第2話

 話は三日前に遡る。



 その日、エヴァラント・ヨハネダルクは、王都の裏通りを目的地に向かい歩いていた。

 ユーサレッタ王国一大きな都市であるアボリは、流石王都だけあって、人も物も情報も、ありとあらゆるものが集まってくる。馬車の行き交う広い表通りは、華やかに着飾った人々や、流行を商売にする店が軒を連ね、連日賑わいを見せていた。

流石、王家の御膝元だと、他国からの旅行者も多い。



 そんな表通りを一本内側に入ると、一転、細い道が蟻の巣のように広がっている。

抜け穴だらけの迷路に似た裏路地は、フォルミーカと呼ばれるユーサレッタ王国特有の文化だ。


 その成りたちは古く、神話時代まで遡る。何でもユーサレッタ王国は、大地の精霊に祝福を受けた族長が興した国であり、王都を整備する際に精霊たちのための細い裏路地を作った。大地の精霊は酷く恥ずかしがり屋で、人目につくことを嫌う。故に、細く長くどこへでも繋がる裏道を、王都へ張り巡らせたのだという昔話。



 フォルミーカを歩いていると、道沿いの壁に等間隔で扉が配置されているのがわかる。扉の内側は都民が居住している場合もあれば、何かしらの店である場合もあった。

表通りのような大仰な店ではなく、こじんまりと、中流家庭以下を対象とした品を扱う店が多い。中には大っぴらに扱えない品を置いている店もある。



 エヴァラントのお目当ても、そんな店の一つだった。



 慣れた足取りでフォルミーカを進み、とある角を曲がった先にあるこげ茶色の扉の前で足を止めた。扉の上には、銅版でできた小さな看板が打ち付けてある。経年劣化で文字が読みづらくなっていたが、辛うじて「シュカ古書店」と読み取れた。


 内開きの扉をそっと開き、中へ滑り込む。内側に取り付けられた鈴が、チリチリと来客を知らせて軽く鳴いた。


 店の中は、壁一面、ぎっちりと本で埋め尽くされていた。天井まで埋め尽くす本は、備え付けられた本棚に入りきらずに、無造作に床に置かれているものもある。サイズも大小さまざまで、どれも一様に古い。



「こんにちは」



 ボサボサ黒髪に瓶底眼鏡の青年は、人の好さげな笑みを浮かべ、店の奥へと声をかけた。薄暗い店内の、最奥にある木製の机辺りで小さな影が揺れた。背中を向けていたそれがゆっくりと振り返ると、小柄な老婆だとわかる。


 彼女は皺だらけの顔に不機嫌そうな表情を浮かべ、「ケッ」と舌打ちをした。



「なんだい、金無し坊やかい」



 また来たのか、と悪態をつく。気にする様子もなく、青年がのんびりと笑った。



「また、お邪魔します。キム女史」


「金もないくせに、ちょくちょく来てんじゃないよ」


「手厳しいなぁ」



 ひょろりと高い上背をゆらりと揺らして、エヴァラントはキム女史へと歩み寄った。

 年季のいった机に腰掛けた老婆は、子供の様に小さな身体の割に、大きな態度で鼻を鳴らす。



「当たり前だろうが。毎度毎度、買う訳でもないのに、来やがって。買わない客の相手するほど暇じゃないんだよ!」


「そんな冷たいこと言わないで下さいよ。買う気が無いわけじゃないんですって。今、金がないだけで」


「金持ってない奴は客じゃないよ!」



 帰れ帰れと手を振るが、彼は笑うばかりで出て行く気配が無い。



 このやり取りもいつものことで、目いっぱいの文句を言いつつも、エヴァラントが本を手に取ることを女史が咎めることはない。商売道具である古書を扱う青年の手が、酷く丁寧で、本にも自分にも、最大の敬意を払っていることを、小柄な店主は知っていたからだ。



 今日も結局、本棚の本を物色し始めたエヴァラントを、キム女史は好きにさせている。



 見るからに貧乏貴族と言う出で立ちの青年は、これまた色あせた上着と使い古された斜め掛け鞄を床の端に置くと、うきうきと古書を背表紙を視線でなぞる。時折目を引いたものを手に取ると、割物を扱うような動作でページを捲る。気が済めばまた棚に返し、済まなければ、店主が声をかけるまで延々と突っ立たままページを捲り続けるのだ。



 いつもの風景にため息をつきながら、老婆が言った。



「あんたは、本当に古書が好きだね」



 ページをめくる手を止め、エヴァラントが顔を上げる。ボサボサの黒髪を大きく揺らし「ええ!」と頷いた。



「古書は古文字の宝庫ですから」



「知ってるさ。けど、わざわざこんな小さな店に来なくたって、あんたの職場にゃ嫌ってほど古書があるだろ…何せ、国が誇る研究機関の職員殿なんだから」



 国家公務員のくせに金が無いなんて、と呆れた調子で付け加える老婆に、青年は手にした本をそっと閉じた。黒ずんだ装丁を愛しそうに指でなぞると、ゆっくりと首を横に振る。



「確かにうちには研究の為、国内外の古書が収められています。…けど、やはり表で流通しているものだけなので」



 そう言うと、照れたように顔を歪めた。



 国の政治的機関が置かれる王城―――そこに連なる形で、様々な分野の研究を行う国家機関が存在する。エヴァラントはその内の一つ、歴史に関する研究機関の末席に名を連ねていた。



 専門分野は「失われた文字」、所謂「古文字」である。



 今は使われなくなった旧字を探し、解読。そこから歴史や文化をひも解くという、大きい括りで言えば考古学の研究だ。


 ちなみに、文字を専門とする研究員はエヴァラント一人。他に文字のみを専門に扱う研究員はいない。歴史分野の研究において、古文字の解読は必ずついて回る問題だが、決して文字が「目的」になることはない。結局、古文字は「手段」でしかなかった。

 が、エヴァラントにとっては違う。彼にとって、書かれてある内容こそが「結果」であって、古文字が「目的」なのだ。


 というのも、彼は重度の「文字オタク」なのである。



「キム女史の店には、職場ではお目にかかれないような本に出会えるんです」



 眼鏡の奥、うっとりと双眸を細め、歌うように青年が漏らす。「一般に流通していない自費出版物や、個人が書きとめたノート、とか」


 そういった金銭的価値がつきにくい品は、いくら古今東西あらゆる書物が集まる研究機関といえど、そうそう入ってくるものではない。けれど、そう言った類のものだけに記述される文言や、略字などは多々存在している。


 それらを探し求めて、この文字オタクの青年は、仕事の合間を見つけてはシュカ古書店に入り浸っているというわけだ。



 きらきらと目を輝かせつつ文字を追うことに没頭し始めたエヴァラントの背中に、キム女史は何度目かの鼻を鳴らし、ばさりと音を立てて新聞を広げた。

 

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