第27話-2

 案内されたのは、昨日、兄妹が最初に通された応接間だった。

 重厚な紅い絨毯に、白い壁。ソファセットには、既に客人が腰を降ろしている。


「ご挨拶を」というジーニアスの囁きに従い、昨日習ったばかりの淑女の礼をとった。ドレスの裾を抓み上げ、腰を沈めるように頭を下げる。落とした視線の先に見えたペパーミントグリーンに、「客人が来るならばもっとマシな恰好がよかった」と内心白けてしまう。



「大変お待たせいたしました。ルーヴァベルト・ヨハネダルクでございます」



 礼をとったまま、ちらりとジーニアスを盗み見た。表情の薄い執事の顔に動きはない。どうやら、ぎりぎり及第点のようだった。

 居ずまいを正すと、ソファに腰掛けていた客人が、ゆっくりと…非常にゆっくりとした動きで立ち上がる。



「ごきげんよう、ルーヴァベルト様。お初にお目にかかりますわ。ジュジュ・ネフェルティアと申します」



 おっとりとした口調の、丸みを帯びた女性だった。


 いや、丸いと言うよりも、かなり豊満な体つきをしている。ルーヴァベルトの倍は面積がありそうだ。


 淡い金色の髪は、まとめてお団子にしているものの、くるくると癖が強いことがわかる。今の季節に似合いの若草色のドレスは露出は少ないが、ふんわりとした素材のせいで更に丸く見えている気がした。

 つやつやと血色の好い肌色の顔も、膨れたパンのように丸い。その中に埋もれる形で目鼻があるが、頬の肉に押し上げられ、両目は細く線のように見えた。


 年の頃は、二十歳過ぎといったところか。


 同じく淑女の礼を取った彼女に、ルーヴァベルトは眼を見はった。



 押せば転がって行きそうなジュジュは、その体格に反して、完璧な礼の形で頭を下げていた。運動神経も筋肉量も、ルーヴァベルトが遙かに勝っているように見えるが、少なくとも昨日半日しごかれても、彼女のように綺麗な礼をとるようにはなれなかった。正直、礼位すぐにできるようになるだろうと思っていたけれど、ジーニアスの厳しさはそんな浅慮な考えをすぐに吹き飛ばしてしまった。


 内心、自分の礼の何が問題なのか、と腹を立てていたが、今、理解する。


 ジュジュの礼は、それほどまでに、完璧であった。

 頭を上げたジュジュは、にこりと小さな口元に笑みを浮かべる。



「ルーヴァベルト様」茫然と見入っていたルーヴァベルトを、後ろからジーニアスが呼んだ。はっとして眼を瞬かせると、ソファへ座る様に促される。

 慌てて彼女の前に、向かい合う形で腰を降ろした。膝の上で両手を重ね背筋を伸ばす。それを確認し、ジーニアスがジュジュへ視線を向けた。



「ネフェルティア様、本日はご足労頂き、誠に感謝いたします」


「いいえ。丁度暇にしておりましたので、お招き嬉しく存じますわ」


「ありがとうございます」



 頭を下げる執事に一つ笑みを向けると、改めてルーヴァベルトへ向き直った。

 細い双眸が、真っ直ぐにルーヴァベルトへ向かう。おっとりとした表情を浮かべているのに、どこかぴりりとした空気を感じ、思わず息を止めた。妙な迫力のある女性だ。


 口元に手をやり、ジュジュが小首を傾げてみせた。同時に、感じていた圧が緩む。



「殿下は、随分お可愛らしい方を選ばれましたのね」



 肩を落とすように呼吸を取り戻したルーヴァベルトは、眼を瞬かせ、曖昧に笑みを浮かべる。

 助けを求める様に脇に控えたジーニアスへ視線を投げると、硬質な金眼と目が合った。小さく嘆息し、綺麗な顔を無表情のまま、口を開く。



「ネフェルティア様には、本日よりルーヴァベルト様の家庭教師を引き受けて頂いております」


「家庭教師?」


「座学を教えて頂くのです」



 座学、という言葉に、少女の顔が露骨に歪んだ。げ、と言わんばかりに下唇を突き出した顔を、ふふっジュジュが笑う。



「勉強はお嫌い?」


「…得意では、ないです」



 できれば避けて生きていきたい程度には。

 口にしなかった声は、胸の内でくぐもって響いた。椅子に縛り付けられるかと思うと、途端に頭が痛くなる。

 反してジュジュは、嬉しげに頬に手を添え、丸い顔を赤く染めた。



「まぁ! これは仕込み甲斐がありそうですこと!」



 早速どのように進めるか、ジーニアスへ話を振る。執事は手にしていた資料をめくると、何事か彼女へ伝え始めた。それにまた、「やりがいがあるわ!」と嬉々と声を上げた。



 自分を萱の外に話が進んでいくのを、半ば諦めながら聞いていたルーヴァベルトは、その内容の半分も理解できぬまま、昼食は何だろうかなど考えていた。

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