8番目の不思議 ―告白―


解ってる。自分でも。

それがなのかってことぐらい。



だって、ほら……

ルイは……としてる。



―――意味不明だ!



棒立ち……左右に広げた手。

突っ立って、“行かないでヌ・キテ・パ” だなんて。



―――ただのだ。子供の。



「伯爵……?」



疑問符……

そりゃそうだ。

だけど言えない。言えやしない。

“体を乗っ取られてる” なんて。



ルイ。

きみが現れた時から、僕は体と言葉の自由を奪われっぱなしなんだ。

“何か” に。

これは、きみのせいだ。

でも、今は……



「ルイ……帰らないで。お願いだから」



そう言うのが、精一杯。



ルイ……近づいて来る。



「まぁ、伯爵、私はまだここにいますよ。だってほら、お約束の絵の解説、まだ終わっていませんから……」



一瞬で、熱くなった。僕の頭……

電子ポットのお湯みたいに。


「いや、あの……そうじゃなくて…………」


そう言ったとたん、ルイの顔がき曇る。


―――失敗した?

でも……じゃぁ、何と言えばいい!?


目の前まで来た。ルイの顔……

僕が上げた腕をそっと掴み、降ろさせる。そろそろと。


「伯爵……ここじゃ、お話もできません。あの部屋に、戻りましょう。私を泊めて、看病してくださった、あの部屋へ」





僕らは、手を繋いでる……


手を繋いで、『金の間』へ向かう。


鍵は……ルイが開けた。

僕のポケットから鍵束を取り上げて。


『金の間』の中へ入る。



―――操縦、されているみたいだ。


手を繋いだまま、ふたりでキャナペに腰をおろす。




「伯爵……ずっとここに、というのは、どういう意味?」



ルイの瞳が、僕を捉えている。

さぁ、どう言うんだ? どう答える?


でも、“ヤツ” は沈黙している。



僕は……探すしかない。僕の言葉を。



「……それは、つまり…………と、いうことです……」



ルイは、黙った。

手は……繋いだまま。



僕はどうしたらいい? 何も起きない。

それに……“ヤツ” は?

“ヤツ” は、一体どこに行ってしまった?

あんなに頻繁に僕を乗っ取っていたのに。



ルイが、突然、僕の手を放した。



ルイの指……ブラウスのボタンに掛かる。



頭の中が、真っ白になる。

―――ダメだ! めなきゃ!



でも、そんな暇はなかった。


僕の目の前に、それが晒された。



―――乳白色の……


彼女の耳を見たとき、りガラスみたいと思ったけど……

今、別のものが脳裏に浮かんだ。


ラリック。ラリックのオパルセント・ガラスヴェール・オパルサン



飛び散っている。その肌のあちこちに……

赤紫……黄色みを帯びた、内出血の痕跡あとが。



「伯爵……これは、私の自業自得なのジュ・レ・シェルシェ


「……君の自業自得テュ・レ・シェルシェ……?」


「子供の頃から……家を出たかった。どんな方法でもいい。両親から切り離されたかった」



―――それから……

僕は耳を傾けた。黙って。

ルイの話に。




“自分の子じゃない”




それが、ルイの父親の第一声だった。

アルビノとして生まれたルイへの。



その暴言は、ずっと続いた。


ルイが言葉を解るようになっても。

アルビノの因子がからのものだったと判ってからも。

(それは同時にだったにも関わらず!)



ルイは……暴力を受け続けて育ったのだ。

ルイ自身が簡単に口にできないような、言葉の暴力を。

血を分けた、実の父親から。





「……だから寝た、の。とにかくに。成年おとなになる前から。誰でも良かった。他人でさえあれば。


「だって、誰かの体に時だけだったの。父から離れられると思えたのは。


「数えてなんかいない。男の数なんか。ぜんぜん相手を好きじゃなくても。それが不倫でも。


「でも、私はいつも苦痛だった。快感なんて、一度も感じたことない。


「自分が削られていくようだった。寝れば寝るほど。





―――それは、哀しい話だった。

今まで耳にした中で、最も哀しい……




自分を傷つけると解っていて……いや、、セックスする……

人間が、そんなを取ることがあるなんて。





「日本は……文化は素晴らしいかもしれない。でも、民族は……どうかな。みんなが同じでなきゃ、普通に生きることが許されない。みんな同じ、同じでないことは、罪。あの国では、私は生まれただけで、罪人のようだった。




ルイの肌、髪、そして目の色は……美しい。

僕にはそうとしか思えないのに。


違い?

違いって、何?

そもそも、って……なんなんだ?


