第27話 おじいちゃんのお弁当を持って

 初めての偵察ていさつは失敗して意気消沈いきしょうちんした僕だったが、日にちが経つにつれ落ち込んだ気持ちも薄らいだ。

 あれから九尾ハクセンの気配はまったく感じられず特別な騒動そうどうも起きず穏やかな日常が過ぎている。



 やがて長い梅雨が明けて暑い夏がやって来た。

 眩しい陽射しは僕の肌をジリジリと焦がしていく。

 地上に降りそそぐ太陽の熱は容赦ようしゃなくて体が溶けてしまいそうだ。

 あたりの山の木々から騒々そうぞうしいぐらいのせみが鳴いている。

 ――僕は夏が好きだ。

 家族で海に旅行に出掛けた日を思い出す。

 よく覚えている。

 どこまでも続く水平線、にょきにょきと顔を出す入道雲……。

 白い砂浜美しく青い海は底まで透きとおってカラフルな熱帯魚が僕の足にまとわりついてきた。

 楽しくて楽しくて。

 僕は家族が一緒でいられるのが当たり前だと疑わなかった。

 ――あの日までは。

 南の島に旅行に行った年の冬休みにあっけなく母さんは病気で死んでしまったんだ。

 そして今父さんは連れ去られたままだ。

 家族が欠けていくなんて僕には考えもつかなかった。



 待ちに待った夏休みになった。

 僕は結局サッカー部に最後までいて一学期終了と共に引退した。

 シグレは選抜メンバーだから引退は大会が終わってからだけどね。

 僕は本格的に受験勉強に励むことになった。

 今日はおじいちゃんがお弁当を作ってくれ朝から一人で図書館に行って勉強している。

 美空や彩花、妖怪猫又の虎吉に妖怪犬神の豆助とたぬき妖怪のポン太もついて来たがっていたけどね。

 僕も受験生なんだし勉強しないとさ。

 まったく断りづらい誘惑が多くて参っちゃうよ。

 ついこの間も「お兄ちゃん遊びに行こう」とか誘われて皆と遊びに行っちゃった。

 それに「雪春、海に行こうニャンよぉ」なんてウルウルした目で可愛く言われちゃうと断れなかったし。

 歩きでも行ける近くの海に出掛けたりして遊んでしまうんだ。

 こんなんじゃ受験生としてまずい。

 今日は真面目に受験勉強しなくちゃ、夏休みの宿題もあることだし。

 図書館の入っている建物にカフェや無料の休憩所があって便利だな。

 お昼になり僕は休憩所に移動してテラス席に座った。

「雪春、大変だニャン! 皆が行方不明になったニャ」


 虎吉の声がどこかからする。


「虎吉、どこ?」


 僕はリュックを抱えて虎吉の声がした方に行く。

 キョロキョロと虎吉の姿を探すと花壇の植え込みに隠れた猫の姿の虎吉の姿があった。手に何か抱えている。

「雪春〜」

 抱えている物はポイッと放って僕の顔を見るなり泣きそうな声で僕の名前を呼んだ。

「虎吉!」

「雪春〜」

 虎吉はジャンプして僕の胸に飛び込んできた。僕は虎吉を慌てて受け止め、代わりに持ってたリュックはドサッと落ちた。

「まずいニャ」

「行方不明ってどういうこと? 皆って誰と誰?」

「えぇっとニャ、今日は彩花がヒナタに会いたいって言うから満願寺に遊びに行ってたニャン。オイラはイヤだって言ったのに無理矢理に抱っこで連れてかれたニャ。ひどいニャン? で、甚五郎がお昼の前にやって来たニャ。みんなで食べてってお弁当を持って来たニャンよ。中身は鮭とおかかのおにぎり、あっ明太子おにぎりもあったニャンね。それに唐あげと卵焼きと芋の煮っころがしにニャ、あとはニャ……」

「虎吉、今はお弁当の中身の話はしなくても」

「あぁ、そうニャンね。オイラはちょっと飽きたんで雪女のトコに行ってたのニャ」

 それはあの七人の座敷わらしから逃げたのかな。

「お昼になってお腹が空いたから満願寺に戻ったのニャ。そしたら誰も居なくなっていてこれが……」

 虎吉がさっき地面にポイッと投げ散らかした物を指差す。僕は虎吉を片手で抱いたまましゃがんで見てみた。

 虎吉が小さな手で抱えていたのは数本の扇子だったんだ。

「――全部、割れてる」

「そうニャン。その扇子は蔵之進に甚五郎と満願寺の和尚のニャ。匂いもするし持ってるのをオイラ見たことあるニャン」

「ちょっと待って。みんなが行方不明なの? そんなに大勢が?」

「そうニャっ! だからさっきから大変だって言ってるニャンよ!」

 居ないのは、美空も、彩花も……おじいちゃんや豆助やポン太も? 蔵之進さんやシグレのおじいちゃんもなの? サクラさんやシグレの弟たちは?

