第29話
「ルーヴァベルト様が社交界デビューをなさる際は、勿論殿下のエスコート…ですわよね」
「ええ、まぁ、そうでしょうね」
全く気のない返事に、ジュジュは「まあ!」と細い目を瞬かせた。
「いけませんわ、ルーヴァベルト様。もっと気合を入れなくては!」
「ちゃんと契約分は働くつもりです」
「そうではなくて!」
じれったそうに頭を振ると、ジュジュの頬が丸く揺れる。焼く前のパンの生地みたいだな、とぼんやり考えた。そういえば、昼食のパンは何だろうか。
そんなルーヴァベルトの頭の中などつゆ知らず、彼女は血色の好い顔に、精一杯厳しい表情を浮かべた。
「いいですか、ルーヴァベルト様」
けれど、頬の肉の揺れが気になって、集中ができない。
「殿下は社交界でも注目の的ですの。ご存じとは思いますけれど、あの見目でいらっしゃるでしょう? 回帰主義の派閥は、皆、殿下に取り入りたくて必死なのです」
「ああ、確かに顔がいいですもんね。年頃のご令嬢なら、コロッと騙されそう…」
「違いますわ!」
カッとジュジュが目を見開く。実際は、線だった双眸が、少しだけ開いただけだった。
それでも、空色の眼差しは厳しい色を含み、思わずルーヴァベルトは口を噤む。
何か言おうと口を開けたジュジュは、少し考える様にじいとルーヴァベルトを見つめた後、小さくため息をついた。まさか、と眉間に皺を寄せる。
「…お伺いしますが、ルーヴァベルト様。殿下…ランティス様のお立場は、理解していらっしゃるのかしら」
「あの人、ランティスって名前なんですか」
「それすら!」
頭を抱えてしまった相手に、申し訳ない気持ちになる。けれど、名前に関しては、本人が「ラン」と名乗ったのだから仕方ないだろう。今の今まで、それが愛称だなど考えもしなかった。
素直に謝ろうかと思う。「あの人に微塵も興味が無くて、できれば知りたくもないんです」と。
…絶対に怒らせるので、黙っていることにした。
「その様子だと、きっと、殿下のお立場もご存じないのでしょうね」
「すみません」
存じ上げたくもありません、と寸でのところまで出かかった言葉は、何とか飲み込んだ。
ふくよかな指で眉間をもみながら、ジュジュがもう一つ息を吐く。瞬間、彼女の纏う空気がすうと冷えた気がした。
先程までのおっとりした雰囲気から一転、圧を感じ、無意識にルーヴァベルトは背筋を正す。
「ルーヴァベルト様」名前を呼ばれ、「ひゃいっ!」と裏返った返事をした。
にこり、とジュジュが微笑みを浮かべた。なのにルーヴァベルトの背中は総毛だつ。
「決めましたわ。まずは、歴史から叩き込ませて頂きましょう」
「れ、歴史ですか」
「ええ。それが一番わかりやすいでしょうから」
有無を言わさぬ雰囲気に、黙ったまま首肯する。ジュジュは少し、マダム・フルールに似ている気がした。
素直に頷いたことがお気に召したのか、ぴりりと肌を刺していた空気が緩んだ。ジュジュの笑顔も柔らかいものに戻り、ほっとする。怒らせない方が賢明だ、と心に留め置いた。
「ではまず…中等学校では、この国に関して、どの程度習われましたか」
問いかけに、ええと…と赤茶の視線を宙に向け、記憶を掘り起こす。確かに習ったはずだが、あやふやな知識しか出てこない。
断片的なそれを繋ぎ合わせる様に、ゆっくりと口を開いた。
「確か、我が国ユーサレッタは、イソーフ大陸主軸の五国の内、一番肥沃な大地を有し、農業が盛んで…食料を主とした貿易で国益を出している…だったか」
「その通りですわ」
小さな拍手で褒められ、少しだけ照れた。
「では、建国の歴史は?」
「けんこく…建国の歴史って、精霊がなんちゃら…というのですか」
「ええ」
「ええと、森から遣わされた精霊王が大陸を均し、五つの集落の族長に精霊の力を分け与えて国を作ったってお話ですよね。あれ、御伽噺じゃないんですか?」
首を傾げたルーヴァベルトに、ふふふとジュジュが口元を抑え笑う。
「その通りですわ」という返答に、驚いて目を見開いた。
「え、精霊なんてもの、本当にいるんですか」
「いるのでしょうね」
「ネフェルティア様は信じてらっしゃるのですか?」
「どうぞ、ジュジュ、とお呼び下さいませ」
頬に手をやり、おっとりと首を傾げて見せた彼女は、軽く肩を竦めた。戸惑いつつ、もう一度、尋ねる。
「ええと…レディ・ジュジュは、その、精霊王やらなんやらを信じていらっしゃる…?」
「ええ、勿論」
ルーヴァベルトは、怪訝な表情を浮かべた。
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