第17話

結局、エヴァラントと話は出来ぬまま、食堂へ移動する。ミモザが有無を言わせなかったためだ。

 マリーウェザーは、ばあやの所へ慌てて戻って行った。



 予想通り広い食堂には、細い長机が一つ。椅子が上座に一脚、左右に四脚ずつ置かれていた。卓上に黄色い小花が飾られている。背の高い硝子の花瓶から溢れるように活けられた花は、まるで零れ落ちる星のように見えた。



 上座から向かって左にルーヴァベルトが座らされ、その向かいに兄が腰を下す。目の前にはテーブルセット。平皿の上に白いナプキン、その左右にナイフとフォーク、スプーンが一揃い置かれていた。



 それを見て、食事に浮かれていた気分が一気に萎んでしまう。忘れていたが、ここは貴族の屋敷。となれば、食事ももちろん貴族様式になる。大皿料理ではなく、品のいい料理が、順番に給仕されることだろう。

 決して、ルーヴァベルトが行儀が悪いわけではない。けれど、テーブルマナーなど知らない。遠い昔、両親と暮らした幼い時分に、多少習った気もするが、そんなもの星の彼方よりも向こうの記憶だ。塵とも残っていない。



 昼間のように、サンドイッチだったらいいのに…と、重いため息をついた。



 思案気にエヴァラントを見やると、そんな心の内を知る由もない兄は、何を思ったか笑顔を返してきた。むっとして双眸を細めると、不思議そうに小首を傾げて見せる。どうやら妹の窮地を全く分かっていないらしい。



(くっそ…兄貴はテーブルマナーできるもんな…多分)



 一応、二十歳までは男爵家嫡男として育てられたエヴァラントである。自分とは違い、沁み付いたものがあるはずだ。



 そうこうする内に、マリーウェザーに伴われ、ばあやが食堂へやってきた。見たこともない車椅子に乗っている。元の家の狭さであれば、ばあやの移動もわずかで済んだが、この広い屋敷だとそうはいかない。ばあやのために、車椅子なんて高価なものまで用意してくれたのか、とルーヴァベルトは軽く俯いた。

 車椅子のまま、ばあやはエヴァラントの隣についた。相変わらずふにゃふにゃと皺だらけの横顔を見やり、エヴァラントがにっこりと笑った。そっと手を伸ばし、膝の上に置かれた老婆の手を握る。皺だらけの顔が、少しだけ嬉しげに見えた。



 その時だった。


 勢いよく扉が開かれ、快活な足音が室内に響き渡る。



「待たせたな、すまん」



 甘く響く低い声。はっと顔を上げると、濃紺の軍服に身を包んだ男が、颯爽とこちらへ向かってくるのが見えた。燃えるような赤毛が、豊かに揺れる。


 大股に、軍服の裾を翻しながら部屋の奥までくると、至極自然にランは上座へと腰を降ろす。後ろからついて入ってきたジーニアスは、無表情のまま、脇に控えた。



 席に着いた面々をぐるりと見回したランは、最後に灰青の視線をルーヴァベルトで止めた。赤茶の瞳と目が合うと、にんまり、満面の笑みを浮かべる。



「やっぱり、そのドレスを選んだか」



 したり顔に、ルーヴァベルトは眉を顰めた。その反応すら面白げに、ランは詰襟を緩める。胸元の飾りが、しゃらりと鳴った。



 こうして並ぶと、改めて思う。自分の選んだこのドレスは、まるでこの男の軍服と揃いのようではないか、と。



 地紋が美しい生地をたっぷりと使った、シンプルなドレス。ドレスと言えば、仕事柄胸元が開いているものばかり見てきたが、これは立襟に長袖で肌の露出が少ない。

 そこが気に入ったのだけれど。



(やっぱ立襟でこの色は…ああ、くそっ!)



 にやにやと口を三日月に笑うランに腹が立ち、ぷいとそっぽをむいた。


 やっぱり、と言った。この男は、ルーヴァベルトがどのドレスを選ぶかわかっていたのだ。…いや、選ばされたのだろう、意図的に。

 そう思えば、ゴテゴテとした意匠ばかりの中に、一着だけシンプルなドレスがあったことも頷ける。


 膝の上で、固く拳を握った。


 他のドレスにすればよかった。そう考えたが、やはりあの場に立てば、結局濃紺のドレスを選ぶ気がした。少女趣味なドレスも、派手な意匠も、身に纏った途端心が死ぬ。


 唇を動かさず、舌打ちをした。



 後ろから車輪音をさせ、ミモザとマリーウェザーが食事を乗せた配膳カートを押して入室してくる。気づかなかったが、部屋の奥に給仕用の出入口があったらしい。


 カートの上には、大皿がいくつかのせられていた。それを、次々卓上へと載せてゆく。積み重ねるように盛られた肉料理に、サラダ、パン類…その様は、まるで下町の食堂のようで。

 てっきりそれぞれの前に品よく盛り付けられた料理が運ばれてくるものだと思っていたルーヴァベルトは、つり気味の猫目をぱちくりとさせる。


 出来立てであろう料理からは白く湯気がくゆり、肉料理からは香ばしい匂いが漂う。挙げた鶏肉にとろみのあるタレがかかっているそれは、どう考えても「品の良い料理」とは思えなかった。


 探る様にエヴァラントを盗み見ると、彼もまた驚いた表情をしていた。同じく予想外だったのだろう。



 一人平然とランだけが、ナプキンを手に取り膝に広げる。それを合図に、ジーニアスが給仕を始めた。



 見様見真似で同じくナプキンを広げると、ルーヴァベルトはテーブルセットに眼を向けた。さて、どれから手に取るのが正解なのだろう。



 考えあぐねていると、スープを運んできたミモザが、そっと耳元で囁く。



「どうぞ、お好きなものをご自由にお取り下さいませ」



 料理が盛られた大皿には、それぞれトングや大きなスプーンが添えられていた。各自それで好きに取り分けろ、ということだろうか。これでは本当に大衆食堂のようではないか。

 手が届かないものは声をかけて欲しいと言い添えると、ミモザはカートを押して行ってしまった。



(好きに、と言われても…)



 本当に勝手にとっていいのだろうか。

 そっと赤毛の男を伺い見る。すると、早速手を伸ばし、肉とパンを山盛りに皿へ移していた。マナーどころではない格好だが、脇でグラスにワインを注ぐ執事は平静な顔で何も言わない。



 少し首を傾げると、ルーヴァベルトは考えるのをやめた。



 目の前に、夢のように盛られた夕食が並べられている。白いパンは、普段食べなれたものに比べふわふわと柔らかそうだ。サラダにかかったソースは何味だろう。いや、まずはとにかく肉をとらねば。



 思考を切り替えると、袖が汚れぬよう肘まで捲り上げ、肉が盛られた皿へと手を伸ばした。

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