 とにかくみんなを探さなきゃ! それから状況をちゃんと確認しないと

「探しに行こう、虎吉!」

「行くニャっ!」

 僕は虎吉を抱きしめて、腕に抱えて図書館の休憩所を後にしようとした。気持ちが焦る。

 ――不吉な前触れ。

 それは急にやって来た。

 あたりに黒いもやが立ち込めた。

 僕の頭に警鐘けいしょうが鳴る。

 周りの喧騒けんそうが遠のいて、今まで僕に聞こえていた音という音が聞こえなくなっていき、不気味なほど静かになった。


 ――『どこに行くんだい?』――


 ……はっ!

 僕の後ろから聞いたことのない声がした。

 その声はひどく冷たくて。

 僕は振り返る。

 目の前には、ただ者ではない気配をまとった少年がいた。少年から立ちのぼる紫ががった黒色の煙、あやかしのオーラ。

 腕の中の虎吉が「フーッ!!」っとうなり声をあげて、毛が逆立った。スルッと僕の腕から下りて、背中を丸め山の様に隆起りゅうきさせて警戒けいかい威嚇いかくのポーズを取る。

『初めまして。君が雪春だね』

「君、君がまさかハクセンか――?」

『そのとおり。ボクが九尾総大将ハクセンだ』

 この子が、ハクセン!

 見かけは僕と変わらないぐらいの年の男の子だ。

 銀白の毛の耳が頭についている。ふさふさの九本の尻尾が揺れて、目の色は宝石みたいなアクアブルーで。

 この子が父さんや母さんと仲の良かった妖怪九尾ハクセン。

 驚きだった。だって子供じゃないか。

「雪春、見かけにだまされちゃだめニャンよ。コイツけっこう年くってるはずニャ。妖怪は時の流れが違うからニャ」

 こんなにあどけない感じなのに、最強で。妖怪の中でも怖い存在と言われれているのか。

『フフッ。年くってる、か。そうだね、実際のところは自分でもよく分からないや。久しぶりに勝太郎に会ったら、ずいぶんおじさんになったなとは思ったけどね』

「父さん? 父さんは無事なの?」

『ククッ。勝太郎は生きてるよ? ちょっとしたお仕置きしてるだけじゃないか。だってボクから、大好きなあずさを奪ったんだからね』

 冷たい、ヒヤッとする声音こわねだった。

「そんな自分勝手なこと、僕は許せない! 君が好きになった母さんは父さんを選んだのは仕方ないだろ?」

「仕方ない? オマエにはまだ分からないよ。大好きな人が自分以外を選ぶ絶望。捨てられる恐怖。こんな苦痛を与えた勝太郎には、だからお仕置きするの。アイツは大切なものをもっと失くしてしまえば良いんだ」

「ウワーッ!」

 僕はかぁっと怒りがこみあげて、たまらずに九尾ハクセンに飛びかかった。

 ス――ッ。

 えっ!? あっ、あれれ?

 僕はハクセンの体をスッと通り抜け、地面に倒れて体を打ちつけた。

 焦ったけど、僕は無意識に膝や手を先に地面に着いて少し衝撃を和らげていた。

 れて血が滲む手と、打った足がジンジン痛む。

 ハクセンの体を掴めない、触れられなかった。

「雪春! 大丈夫ニャンか!?」

「うん、大したことないよ。ハクセンは体が無いの?」

「あれは妖術ニャンね。オイラも本物のハクセンかと思ったニャン。あんなにはっきりした姿を出せるなんてニャ」

『クククッ。不様だねぇ。おかしかったよ、オマエの姿は』

 よくよく見れば、九尾ハクセンの体が微かにゆらゆら揺れてる。

 僕が飛びかかったから、風が起きて揺れてるみたいだ。

『どうだい? 雪春、ボクと戦ってみるかい? 来いよ、こちらの世界に』

「――行ってやる。みんなを助けるんだ」

『ハーッハッハッハ。雪春、オマエみたいな弱いやつにボクが倒せるものか。仲間を助けてみなよ。そんなこと出来ないと思うけどね』

「助けてみせるさ!」

『クククッ。待ってるよ、雪春――』

 九尾ハクセンの幻は消えた。

「幻影が消えたニャン。九尾ハクセンの気配もすっかり消えたニャ。雪春これからどうするニャ?」

 僕の心は決まっていた。

「妖怪の世界に行って、九尾ハクセンからみんなを助ける。……虎吉、一緒に来てくれる?」

「もちろんニャ! みんなを助けるニャン!」

 目指すのはほこらの道の先、妖怪の世界九尾ハクセンの城だ。

 僕はリュックと扇を拾い上げ虎吉と駆け出した。

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