第6話-2

 扉の向こうから入ってきたのは、灰髪の執事だ。ソファから立ち上がり、明らかに出て行こうとしているルーヴァベルトの姿に、僅かに柳眉を寄せた。

 が、すぐに無機質な表情に戻ると、すいと室内に足を踏み入れた。



「何かございましたか」



 どろりとした蜂蜜色の双眸が、圧のある視線をルーヴァベルトへ向ける。一瞬気圧されそうになりつつも、元来気の強い少女はすぐに言い返した。



「申し訳ないけど、御暇させて頂きます」


「承諾しかねますが」


「いや、そんなこと言われても、帰るんで!」


「どうぞ、席にお戻りください」


「帰るってば!」


「紅茶を入れ直しましょう」


「ちょっと、話を…」



 平坦な口調で話を無視する執事に、声を荒げた時だった。



「…っぶは!」


 盛大に吹き出す声が、大きく響く。


 扉の後ろから聞こえたそれに、ルーヴァベルトは思わず言葉を飲み込んだ。灰髪の執事は、僅かに双眸を細め視線をそちらに流すと、扉から一歩横へ離れた。

 改めて扉に向き直り、ノブを引いて頭を下げる。



「主にございます」



 テノールの声が、静かに、告げた。



 開かれた扉の向こうに立っていたのは、見事な―――紅色の髪をした、若い男。



 彼は大股に部屋へ入ると、ルーヴァベルトの正面に立った。

 燃える様に紅の髪に、灰青の瞳。自信に満ちた双眸が、面白げにルーヴァベルトを見ていた。詰襟の服は濃紺で、縁取りは金。それと同じ服を着た人間を、職場である店で見たことがあった。



 それは―――軍部の、人間。



(軍人?)



 にんまりと口元を三日月に笑う相手を、訝しそうにルーヴァベルトが睨めつける。彼女の赤茶の猫目に浮かぶ不信感の色に、彼は更に嬉しそうに顔を綻ばせた。



「元気があって、大変よろしい」



 顎をつるりと撫ぜ、満足げに頷く。その後ろで執事が音もなく扉を閉めた。


 にこにこと笑う赤毛の男を、不躾と理解した上で、上から下へと値踏みした。ルーヴァベルトがそうしていることをわかっているのだろう、相手は腕組みをし、黙って視線を受け止める。


 視線が合うと、にこりと微笑む。心の内側で、げぇとルーヴァベルトは舌を出した。


 女好きしそうな奴だ、というのが最初の印象。精悍な顔立ちは整っており、身だしなみもきちんとしている。予想通り軍人であるのであれば、地位もしっかりしているだろう。こんな屋敷に住んでいるのであれば、元々金も持っているのだろうが。


 何より、全身から滲む自信のオーラがすごい。



(これは、ぐいぐい行くタイプだ…)



 経験上、わかる。


 ルーヴァベルト自身がぐいぐい来られたことはないが、仕事上、嫌という程見てきたのだ。まぁ、職場に来る男は大体がぐいぐい行くタイプなのだが、その中でも顔がよく地位がある小奇麗な男と言うのは、九割九分女に好かれる。しかもそれを自分で分かっているから、どんな女にもぐいぐい行く。そして女も、顔が良くて地位がある小奇麗な男にぐいぐい来られると、まんざらでもない気になるらしい。結果、ぐいぐい行くのが成功し、男はまた自信をつける、というサイクルになるのだ。



 ルーヴァベルトにはわかる。この赤毛も、間違いなくそのサイクルの経験者である、と。


 そして、自分はその手の男が嫌いである、と。



 自分の腹の奥に溜まっていた苛立ちを、細く息を吸って抑え込む。同じ程に細く息を吐き出し、一つ、目を瞬かせた。

 赤茶の双眸を、改めて相手へ向ける。おや、と言った顔で、男が小首を傾げて見せた。


「初めまして。ルーヴァベルト・ヨハネダルクと申します。この度は、兄・エヴァラントが大変ご迷惑をおかけしました」



 言葉の割に挑むような視線で自分を見つめる彼女に、赤毛の男は片眉を上げた。相変わらず口元には、笑み。



「先日、兄が譲り受けたという本を、お返しに上がりました。身分不相応なものを強請りまして、大変申し訳ありませんでした」



 ゆっくりと頭を下げる。相手は何も言わない。


 顔を上げると、にんまり顔と目があった。黙ったまま続きを促すように頷かれ、心の内で舌打ちをする。面倒くさいタイプだ、と、改めて思う。

 しかし、それを綺麗に押し隠し、ちらと後ろを振り返る。茫然とソファに腰掛けたままの兄を睨み、本を出すように無言で告げた。


 はっとした表情のエヴァラントは、抱えた鞄を抱きしめる。さっさと出せ、と手で合図するが、彼は固まったまま、鞄を離さない。



(こんの…クソ馬鹿兄貴が!)



 眦を吊り上げたルーヴァベルトの後ろで、ぶはっと吹き出す声がした。

 赤毛の男だ。見ると、口元を抑え、可笑しそうに顔を歪めていた。



「兄君は、返す気が無いみたいだが?」


「…っ! …返させます」


「別に返してくれなくてもいいんだけど」


「いいえ」



 甘く響く低い声を背に、大股で兄へ歩み寄る。胸に抱えた鞄を庇うように身を伏せたエヴァラントの肩を掴み、耳元で囁いた。



「本、貸して」


「い、嫌だ」


「今更何言ってんの!」


「返さない」


「兄貴のためでしょうが!」


「俺は、兄君の貞操に興味ないが」



 不意に耳元へかかる息に、ぎょっとして振り向く。そこに、至近距離で灰青の瞳が彼女を覗き込んでいた。重ねてぎょっとし、思わず身を引く。


 その反応も楽しげに、赤毛の男が口端を持ち上げた。



「きょ、興味な…え…」



 近づかれたことに全く気付かなかった。それに動揺し、言葉に詰まる。

 くっくと喉を鳴らした相手は、するりと引くと、兄妹と向かいのソファに腰を降ろした。一人がけのそれに悠々と座る姿は、流石主と言うべきか、しっくりと似合っている。


「まぁ、座れ」詰襟を緩めつつ、赤毛の男が促した。



「安心しろ、兄君をどっかに売り払ったりしないし、とって食やしない…貞操も奪わん」


「…っ」


「まずは、話をしようじゃないか」



 にんまりと孤を描く口元。


 悪い猫のようなそれに、ルーヴァベルトの腹の中で、嫌な予感がまた大きくなった。

  

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