自転車を置いてお遍路 2

 朝5時半、まだ空も暗いうちにネットカフェを出て、20kmほど先にある18番札所に向かった。朝早くに出発したのは理由がある。


「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」


 徳島県にある札所の中で、その道のりが厳しいといわれるお寺ベスト3である。一番厳しいといわれるのは、昨日訪れた焼山寺。残すふたつは本日訪れる予定の、20番札所鶴林寺と21番札所太龍寺。どちらも山の上にあるお寺だ。20番札所鶴林寺への道は昨日の焼山寺と同じく、厳しい坂道を上っていかねばならない。どれだけ時間がかかるのだろうか。


 そのことを考えると、ゆっくりとしていられなかった。なるべくその手前のふたつの札所は、早い時間にお参りを済ませたい。18番札所へは納経受付が始まる、7時くらいには到着しておきたかった。


 18番札所恩山寺が近づくと、寺への案内板が坂の上を指している。町中にあるお寺なので、てっきり平地にあるものだと思いこんでいた。良く考えたらお寺の名前にも山が入っているじゃないか。小高い山の中腹にあるお寺で、そこへ至る道は距離はそれほどないものの、そこそこ斜度がある坂道だった。朝から大量の汗をかいてしまう。


 お参りを済ませ、19番札所立江寺へ。こちらは四国の各県に、一つずつある関所寺。どういう謂われがあるのかわからないが「心がけの悪いものは山門から先には進めないどころか、天罰が下るという」とガイドブックには書かれている。心がけが良かったのか問題なく進めた。天罰はいつ下るかわからないけど。


 さて、いよいよ20番札所鶴林寺への挑戦。標高475mのところにあるお寺で、先ほどの18番札所の比ではない。遍路道はお寺の北側にある勝浦川方面から上るのだが、車両は一般的に南側の那珂川沿いから上る。


 那珂川沿いの道はそれほど斜度の無いなだらかな坂道で、車でお偏路する人向けによく整備されていた。川沿いを離れ、山へ向かう道に入る。ここからが本格的な坂道だ。事前に調べた情報では、「焼山寺の坂よりもキツくない」とあった。たしかにあの焼山寺への道よりは、斜度は緩いようだ。これなら上れるだろうと挑戦する。しかし徐々に斜度はきつくなってくる。焼山寺では簡単にあきらめてしまった。今回はあきらめない。なんとしても最後まで、自転車で上ってやる……


 数分後、息は上がってしまい、ペダルを漕ぐ足を止めてしまった。日本一周をしていた時なら、上れたレベルの坂なのに。やっぱり体力がかなり落ちてしまったのか。


 自転車にまたがったまま休み、息を整える。少し落ち着きを取り戻したところで、もう一度ペダルを漕ぎだす。逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ。どこかで聞いたフレーズを口ずさみながら、上っていく。しかし、すぐに息は上がり、また足を止めてしまった。このまま休憩を繰り返しながらでも上るべきか。


 いや無理だろう。今回も結局、自転車を道ばたに停め、歩いて向かうことにした。


 車道を歩いて進むと、遍路道があった。車道を行くよりは大幅に距離を短縮できるので、この道を行くことにする。歩きやすいように整備されてはいるが、斜度のキツい山道だった。この道を20番札所へ向かうのは「逆打ち」ルートとなる。通常二十番札所のお参りを済ませた人が、21番札所へ向かう道だ。


 何人かのお遍路さんとすれ違う。通りすがりに挨拶を交わす時、励ましてくれる人もいる。また、「逆打ちですか? 大変ですねぇ」と言ってくれる人も。途中まで自転車で来て、上りきれずに歩いているのです、とは言えず。違うんですけどねとつぶやき、ひきつった笑顔で挨拶だけを返した。


 結局、2kmほどの道のりを歩くことになった。登山をした感覚。お寺の境内に入ると、まずはベンチを探し、座って休憩。水分をたっぷりととって、息を整える。同じようにベンチで休憩しているお遍路さんも多い。


 落ち着いたところで辺りを見回す。思っていたよりも広い境内。焼山寺で感じたような、あの張り詰めたような空気感は無い。空間が広いからだろうか。それとも周りにたくさんのお遍路さんがいるからだろうか。それともお昼に近い時間帯なので、空気が緩んでいるのだろうか。同じような山の上にあるお寺で、同じように大変な思いをして上ってきたのに、受け取る印象は全然違う。山の上にある普通のお寺、そんな感じだった。


 お参りを済ませたあとは、同じルートで自転車のところまで戻る。山道の下りは心肺機能に負担はかけなかったが、膝がガクガクになり、プルプルと震だするような大変さだった。お寺自体より、大変な道のりだったことだけが印象に残った。


