
大声に驚き、視線を向けた。にこにこと笑う中年の男が立っていた。背が低いが、横幅はあり、見た目が丸い。てかてかとした顔のパーツはどれも小ぶりで、鼻の下のちょび髭ばかりが目立つ。
大きな羽根のついた帽子に、柄に柄と柄を重ねた柄の衣装が目に痛い。色味も、何故それを選んだ、と思う原色。個人の趣味事であるため、口には出さないが。
「来たか」
男の向かいに座った赤髪が、首を捻ってルーヴァベルトへ視線を向けた。灰青の瞳と目が合うと、にこりと微笑みを投げられた。
ランティスの声に、すうと腹の中が冷えた。役割を熟さなければ、とドレスの裾を撮むと、腰を落とすように礼の作法を取った。
「お待たせ致しまして、申し訳ございません」
睫毛を伏せ、頭を下げる。薄く開いたままの視界に、ピンクのドレスと装飾のリボンが映った。自分がこのドレスを着ている、という悪趣味さを思えば、客人の衣装にあれこれ難癖をつけることもできないな、と心の内で自嘲した。
構わない、と軽く手を振ったランティスは、その手をそのまま羽根帽子の男へ向けた。
「仕立て屋だ」端的な紹介に、男は帽子を取ると、仰々しい礼をとった。
「お初にお目にかかります、ルーヴァベルト様。ワタクシ、服飾を生業としておりますデジニア、と申します。以後、お見知りおきを」
「ルーヴァベルト・ヨハネダルクですわ」
目下の物にとる簡素な礼を返す。頭を上げたデジニアは、まじまじとルーヴァベルトを見やる。頭のてっぺんからつま先まで、舐めるような眼差しは、不躾と言って相違ないものだった。
何だこいつ、という心を隠し、口元に薄く作り笑いを浮かべて見せる。
一通り吟味が終わったのか、にこり、とちょび髭の下の口に笑みを浮かべると、男はランティスへと顔をむけた。
「早速、よろしいでしょうか」
「ああ、やってくれ」
広げられた布地をあれこれ手に取り吟味を始めたデジニアは、何やらぶつぶつと独りごちている。時折ちらりとルーヴァベルトを見ては、また布を見る…を繰り返していた。
わけもわからず突っ立っていると、ランティスに呼ばれる。
「こっちに来て、座れ」
自分の隣を示して、にんまりと笑っている。げぇ、と思ったが、無表情に頷いて見せた。
素直に腰掛けると、僅かに開けた隙間を詰めるように、ランティスが座り直す。正面を向いて座るルーヴァベルトに向かう形でソファに持たれ、背もたれに頬杖をついた。
(近い)
何のためのでかいソファだ、除けろ…と内心悪態をつく。眉間に皺が寄りかけたルーヴァベルトは、視界の隅に黒い執事服が入り込むのに気付いた。
途端、脳裏に冷たいテノールの叱咤が蘇った。
―――内情がどうであれ、貴女は旦那様のご婚約者。常に周りからはそう扱われると、お忘れなきよう
あの瞬間のジーニアスを思いだし、ゾッと背筋が冷えた。暗に「忘れたらわかっているな」と念押しされた気がした。
(そうだった。今は、客がいる)
そして隣にはランティス。自分とこの男は「婚約者同士」なのだ。
改めて腹に力を込めると、すいと顔を上げた。眼差しを隣へ流し…にこり、と微笑みを作る。
上機嫌な様子で座っていた男は、不意に向けられた表情に、眼を丸くした。硝子玉のように澄んだ灰青を見開き、食い入るようにルーヴァベルトを見つめている。驚きに口が半開きになっている。
それはそうだろう、と思う。ルーヴァベルトの記憶が正しければ、この赤髪の前で笑ったのは初めてのはずだ。
(そんなに仲良くない相手から突然笑いかけられたら、そりゃ気味が悪いよな)
少しだけ、胸がすく。ざまあみろ、と心の内で舌を出した。
固まってしまった相手からさっさと視線を仕立て屋へ向けたルーヴァベルトは、途端に頭を抱えた男の耳が、髪よりも赤く染まっていたことを知らない。
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