思い出のキャンプ場

 樫西海岸キャンプ場にて、5時半起床。あたりは車の通りも少なく、四万十川キャンプ場に続き、静かに過ごすことが出来た。朝食を食べ、出発準備。コンクリート敷のところにテントを張ったので、夜露や結露は無くて楽に撤収できる。7時過ぎの出発。


 キャンプ場のあるところから、国道まで戻るのには、激坂が待っている。昨日下ってきたので、それなりに厳しいことはわかっている。朝から気合いを入れて挑むことに。しばらくは緩やかな坂。カーブを曲がると斜度のキツい坂が現れた。ギアを一番軽くして、ペダルを思いっきり踏み込む。心臓がバクバクしだし、汗がふき出る。ペダルを踏み込む足が、重くなってくる。もう少し頑張れ。もう少し頑張れ。そうつぶやきながら、何度かカーブを繰り返すと斜度は緩くなった。1度立ち止まり、休憩を入れる。一番厳しい区間はなんとか乗り越えたようだ。その後も坂道は続くが、斜度はそれほどキツくない。予想していたよりは厳しい区間は短かった。しばらくは息を整えるように、ゆっくりとペダルを漕ぐ。


 国道に復帰してからは、基本的に下り基調で、大月の道の駅まで突っ走ることに。激坂を上って汗をたっぷりかいていたので、下りが続くと体が冷える。途中でウインドブレーカーを着た。朝晩はめっきり寒くなってきたこともあり、これからはウインドブレーカーが必須かも。


 道の駅でホットコーヒーを飲み、体を温めることにする。ここからは宿毛の町に行って、高知県最後の札所、39番札所 延光寺を目指す。宿毛の町に近づくにつれ、車の通行量が多くなってくる。ちょうど通勤時間帯だからか。宿毛の町に到着すると、こんどは内陸に向かう道へ。こちらも道が細いわりに交通量が多い。車道を走るのは危険と思い、歩道を走ることにする。歩道は歩道で走りにくいのだが。


 延光寺は、宿毛の町からは8kmほど。お寺自体はそれほど特徴がない。昨日と同じように、おざなりにならないようなお参りをする。お参りを済ませた後は、本堂横の目洗いの井戸へ。眼病にご利益のある霊水が湧く井戸である。


 昔から近眼、最近は老眼も入ってきているにので、ここはご利益を授かりたいところ。書いてある手順に従い、手ぬぐいに水をつけ目に当てる。近眼は直らないだろうけど、目の衰えをストップさせて欲しいものだ。


 これで修業の道場・高知の札所は終了。海沿いにある高台のお寺には、ずいぶんと苦しめられた。徳島に引き続き、どれだけ自転車を置いて歩いたことか。このあともまだまだ厳しいところはある。いっそう気を引き締めていかなければ。元来た道を引き返し、一度宿毛の町へ。その後菩提の道場・愛媛県に向かうことになる。


 川を越えて、宿毛の町に戻ったところで、お遍路小屋があった。ちょっとここで休んでいくことに。お遍路小屋には荷物が置かれている。他にもお遍路さんがいるのか、辺りを見回すも誰もいない。どこかに出かけているのだろうか。しばらく休んでいると、おばさんがやってきた。


 挨拶をすると、そのおばさんが「お遍路さんか?」と尋ねてくる。そうですと答えると、何やら厳しい目を向けてくる。何かやばそうな感じがして、なるべく愛想よく話すようにする。どうやら昨日ここにいたお遍路さんと、一悶着あったらしい。そのおばさんが声をかけると、「出て行けというのか。おまえは○○学会の回し者か」などと、訳のわからないことを言っていたらしい。出て行けと言ってもいないのに、被害妄想甚だしいとおばさんは怒っている。荷物がまだ置いてあるので、早くいなくならないかと気にしているようだ。「あなたも気をつけてね」と言って去って行った。お遍路さんにも色々な人がいる。出来るだけかかわりたくないと思い、戻ってこないうちに、そそくさと出発した。


 宿毛の町からは、山の中のアップダウンの道。しばらくは快調に走っていたのだが、どうも自転車の転がりが悪い。下っているのにスピードが出ないな、と思っていたら、向かい風が吹いていた。最初はそれほどの風では無かったが、進むほど風が強くなってくる。


 お昼の12時頃になって、坂と向かい風にかなり打ちのめされたので、通りのコンビニで昼食。カレーとメンチカツを購入して、駐車場で食べる。満腹になったところで、気を取り直して進むのだが、やはりなかなか進まない。


 そのうち疲れが出てきて、休憩回数が増えることに。昨日は好調だったのに、向かい風だけでこれだけ変わってしまうのか。それともアップダウンの激しさがそうさせたのか。なんとかアップダウンを越えて、町中に突入。町中は町中で、道路が狭くて走りにくい。今日は走りながら文句ばかりが出てくる。修行が足りないのか。


 町中にある40番札所 観自在寺。霊山寺から1番距離が離れていることから、「四国の裏関所」と呼ばれている。仁王門は木造の風格があるものだが、本堂は鉄筋コンクリート製と近代的で。納経所が本堂の中にあって、お参りしているすぐ横に係の人がいる。お参りする姿をチェックされているような気がして、ちょっと緊張してしまう。


 お参りを済ませた後は、本日の宿泊予定地へ向かうことにする。日本一周の時も泊まった、須ノ川キャンプ場へ。観自在寺からは15kmほど。少し坂道はあるが、それほど苦にならない。ただ、地図を確認すると、最後に長いトンネルが待っている。走りやすいトンネルだったら良いのに。そんなことを思っていると、トンネルの手前で自転車は車道から歩道に入るよう指示がある。歩道を進むと、人と自転車専用のトンネルがあった。約1kmのトンネルは、車が入ってこないので安全だし、空気もきれい。快適にトンネルを走り抜けた。


 キャンプ場には15時くらいに到着。思っていたより、早い時間に到着した。広い敷地にきれいなトイレ、炊事場など充実した施設。道路を挟んだ向かいには温浴施設もある。管理費300円とは思えない充実したキャンプ場。2016年の日本一周の時も、こちらに宿泊した。その時の特別な思い出が頭に残っていて、今回もぜひ利用したいと思っていた。


 *


 2016年4月15日の夜のことだ。緊急地震速報が流れた後、地面が揺れる。テントの中は落下してくるものもないので、特に心配はない。しばらくしたら揺れは収まった。キャンプ場自体はそれほどの揺れではなかった。その後繰り返し防災放送が流れるが、初めて来たキャンプ場でどう行動すればよいかわからない。海沿いのキャンプ場なので、津波の可能性も考えられたのだが、逃げるのが良いのかもわからず。


 不安をいだきながらも、それほどの揺れでなかったこともあり、テントの中でおとなしくしていることにした。経験上、これくらいの揺れなら、避難するほどではないだろうとの判断だ。揺れたのは一度きりだが、その後も繰り返し防災放送が流れていた。うるさくて眠れない、その時の率直な感想。その時はわからなかったが、翌朝のラジオやネットのニュースで、これが大変な地震だったことがわかる。後に熊本地震と呼ばれる地震だった。


 対岸の九州は大変なことになっていた。まさか熊本城が崩れているとは、この時は全然知らず。全くもってのんきなものだった。その後、九州へ行くのをあきらめた自転車日本一周の人がいたり、被災地へ行った人が不謹慎だと言われたり、色々あってこの地震に関しては日本一周の記憶とともに、頭の中に刻まれている。そして、このキャンプ場のことも。


 *


 そんな思い出のキャンプ場。複雑な思いとともに、本日はここで泊まることにした。

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