遺されし君には ―夢遊病―




「あれぇ? 旦那様ムシュー? おかしな格好で……」


頓狂とんきょうな声が上がった。

庭で作業をしていた、若い男。新入りだ。

目で追っている……よろめくような足取りで裏庭を横切って行く、作業着の男を。



「……いいから! 手を動かせ!」


新入りを叱ったのは、庭師がしらだった。

声を上げても、剪定せんていしている枝から目を離すことはない。


「午前中に終わらせろ。できなきゃクビだ」

「へッ! は、はい!」



そのかたわら……勝手口の外階段の脇には、芋の皮をく男たちがいた。

料理人の見習いだ。


ひとりは、やはり裏門の方を見ている。


「きょうは、あのまま戻って来られるのかなぁ」


「知ったふりを……お前、まだ見たことなんてないクセに」


「だって……今朝、みんな、こそこそ言ってたじゃないか。やっと、かもしれないって」


「そう簡単に行くかよ」


「……そんなもんなのか?」


「去年も一昨年も駄目だったんだぜ?」


「ダメかぁ。でも、それじゃ、には、お気の毒なことになるのかなぁ……」




「―――ねぇ、あなたがた、何の話をしているの?」


「げッ……!」



芋が、転がる。ころころと、階段の下まで。


白い指がそれを拾う。

土埃がついた、剥きかけの芋を。


だが、見習いたちは、拾ってもらった礼もそこそこに、道具を抱えた。


「し、失礼します!」


慌てて頭を下げ、勝手口に戻ってしまう。

そそくさと。




―――つば広帽子にサングラスという彼女ルイ

ぽかんと唇を開け、彼らの去った後をしばらく眺めるしかなかった。




仕方がない。

探さねば。次のターゲットを。



彼女ルイは、館の中へきびすを返した。



執事と部屋係は……最初に聞いて、ダメだった。


特に部屋係は……肝心のことは何も言わないのだ。

ふだん―――あんなにおしゃべりなのに!


小間使いたちも同様。




“ああ、どうしよう……どうしたらいいの?”


“心配で心配で……たまらない”




ただごとではなかった。

ついさっき、ふらふらと出て行った、ルイの様子は。





―――彼女ルイの脳裏に、蘇って来た。

この一週間の出来事が。





パリに着いてからの数日は、もう……怒涛どとう、だった。


たった一週間かそこらの間に……凄まじい勢いで彼女ルイは大きな波に巻き込まれ、振り回された。


冷静になる時間など、なかった。


命の危険から逃れはしたものの、一昼夜、飲まず食わず眠らず……


恐怖との闘いだった。

いつ見つかるか、どこで誰に襲われるか。

うようにここまで辿たどり着き……

それが無駄だったと……そう思った時の、あの、とんでもない絶望。


続いて起こった、激しい


―――発作。パニック障害の。

ああなってしまったら、もう、自分でもどうにもできない。


そして……突然、降ってわいたように襲って来た、高熱。


―――その後、ルイと、互いの秘密の “打ち明けあい” をしてからは……


まる2日……いえ、3日? 解らない。


とにかく “金の間あのへや” で……2人で食事も何もかも分け合って過ごすという、体験……


誰かと “一心同体” だと感じることなんて。

しかも……のに!


今まで生きて来て、一度たりとも起きたことがなかった。


物語は、起き得ないからこそ物語になるのだ。

そう思っていた。


なのにその私が、まさか……巡り合うとは。に。




―――離れたくない。

―――離れられない。




だけど……これからは?

『彼』が帰って来たら? 今夜は? 明日は?


……このまま一生、永遠に『金の間』にこもり続けることなんてできない。

2人一緒に生きようというなら、今、何をなすべきかを決めなくては。



今朝になって、ようやくこれからのことを話し始めた。



ところが……!

みるみるルイの様子がおかしくなってしまったのだ。

冷たくなったとか、感情的になったとでもいうのなら、まだしもだ。

そうじゃなかった。


―――のだ。唐突に。


―――恐怖だった。

その光景ありさまは。



ルイは、立ち上がった。


彼女ルイの目の前で……突然、スーッと。

まるで天井から吊り上げられるみたいに。


そして、部屋から出ていった。ふらふらと。

「行かなきゃ」とだけ、言い置いて。


彼女ルイは、何も……何もできなかった。

声を出すことも、体を動かすことも。

ルイが……あまりにも異様過ぎて。


まるで、夢遊病の人ソムナンビュール




そんなことを考えている場合ではない、と、気づくのに……しばらくかかった。



突然、彼女ルイは、動き始めた。

何かに尻を叩かれたように。



―――何やってんの! ダメじゃない! 



―――走った。『金の間』の小さな窓に。

そこから外を見た。

サングラスを探す暇はなかった。

庭を横切って行くのが判った。

ヨレヨレの作業着を身に着けた男……

まぶしくて……視界はぼうっとしていた。


でも―――あれは……ルイだ!


―――その手に、何か黒いもの……いつも持ち歩いている “あの鍵束” だ、きっと。

だが、その足元は……。よろよろしている。

よく見えない私にだって、普通じゃないのがわかる。




慌ててガウンをまとい、彼女ルイは部屋を出た。

扉が閉まらないように、椅子を置いて。

そして執事を見つけ、部屋係をつかまえ、尋ねたのだ。


ルイは、どこに行ったの? 誰かを迎えに?」と。


ところが、彼らは何も答えてはくれなかった。

知らないのではない。知っているのに、答えない。

すぐにそうだと判った。


『金の間』へと戻り、身支度をした。

ざっと……急いで日焼け止めを塗り、服を着て、サングラスと……ワードローブにあった、つば広帽子を手に取って。






料理人見習いたちにあと、彼女ルイが向かったのは食堂だった。

食堂のすぐ下の階には、使用人たちが過ごす場所がある。


彼女ルイが彼らの部屋に入ると、それまでくつろいでいた姿勢を一瞬にしてとさせ、手にしていたスマホをテーブルの上に伏せて、脇へと退けた。



「ねぇ、少し、お話をしてもいい?」



2人は互いの顔を一瞬見て、どちらも小さく「はいウィ、マダム」と言った。

けれども、その「はい」には、がくっついている。

その「はいウィ」は、“イエス” じゃない。“ノー” なのだ。


彼女ルイは、訊き方を変えてみようと思った。

もう、解っている。彼らはストレートな質問には、答えっこない。


「さっきから……なんだかこの館の雰囲気が少し違うような気がするのだけれど、私の思い過ごし?」


2人は再び顔を見合わせ、どちらも肩をそびやかした。


彼女ルイは、さらに、言い方を変えた。


「みんな、何かヒソヒソ話しているみたいだけれど?」


「ああ、それは旦那様がどっちでお戻りになるかって……」

ひとりが言いかけたのを、もう一人が慌てて制した。肩を小突いて。


? いま、どっちって言ったの? 何のこと?」

話そうとした方が彼女ルイの目を見て再び口を開きかけたが、今度はおでこを叩かれた。


「……それは……私がご説明いたしましょう……」


彼女ルイが振り向くと、そこには執事が立っていた。

少し、悲しそうな顔をして。

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