婚約者殿は今日も不機嫌

とらじ

第一章

第1話

 ルーヴァベルトは腹を立てていた。



 それを隠そうともせず、出されたカップを乱暴に手に取ると、中の紅茶を一気に飲み干す。ローテーブルに残された、カップと揃いのソーサーが淋しげだ。



 重厚な紅い絨毯のひかれた部屋は、壁も天井も淡い白で目に痛い。窓から差し込む柔らかな日差しを取り込んで、より一層白々しい内装に、彼女は猫に似た赤茶の双眸を細めた。

 掃除の行き届いた室内は塵ひとつなく、調度品は皆ぴかぴかに磨き上げられている。華美ではないものの、一目で高価なものだとわかる。茶器も同じく相当高いに違いない。白い磁器に金と紅で描かれた文様は、獅子を表す古いエンブレムだった。



 随分金のかかった部屋だな―――腰掛けたソファの柔らかさに辟易しつつ、心の内で舌打ちをした。革張りのそれは、気を抜くと身体が沈み込んでしまい、何かがあった際に立ち上がるのに手間取りそうだった。普段、用心棒まがいの仕事をしているルーヴァヴェルトにとって、僅かでも自身の動きが制限されることが気になる。

そのため、ソファが柔らかければ柔らかい程に、己の下半身に力がこもり、彼女の背筋は伸びた。



 その隣には、反対に、縮こまって座っている青年がいる。



 ぼさぼさの黒髪に瓶底眼鏡、着ているのは色褪せた貴族服―――が、流行遅れで随分型が古い。よく見るとちらほら継ぎ接ぎがされている。見るからに「貧乏貴族」だ。



 しかし、ルーヴァヴェルトの服は更に継ぎ接ぎだらけ。青年以上に貧乏な衣服は、洗いすぎで随分薄くなっていた。



 理由は簡単。彼女の服が、隣に座る彼―――兄であるエヴァラントのお下がりだからである。



 お下がりと言っても、一応ルーヴァベルトは子女である。兄の貴族服をそのまま着ていたらまるで道化師さながらの滑稽さになるため、簡単に手を加えていた。貴族然とした装飾を取り払い、丈を調節した洋服は、下町の少年のように見えた。それに身を包むルーヴァベルト自身も、十五歳であるにも関わらず、一見少年のようで。

 唯一、誰からも褒められる艶やかな黒髪も、今は後ろで一本に引っくくられており、より一層彼女の性別をあやふやに見せていた。



 不機嫌さを隠そうともせず、部屋の出入口を睨めつけている妹を、エヴァラントはちらりと見やった。誰かに引っぱたかれたのか、その片頬は赤く腫れている。



 何か言おうとして、結局、エヴァラントは口を噤んだ。


 それに対し、口を開いたのはルーヴァベルトだった。



「何」



 視線をちらとも動かさず、そう言った妹に、兄の肩がびくりと震えた。恐る恐る瓶底眼鏡を彼女へ向けると、困った様子で小首を傾げた。



「…お、怒ってる…よ、ね?」


「当たり前でしょうが」



 一段低くなった声が、血を這うようにエヴァラントへ投げられる。予想通りの返答に、青年はより一層身を縮こまらせた。



「ごめんね」消え入りそうな声で謝った。



「本気で本気なんて…思わなかったんだ…」



 視界の隅に、しゅんと項垂れる兄の姿。ふかふかのソファに沈み込んだひょろりとした身体は、折れそうに細い。



 ルーヴァベルトは更に眉を顰めると、細く長い息を、鼻から吐いた。

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