第二章 新しい生活

第5話 おにぎり屋さん

 朝、日の出をちょっと過ぎたあたりに竈門で炊いた御飯の香ばしい匂いが湯気と一緒になって厨房の奥から店の隅々や各部屋にまで漂い始めた。


 僕たち兄妹がおじいちゃん家への引っ越して数日が経った。


 僕はおじいちゃんの手伝いをかって出た。定食屋さんの開店時間前に早起きして手伝う。

 彩花はお寝坊さんだからまだまだ起きては来ない。美空はまもなく起きて2階から下りて来る頃だろう。


 僕は母さんが亡くなってから必要に迫られて家事をやり始めたが嫌いではなかった。特に料理は好きだ。


「おはよう、雪春」

「おはよう」


 勝手口からおじいちゃんが小松菜をたくさん抱えて入って来た。

 僕が慌てて手伝うと足下に着物姿の小さな子供が二人もやって来て「俺たちにも手伝わせろ」と言う。


 僕におじいちゃんはニカァッと歯を見せて可笑しそうに陽気に笑った。


「なんだなんだ、雪春も虎吉も豆助もいるのか? おじいちゃんだけで大丈夫だぞ」

「じいさん、耄碌もうろく、老いてきた」


 柴犬のような尻尾を振ったり頭の上の耳をピョコピョコさせて犬神の豆助は小松菜を炊事場で洗い始める。


「甚五郎は年食ったからニャ。オイラたちと雪春が頑張るんニャンよ」


 猫又の虎吉は腕まくりをして着物にタスキをかけ身支度すると大根を千切りに切り出した。


 父さんが失踪してしまい関東地方から移り住んできた僕たち兄妹、少しづつおじいちゃん家の生活に慣れてきた。

 普通の家には起きない、飛び上がるほどびっくりしちゃうことがおじいちゃん家『おにぎり定食屋甚五郎』には当たり前のようにたくさん起きてる――


『いいか、雪春、美空、彩花。おじいちゃん家にはなぁ、何匹か妖怪が住んでおって他にもいっぱいあやかしやら物の怪が遊びに来る』


 おじいちゃんは引っ越し途中で僕らにそう告げた。

 話をしてる時、猫又の虎吉がおじいちゃんの横で尻尾を振り振りしながら得意げな顔で跳んだりバック転したりヒーローの決め技を披露していた。


 それからおじいちゃん家には――。


「雪春くん、おはよう。みんな、おはよう」


 僕の背後からしっとりと落ち着いた澄んだ笛の音のような声がした。


「あっ、サクラさん。おはようございます」


 僕はこの人の声にはドギマギしてしまう。

 制服にエプロン姿三角巾をつけて、艶のある長い黒髪を一本に束ね、背の高いすらっとした美少女が目の前にいる。

 ――この人、サクラさんはおじいちゃん家の離れに住んでいる。


 サクラさん、元々は『おにぎり定食屋甚五郎』のお客の一人だったみたい。

 おじいちゃんはサクラさんを引き取ったと言っている。

 サクラさん本人は半分お客で半分住み込みのバイトですと小さく言いながら申し訳なさそうな顔を見せていた。


 初めて会った日、サクラさんが答えた時に見せた困った顔がとても悲しそうだった。


 行くあてのなかったサクラさんは桜の精の蔵之進さんに助けられ誘われおじいちゃん家に住むようになったそうだ。


 サクラさんと本当の家族みたいになれたらな。

 彼女の寂しげにはにかむ横顔が切なかった。

 

 あの顔を思い出すたびに僕の胸は、太くて鋭いとげが刺さったみたいに痛んでいた。



         つづく


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