第18話

一口大の鶏肉を、躊躇せず口へ放り込んだ。


 揚げた肉へ絡まった甘辛いソースが舌の上で広がり、次いで肉汁がじゅわりと溢れる。カリカリの皮が、口内でたまらない音を立てる。


 噛みしめたルーヴァベルトは、思わず片手で口元を抑えた。同時に、もう一方の手で握りしめたフォークは、次の肉へと突き立てる。

 一口目で刺激されたのか、腹が唸る様に鳴った。



 夢中になって食事を始めたルーヴァベルトを、同じく食事をしつつランが見つめていた。楽しげに双眸を細めると、慣れた手つきでグラスを呷る。少し酸味のある赤ワインが、するりと喉を滑り落ちていった。


 彼女の向かいに座るエヴァラントも、ゆっくりではあるが大いに食事を楽しんでいる様子だった。サラダをつつき、スープを飲んで、満足げに微笑む。時折隣の乳母を気遣いつつ、彼もグラスを空にしていた。


 マリーウェザーに介助され食事をする老婆は、一人柔らかい粥を啜っている。慣れた様子で彼女の口にスプーンを運ぶそばかすのメイドは、甲斐甲斐しく口元を布で拭ってやっていた。



 こういう食事も悪くない―――千切ったパンを口へ放りこみながら、心の内で独りごちる。



 昼間、ルーヴァベルトが食事をする様子を見て、思い立ったこの食卓。間違いなくテーブルマナーに自信が無いであろう彼女が少しでも美味しく食べられるようにと、下町の食堂のように大皿で配膳するように指示をした。



 有能な執事殿は、一瞬だけ眉を顰めたが、文句の一つも言わず、場を整えてくれた。料理長も突然の申出だというのに対応してくれ、本当に自分は部下に恵まれたな、なんてにんまり笑ってしまう。



 予想通り、美味そうに食事を口へ運ぶ婚約者の姿が見れて、心底満足だった。


 袖を捲り上げ、口いっぱいに頬張るのは行儀がいいとは言えないが、ランはとても楽しい。美味いものは、美味いと思って、美味いように食うのが一番だろう。



 それに。



(めちゃくちゃ笑顔…)



 緩む口元を拳で押さえ、小さく咳払いをした。



 斜め前に座る黒髪の少女は、きっと気づいていないだろう。料理を口に運ぶ度、きゅっと眼を瞑り、満面の笑みを浮かべていることに。


 それはもう幸せそうで。


 給仕していた三人も、それに気づくと、一瞬眼を見張っていた。それもそうだろう。彼女は基本、不機嫌そうに顔を顰めているから。

 あんな風に、蕩ける様に微笑むなんて、思いもしなかったはずだ。



(まぁ、それは俺も同じだけど)



 兄であるエヴァラントだけは、全く気にする様子が無い。きっといつもの事なのだろうが、今までずっと自分ではなくエヴァラントがこんな妹の表情を独占してきたのかと思うと、中々焼けるものがあった。



 俺も存外、嫉妬深い―――己の意外な感情に驚きつつ、ランは眉尻を下げた。



 ちらと脇を見やり、視線でジーニアスを呼ぶ。心得たように身を屈めた執事へ、耳打ちをした。



「当面、食事はこのような形式で頼む」


「承知致しました」


 サラダに添えられた剥き海老を口へ運んだ。茹でた海老は柔らかく、甘い。


 どうせその内、鬼のように厳しい執事により、堅苦しい食事へ戻される。食事の時間がマナーレッスンの一環になる日も遠くない。



 ならば、せめて。



(ここでの生活に慣れるまでは、一つくらい楽しみがなくては)



 彼女も…自分、も。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 目いっぱい食事をする為に、コルセットが邪魔なことに気付いたのは、五つ目のパンを手に取った時だった。

 おかしい、まだ入るはずだ…と思うのに、腹が苦しい。

 首を傾げつつ胃の上をさすってみて、自分がコルセットをしていたことを思い出した。


 瞬間、猛烈に腹が立つ。目の前には、まだ料理が残っていた。だというのに、コルセットが苦しくて、もう食べられそうにない。


 流石にこの場でドレスを脱ぎ捨てコルセットを外すことはできない。一度中座し、どこかで外してこようか。



 そんなことを考えている間に、残った料理が下げられてしまった。ああせめて、肉とサラダをパンに挟んだものを夜食にわけてくれ、と叫びそうになるのを、何とか堪える。


 食後の紅茶を飲む間も、ずっと残った料理のことを考えていた。視界の隅で船をこぎ始めたばあやの姿が見え、もう食事も終わりか、とぼんやり周りを見回した。



「満足したか?」



 不意に投げられた言葉に、びくりと肩が跳ねた。視線を向けた先…赤毛の男が、頬杖をついてルーヴァベルトを見つめていた。

 目が合うと、思わず眉を顰めてしまう。

 料理に夢中ですっかり忘れていたが、この男がいたのだ。伺うような灰青の瞳に、不承不承で小さく頷いた。



「すご…非常に美味しかったです」


「そりゃ、よかった」



 にこにこと笑顔のまま、ランは紅茶を飲み干す。空になったカップをソーサーへと戻すと、颯爽と立ち上がった。



「今日は疲れただろう。早めに部屋に戻るといい。エヴァラント、君もな」



 そう言うと、徐に車椅子に座した老婆へと近づく。側まで来ると膝を折り、こっくりこっくり船をこぐ顔を覗き込んだ。



「ばあや殿も、今日は疲れただろう。当面慣れぬかもしれんが、しっかり休まれよ」



 果たして、頷いたのか、船をこいだだけか。微かにむにゃむにゃとしわがれた返事があったような気がし、ルーヴァベルトは身を乗り出した。

 立ち上がったランは、そのまま食堂を出ていく。ジーニアスもその後に続き、残されたのはヨハネダルク家の面々と、メイドだけだ。

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