第31話-2

 秘密の場所は、ルーヴァベルトの部屋から少し離れた庭の端だ。丁度四方を木に覆われ、周りから目隠しができている。枝葉の中の狭い空間だが、ルーヴァベルト一人ならば十分な広さだ。贅沢は言っていられない。


 こそこそと部屋の外まで戻ると、木を伝って部屋の中に入った。窓辺に腰掛け布で足裏を拭くと、着ていた服を脱いで、ベッドの上に放っておいた寝間着に着替える。脱いだ服は私物入れに押し込んで隠した。今度、風呂に入る時にこっそり洗おう。

 まとめていた髪を解いたところで、扉がノックされた。



「失礼します」凛とした声と共に、寝室と応接間を繋ぐ出入口が開かれた。時間通り、ミモザだ。



「おはようございます」



「おはようございます」



 いつも通りの挨拶を熟すと、彼女はワゴンを押しながら室内へ入った。


 ワゴンの上にはガラス製のコップと水差しが乗っている。貴族というのは起き抜けに紅茶を飲む習慣があるらしく、貴族らしい貴族の仲間入りを果たしたヨハネダルク家の兄妹にも、毎朝紅茶が配されることとなった。

 しかし、ほぼ水しか口にしてこなかった二人は、毎度毎度出される紅茶で早々に胃が荒れた。普段よりも質も量も変わった食事に関しては全く問題なかった兄妹だったが、紅茶の刺激には耐えられなかったらしい。

 結果、二人に提供される飲み物は、極力水かミルクに、となったわけである。


 ルーヴァベルトが水を飲んでいる間に、ミモザが着替えの準備を整えていく。ドレッサーからドレスを取り出し、それに付随する小物を黙々と揃えていた。


 当初はいちいち「今日はどのドレスにするか」「小物は何を」「髪型は…」と確認してきていたメイドも、ルーヴァベルト自身に全く拘りも主張もない事と、むしろそれ自体煩わしく感じていることに早々に気付き、以降勝手に誂えてくれるようになった。


 正直とても助かっている。ドレス云々、小物云々、色合わせに流行等々…全く分からない。どれもこれもゴテゴテと動きにくいだけに感じる。後、重い。


 そんなわけで、基本ミモザの見立てを大人しく着ている次第だ。流石に夜会風の豪奢な黒ドレスだけは拒否したけれど。


 本日はピンクのドレスである。白いレース地が何重にも重ねられ、土台のピンクが淡い白にも見える。各所に散りばめられたリボンとパールビーズが死ぬほど可愛らしい。そう、死にそうだ。顔が死ぬ。勘弁してくれ。


 そう思いつつも、大人しく身支度を整えられた。

 せめて、レースとビーズとリボンをむしり取って、ついでに色もくすんだ色であったならよかったのに、と毎度思う。思うだけで我慢しているのだから、自分は偉い。



 着替え終ると食堂へ向かった。


 食事の事を考えると、途端に心が弾む。量も内容も申し分のない食事の時間だけが、今のルーヴァベルトにとって、心の支えだった。

 食事のマナーをジーニアスに習ってからも、毎食の食事方法は当初と変わらぬままだった。大衆食堂のように大皿で提供され、それを取り分けて食べる。いつ食事がフルコース形式に変わり、少量をゆっくり、かつ鬼執事の監視下で食べるようになってしまうのかと戦々恐々していたが、今の所その気配が無いのでほっとしていた。


 食堂に着くと、いつも通り自分の席へついた。ばあやはマリーウェザーと共に既に着席している。

 ルーヴァベルトに遅れ、エヴァラントもやってきた。相変わらずボサボサ頭に瓶底眼鏡だったが、この一か月近くで随分小奇麗な見てくれになった気がする。やはり身に着ける物で印象は大分変るものなのだろう。

 一番最後に食堂へ入ってきたのは、屋敷の主ランティスだ。



「おはよう」



 口元に笑みを浮かべ、大股に自席へ向かう姿は、いつも通り自信に溢れて見える。

 小さく会釈をしつつ挨拶を返したルーヴァベルトは、つんと硬そうな赤髪を横目で見やり、おや、と目を瞬かせた。


 この屋敷に来てからこちら、毎日決まって濃紺の軍服に身を包んでいたランティスだったが、今朝は様相が違う。


 襟高の白いブラウスに、暗い灰色のベストを合わせている。一見豪奢な印象を受けないが、しっかりと厚い生地はきっと高級なものなのだろう。

 向けられた視線に気づいたのか、ランティスの灰青の双眸がルーヴァベルトを見た。目が合った瞬間、思わず眉間に皺が寄る。彼は気にせず、にんまりと笑った。



「今日は、休息日だ」



 先回りした回答に、「はあ」とだけ答えた。と、側に控えたジーニアスにじろりと睨まれ、慌てて「そうですか」と付け加える。鬼執事を怒らせると、後が怖い。


 居ずまいを正したところで、続々と料理が運ばれてきた。次々に並べられてゆく品に、すぐにルーヴァベルトの思考は食事へと切り替わる。鼻腔を擽る美味しそうな匂いで、口の中に唾液が広がった。先程までとは打って変わって爛々と輝く瞳で、ぐるりと食卓を見回した。


 スクランブルエッグに腸詰肉、サラダ、パンとスコーン…。品数は多くないが、ルーヴァベルトにとってはご馳走に違いない。


 ランティスにはジーニアスが、兄とばあやはマリーウェザーが。そして自分にはミモザが取り分けてくれるのを待って、猛然と、しかしジーニアスに目をつけられぬように気をつけながら食べ始めた。


 そうなると周りの様子が見えなくなるルーヴァベルトを、今日もまた、ランティスが満足げに見つめていることにも、気付かなぬままに。

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