第29話-5

「けれど、民の後ろ盾というのは存外大きな力なのです。そして…聖教会とフロースの一つが、古くから手を結んでいるのですわ」



 五つの紋章の内、一番教会の紋章に近い位置にある一つを指差した。桔梗の花を模した家紋だ。



「この家は代々聖教会の敬虔な信徒。精霊王を妄信している一族なのです」


「もうしん?」


「我が国の王は、精霊王その人であるべきだ、と」



 うわぁ、と心の内で呟いた。顔には出てしまった。露骨に嫌な顔をしたルーヴァベルトに、「本当に素直で、素敵な方!」とジュジュが笑った。



(精霊王であるべきって…馬鹿じゃないか)



 実在したかどうか云々はさておいて、既に「死んだ」とされているものを、どう王位に据えようと言うのか。夢見がちも大概にしろ、と思う。

 そんな輩が国を動かしているのかと思うと、頭が痛くなる話だった。



「馬鹿馬鹿しいとお思いでしょう」



 苦笑交じりにジュジュが言った。けれど、そう考える人間が、確かにいるのだと。



「彼らは…回帰主義者と呼ばれる一派なのですが、一貫して『王位につくのは継承権の順位ではなく、精霊王の血を濃く宿すものである』と主張されていますわ」


「精霊王の血…って、子供いたんですか? 精霊王は」


「はっきりとした伝承は残っていませんが、妻を娶ったとされているので、子供もいたのではないかとする歴史学者もいます」


「じゃぁ、その子供の子孫を探し出して、王様にしたいって話ですか」


「まぁ、それこそ夢物語だわ」



 実際はもっと簡単で複雑だ、と彼女は続ける。



「彼らが言うには、『血の濃さ』は体現されるもの、だそうですわ」


「また馬鹿馬鹿しい予感がします」


「ご明察。全くもって、馬鹿馬鹿しい話ですの」



 体現する…つまり、精霊王を思わせる姿形をした人間こそが、王に相応しいと主張しているのだと言う。

 流石に呆れ、それを隠そうともせず、ルーヴァベルトはため息をついた。あまりに馬鹿らしくて白目を剥きそうだ、と独りごちる。



「顔さえ精霊王っぽかったら、どんな阿呆でも良いってことですか」



 想像以上に馬鹿な妄信だった。そんなことになれば国が荒れるどころではない。早々に滅びてしまうだろう。

 何故そんな馬鹿に権力を持たせたのか、と頭を抱えた。同時に、中等学校ではこんな話を聞いたことが無い、と思う。



(庶民にゃ知られない方がいい話ってか)



 既に昨日叩き込まれた淑女の座り方とやらを崩してしまっていたルーヴァベルトは、机に頬杖をついた。布地とレースでできたドレスの下で、股が開いてしまっていたが気にしない。

 話を聞いているだけで、何だか疲れた。

 やはり座学には向いていないな、と思う。



「流石にとんでもない人物を王位に推すわけにはいかなかったのか、今までは主張するだけで早々誰かを担ぎ上げてくるということはありませんでした。歴史上、何度かはあったようですが…どれも失敗に終わっていますわ」


「よく家がお取り潰しになりませんでしたね」


「そういう点では、非常に巧妙な御家柄なのですわ」



更に、この家は聖教会の後ろ盾があるらしい。精霊王云々の繋がりだろうが、もっと生々しい関係なのかもしれない。

 けれど、彼らの中で不満は永く燻っていたのだろう。何度挫けようと、その思いは消えぬまま。



「だからこそ、彼の方の存在は、彼らにとってまるで天啓であったはずです」


「誰です?」



 頬杖をついたまま首を傾げて見せると、ジュジュはゆっくりと眼を瞬かせ、僅かに見える空色の瞳でルーヴァベルトを見つめた。どこか含みのある視線。


 何だか、嫌な予感がして、頬が引きつる。



「容姿端麗、頭脳明晰、人当たりも良く快活」


「あ、あの、レディ・ジュジュ…」


「老若男女問わず人を惹きつけやまず、社交界では『赤獅子の君』と呼ばれる御方」



 慌てて耳を塞ごうとしたその手を、想像もできない速さでジュジュが掴んだ。げ、と思った時には、有無を言わさぬ圧のある笑顔をずいと寄せて、微笑む。



「ユーサレッタ王国第三王子であり、国王陛下の二番目の弟君」


「き、聞きたくないです!」


「『失せし王』の瞳を持つ王位継承者…ランティス殿下、ですわ」


今度こそ白目を剥いたルーヴァベルトは、後ろに倒れる様に天井を見上げ、呻き声を上げた。

そんなことより、早く昼食が食べたいなんて、考えながら。

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