僕の周囲では、みんな違う。すべての色が。

なのにルイの国……不思議の国では、違うことが罪だなんて。



「子供の頃は “ガイジン”……つまり étrangerエトランジェ ね。そう揶揄やゆされ続けたし、どこに行ってもまず英語で話しかけられたわ。


「最初にフランスに来たのは、偶然だったの。その時付き合っていた男が、連れて来てくれたの。驚いたわ。だって……




―――ルイは……生まれて初めて、人々の中にまぎれるという実感を得たのだ。

このフランスで。



「誰も、私に注目しなかった。

誰も、私を指差ゆびささなかった。

誰も、私をわらわなかった。


「フランスで……このパリで、そらから教えてもらった気分だったわ。ここが……おまえの “居場所” だぞって。


「帰国してすぐ、フランス語を猛勉強し始めたの。同時にアルバイトも。父から逃れるために、家から遠く離れた国立大学に進んだ。学費は自分で稼いだわ。


「就職してからは、お金を溜めてはフランスに来たわ。来て、自分が自由であることを満喫して、日本に戻る。その繰り返しだった。



本当は、ここに住みたいと思っていたのだけれどね、と、ルイはつぶやく。



「今年も……余裕はなかったけれど、どうしてもフランスに来たかったの。今年は必ず “マリ” を見れると思ったから」


「ごめん……」


「でも、わ」


「そんなあざを負う羽目になって……?」



僕が手を伸ばすのを、ルイは拒まなかった。



ルイは、身震いをした。

小さく。

ふちが薄い黄色……茶色? に変化した、痣。

僕の指が、それに触れた時。



「お金が……ほんとうに、お金がなかったのよ。だから……SNSで来たメッセージに乗ってしまったの。怪しいな、と、どこかで感じてはいたんだけど」



―――それが、“” の罠だったのだ。



運命の皮肉イロニー・デュ・ソールってやつね」



ルイの母国はルイを差別はしたが、ルイの命を狙うものはいなかった。

この国には、ルイの居場所があったが、ルイの命が狙われた。


皮肉だ。まさに。



「危うく、体のどこかを切り刻まれそうになったの。逃げられたのは、のおかげ。リュックをぶん回したら、バインダーのかどが、“あいつ” の目に当たった。それで、逃げ出せたというわけ」



僕は、もう一度、そっと撫でる。ルイの痣を。



「本当に、良かった……逃げられて。でも、警察には?」


「行かなかったわ。行こうとも思わなかった」


「……どうして?」


「だって、どうしても、ここに来たかったんだもの」


「え?」


「自分でもよくわからない。おかしいでしょ? 私はそんな人間なのよ。ものごとの優先順位も


「でも……」


「逃げ出した後、無一文で、どうしたと思う? 電話もないから、パリの知り合いにも連絡できない。財布がないから、食べ物も買えない。パスポートがないから、うかつにデパートにも行けない。夜寝るところもない。だから、ルーヴルの階段で過ごしたのよ」


「階段って……ルーヴルの? どこ?」


「ルーヴル宮殿に、ガラスのピラミッドを見下ろす階段があるの。あそこに腰を下ろして、資料を読んで過ごしたわ」


「警備員とか来なかったの?」


「来たわよ。でも、追い払われなかった。“絵の研究をしていて、あさイチで入りたいからここにいる” って言ったら、“美術館はあんたみたいな人間のためにあるんだよな、おかまいなしにフラッシュ炊きまくる観光客にはうんざりだ” とか言いながら、放っておいてくれた。だからここに来れたのよ」



僕は、ルイの目が……燃えるように光ったのを感じた。

挑むような光がこちらに向かうのを。

青みを帯びた瞳の奥……さっき僕が感じた、“明るい闇” から。



「……ね? 判るでしょう? 私はこんなメチャメチャな人間なの。あなたの住む世界とはチグハグな女よ。あなたに必要な人間なんかじゃないわ」


「―――違うノン……!」


僕は、遮った。


一見、もっともらしく聴こえる、ルイの “言い訳” ―――そう、“” だ。僕の求めを退けるための―――を。



ルイの顔……驚いてる。



「ルイ、違う。違うんだよ! きみは間違ってる!」


「間違ってる? 警察に行かなかったこと……?」


僕は、激しく頭を横に振った。


「君が今、僕に一生懸命に説明した、“君がどれほど僕に相応ふさわしくないか”、という話が、だよ! それが、なんだ!」


ルイは瞼をまたたかせた。パチパチと。何度も。


「君が言ってる “あなた” は、“僕” じゃない! そんなのは、架空かくうの誰かだ!」


「架空のって……」


「君が言ってる “あなた” ってヤツは、“僕” じゃない。だって “僕” は、気にしない。君が言うこと、全部…… “僕” は、きみの全部を……、必要としているんだ! !」

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