 次に向かうは21番太龍寺。こちらも標高600mの山頂付近にある難関のお寺だ。しかし、現在こちらのお寺へはロープウェイがある。昔のように険しい山道を上らなくても良いのだ。もちろん自転車で上っていく道もあるのだが、最初からロープウェイを利用することを決めていた。お寺へ向かう道では無く、ロープウェイ乗り場を目指して走り出す。


 必死で上ってきた道を今度は快適に下り、川沿いの道へ。そこからは緩やかな上りの道を6kmほど走れば、ロープウェイ乗り場に到着。道の駅が併設されている、きれいで大きな施設だった。


 山登りで疲労した体にパワーを補充すべく、まずは昼食を食べることに。食事処でボリュームのある、鶏の唐揚げ定食を食べた。ロープウェイの出発時間までは少し時間が合ったので、道の駅の情報コーナーで時間を潰す。トリックアートを使った写真撮影コーナーがあったので、ちょっとおバカなポーズで撮ってみたりもした。


 出発の時間が来たので、ロープウェイに乗り込む。こちらのロープウェイは往復2600円と、ちょっとお高く財布には優しくない。しかし、乗ってみるとこれがなかなか楽しく、そんなことを忘れさせてくれた。西日本最長で、山越え・川越えを行う珍しいロープウェイ。見晴らしも良く、景色を存分に楽しめる。山を越えて下りになるところなどは、落ちるような感覚になってジェットコースターみたい。ガイドさんの説明も楽しく、これはもうアミューズメント施設。


 10分ほどで山頂駅に到着した。乗り場を出た正面に階段があって、それを上がるとすぐに本堂がある。本堂にお参りするのは後にして、まずは山門に向かう。山門から入ってお参りする。それが自分にとって正式な手順。山門に向かう途中、このお寺の境内が広くて、たくさんの伽藍があることを知った。しかも、それらに施された彫り物などは、どれも豪華で素晴らしい出来。山門の近くにある持仏堂には、龍の絵が描かれた天井がある。これもすごい迫力だ。山の上の歴史ある巨刹。ガイドブックを確認すると、太龍寺は「西の高野山」と呼ばれているとのことだった。


 今までのお寺では次へ次へと気がせいて、ゆっくりとお寺を味わってこなかった。でも、こちらのお寺は同じようにお参りだけで済ませるのはもったいない、じっくりと見学していこうと。今回の遍路旅の中で、初めて抱いた思いだった。本堂と大師堂をお参りするだけで無く、他の伽藍などもじっくりと見て歩く。


 その途中に気づいたことがあった。このお寺はいたるところにスロープがつけられ、バリアフリー化されている。車椅子の方でも、少し大変かもしれないが、お参りできるようになっているのだ。こんな山奥のお寺なのに。これはロープウェイがあるから、出来たというのもあるのだろう。障がい者にとっても優しい、今回の旅で初めて感心したお寺だった。


 帰りもロープウェイで。行きも帰りも、同乗者が海外の人ばかりというのも面白い。ガイドさんはスマートフォンの翻訳機能を駆使して、必死にガイドしていた。料金の2600円は、ロープウェイの楽しさ、お寺の素晴らしさ、それもまとめての入山料と考えたら、全然高くないと改めて感じた。ロープウェイで戻って来たら、時刻はもう15時を過ぎていた。1時間以上、お寺にいたことになる。ずいぶんと楽しんだものだ。


 次の22番札所までは15kmほど。普通に走れば、納経終了時間には間に合いそう。とりあえず出発する。


 途中に道の駅があったので、休憩することにする。ベンチに座り込むと、もう今日はこのへんで良いかと思うようになった。太龍寺ではそれほど体力を消耗しなかったが、鶴林寺への山道の疲れがどっと出てきたようだ。もう自転車に乗りたくないと。


 ガイドブックを見ると近くにお遍路小屋があるようなので、それを見に行くことにする。そこが良さそうなら、そこに泊まろうと。それは畑の横にある、ほんの小さな東屋だった。人一人が寝ころぶのがやっとという大きさ。近くにはトイレもなかった。これでは不便なので、ここでの宿泊はやめ、道の駅に泊まることにする。


 道の駅にテントを張るのは、本当は良くないのかもしれない。しかし建物の裏手なら目立たないし、邪魔にもならなさそうだ。日が暮れるまでは、辺りをぶらぶらして時間を潰す。日が暮れたところでテントを張って、本日は終了とする。


 夜、テントの中でブログを書いていると、風が強くなってきた。建物である程度、風は防げているのだが、近くの木々が騒がしい。スマホでニュースサイトをチェックすると、どうやら台風が発生しているらしい。ひょっとしたら、台風はこちらに来るかもしれない。そんな不安をいだきながら、眠ることになった。

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