第9話

 結局、昼食はルーヴァベルトとラン、二人でとることとなった。



 テラスに移動し席に着いたところで、使用人が何がしか言付けを持ってきた。テラスの出入口でそれを受け取ったジーニアスが、戻ってくるとエヴァラントに耳打ちをする。



「えっ!」



 聞くや否や、瓶底眼鏡の青年が、ぴょんと立ち上がった。



「しまった!」


「どうした」



 ランが尋ねると、彼はボサボサ頭をかきむしりながら、情けない声を上げた。



「きょ、今日中に提出しなきゃいけない報告書…不備があったみたいで」



 どうやら、研究機関の上司からだったらしい。慌てて鞄を肩から掛けると、ぺこりと頭を下げた。



「本当にすみません。ちょっと失礼させて頂きます!」



 気にする様子もなく、ランは笑って見せた。



「ルー…」ちらとエヴァラントは妹を見やる。先程からずっと無表情のままのルーヴァベルトは、視線を全く兄へと向けない。


 しおしおと、心が萎れるのを感じつつ、エヴァラントは小さく付け加えた。



「戻ったら、話し、するから」



 やはり返事はなかった。


 項垂れたボサボサ頭の青年は、ジーニアスに連れられテラスを出て行った。馬車を用意します、という言葉に礼を述べる言葉と共に、テラスの扉が閉められた。



 そうして、席に座るのは、ランとルーヴァベルトの二人になったわけである。




 テラスは、三方が全て硝子張りの、日の光が存分に取り込める作りになっていた。床はまだら茶のタイル。硝子の向こうは小さな庭に続いている。このテラスのためだけに作られた、プライベートガーデンらしい。


 真ん中に、革張りの白いソファが置かれていた。揃いの足置きもあり、サイドテーブルには本が積まれている。


 ソファの前にはこげ茶のローテーブル。卓上には、サンドイッチが盛られた皿と、新しく用意されたティーセットが二人分。先程までは三人分あったのだが、エヴァラントの分をジーニアスが下げてしまった。



 チチチ、と鳥の声がする。視線を庭にやると、背の低い花木に赤い花が咲いているのが見えた。



「ルー」



 不意に、甘い声が名を呼ぶ。視線を向けると、灰青の瞳と目があった。にんまりと、満面の笑みを向けられる。



「…と、呼んでも構わないか?」


「ルーヴァベルト、とお呼び下さい」



 ぴしゃりと返すと、相手は少し驚いた顔をした。知らんぷりで目を伏せる。こんもり盛られたサンドイッチが美味しそうだったが、ランより先に手を出すのが憚られて、我慢した。



「呼んじゃ駄目か」


「呼んで欲しくないです」


「辛辣だなぁ。…やっぱ、怒ってる?」


「どちらかと言えば、呆れています」



 自分に、と心の内で付け加えた。



 口元を抑え、愉快そうにランが喉を鳴らす。顔を合わせてからこっち、ずっとこんな感じだが、一体何が面白いのか。



 僅かに目にかかった前髪を無造作にかきあげると、彼は言った。



「何で俺がお前と結婚したいのか、聞かないのか」



 ルーヴァベルトは顔を上げると、改めて赤毛の男を見やった。不遜な態度で目の前に座る軍人は、双眸を細め、じいと自分を観察していた。


 ふん、と鼻をならし、口元を歪めた。



「知りたくないです」


「知りたくないのか?」


「はい」


「理由は」


「理解できる気がしないので」



 どうせ、ろくでもない理由なのだろうと、声に出さず悪態をついた。



(多分、最初から仕組まれてたんだろ)




 エヴァラントの行きつけの古書店も、


 彼の文字に対する執着も、


 件の古書を欲しがるであろうことも、


 結局、自分が話を飲むこと、も。




「もっと暴れてごねるかと思ってた」



 ソファに深く背を持たれると、ランは背もたれに頬杖をついた。殴られる覚悟もしてたのに、と悪戯っぽく笑うが、ルーヴァベルトは無表情のままだ。



「玄関ホールで兄君を殴り飛ばしたって聞いたぞ」


「…頭にきたもので」


「俺は、頭に来ないのか?」


「…」



 むっつりと黙り込むと、またランがくっくと喉を鳴らした。

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