第6話

 兄妹を部屋に通すと、無表情な執事は、さっさと出て行った。


 さも仕事はしました、と言わんばかりのティーセットに、ルーヴァベルトの腹が更に煮えくり返る。出された茶が飲んだことが無いほど甘くまろやかであったことすら、彼女の怒りを増長するだけだった。



「…で、その本をくれる代りに、この家で一緒に住め、と」



 そう言われたってわけね。

 怒りを抑えた低い声で確認すると、兄のエヴァラントは、しおしおと萎れた様子で頷いた。



「そうです…」


「何でそんな話にのるかなぁ」



 怪しい限りじゃないか、と思う。妹の深いため息に、更に兄はしおしおと萎れた。


 空になったティーカップを見やったルーヴァベルトは、改めて室内をぐるりと見回した。無駄に広い部屋には、今、兄妹が座っているソファセットの他に、壁際に所々調度品が置かれているだけ。きちんとした貴族の家に入ったのは初めてだが、きっとここは客を迎えるための応接室というやつなのだろう。



(毎日使うわけでもないだろうに、こんなに広い部屋だと掃除が面倒だろうな)



 掌でソファの感触を確かめる。ふんわりとした柔らかさに眉を顰めた。

 ルーヴァベルトの職場にも、良く似た感触のソファがある。酷く柔らかくて、そこに座る客たちを逃すまいと、深く沈みこませてしまうそれは、食虫植物のようだと思ったことがある。


 唇をきゅっと引き結んだルーヴァベルトは、思い立ったように立ち上がった。



「やっぱり帰ろう」



 驚いた様子で顔を上げたエヴァラントは、瓶底眼鏡の奥で眼をぱちぱちとさせる。「でも」と惑う兄の腕を、ぐいと引いた。



「高価な本をくれる代りに、一緒に暮らそうとか、絶対おかしいって。何でそんな話になるわけ?」


「それは俺もおかしいって思うけど…」


「その人、初めて会ったんだよね? 兄貴、この状態だったんでしょ?」


「え、うん」


「こんな小汚い身なりの男捕まえて、一緒に暮らそうって言ったって…おかしい以外ないでしょ」


「え、ルー、俺の事汚いって思ってたの?」


「まさか人身売買…」


「ちょっとルー、俺って汚い…」


「しかも相手も男でしょ? …あ、金に困ってそうな男を囲っていやらしいことする趣味なんじゃ…」


「え?」



 突然の話に、エヴァラントの顔が青くなる。その両肩を掴むと、至極真面目な表情でルーヴァベルトが声を低くした。



「兄貴、よく考えて。兄貴が本を大好きなの、私もよーっく知ってるけどさ、今回は諦めよ? あの本返して、さっさと帰ろ? じゃないと、兄貴の貞操がヤバイ」


「て、貞操が…」


「他人の恋愛は自由だけど、私は、兄貴が好きな人と幸せになって欲しいって思ってる」


「ルー…」


「だから貞操は無理やり奪われるんじゃなくて、好きな人に捧げて」


「いや、俺、恋愛対象女の子だよ!」



 妹の盛大な勘違いに、慌ててエヴァラントが大きく抗議した。しかし、彼女はそこは綺麗に無視をし、さっと立ち上がった。



「そうと決まれば、さっさと帰るよ。ほら、立って」



 ソファの上に置いていたキャスケットを取り上げると、髪の毛をくるりと収めて被る。まだ腰も上げていない兄を置いて、さっさと扉に向かって歩き出す。


 と、その扉が、キィと軽い音を立てて開いた。

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