久我攻防戦 前編

 別に何かを好んで聴くとか、誰々のファンとかそういうものは特にはない。音楽アプリの定額サービスで様々な曲を雑多に聴いていく中で、たまたま高校時代に流行っていたアーティストの名前を見つけたのでベストアルバムをダウンロードしただけだ。それでも、前向きな気持ちになれるような軽快なドラムのリズムが僕の足を強く前へと押し進めていく。しんみりとしたバラードも嫌いではないが、いまはそういったものを聴く気にはなれない。イントロの数秒だけ聴いてすぐに曲送りをする行為を納得いく曲が選曲されるまで繰り返す。


 気に入った曲が終わったならまた再び曲送りを連続して行う。それを続けていき、4曲の再生が終わった頃には僕の身体は校門を通り抜けていた。今日受ける予定の授業はない。卒論のデータが入ったパソコンは持ってきていない。やることは、話すことは一つだけなのだ。それ以外の余計なものは必要なかった。どこにも立ち寄ることもせず、頭の中にいるもう一つの人格に声をかけることもなく一気に部室棟まで歩いていく。


 自動ドアをくぐり、エレベーターに乗り込む。3階に一気に進んだ僕はそのままの勢いで大股で一気に部室へと突き進む。普段施錠されている部室には、一番最初に来たものは受付で予め鍵を借りなければならない。そうでなければ入ることはできないのだから当然といえば当然なのだが、受け取ることを忘れたわけではない。言葉にできるようなものではないのだが、予感というか確信に近いものがあった。


 ドアノブを掴み、力を入れる。手に伝わるのは、軽い感触。案の定、鍵がかかっているような感触はない。ゆっくりとドアノブを回し、開く。


「おはよー、思ったより早かったねぇ」


 秋の太陽の光が窓から溢れている。その光を全身に浴びながら、三倉邑兎はこちらを向いていた。彼女の細く滑らかな髪の毛がきらきらと輝いている。それは太陽の光によるものなのか、それとも蛍光灯の光か、更に別のものかどうかはわからなかった。


「そりゃあ、あんなこと言われちゃあな、気になって夜も眠れやしない。とにかく教えてくれよ。あの化け物について、どこまで知ってる?」


「にゅふふふ、せっつくねぇ。セッカチな男は嫌われるよ? まぁ、時間はたーっぷりとある。ゆっくりと話そうじゃあないか」


 勢いよく椅子に座る邑兎を見て、僕も自分の席に腰掛ける。これからする話を誰かに、特に藍原さんに聞かせるわけにはいかない。部室に鍵をかけたほうがいいのかもしれないと考えたが、時間が時間だ。基本的に一日の講義が終わった後に部員たちは部室にやってくる。こんな朝早くにやってくるのは、おそらく僕たちぐらいだろう。小さく咳払いをして、邑兎を真っ直ぐに見据えた。小細工や回り道など彼女に通用するとは思っていない。疑問に思っていることを直球でぶつける。


「やかましい。駆け引きとかしてる状況でもないんだ、単刀直入に聞くぞ。邑兎、『鍵』をばら撒いてるやつを知ってるか?」


 邑兎の表情は変わることはない。しかし、彼女の周りの空気全体がじっとりとした重みを持つ。形容しがたい重苦しさに内心たじろぐが、それを悟られまいと表情筋に力を入れた。


「あれれれれれ、そんなこと聞くんだ。その辺まではとっくにわかってると思ってたんだけど」


 邑兎の瞳が鈍く光る。『鍵』の開いた歪んだ夢の世界に侵されていた野々村さんとはまた違った、宇宙の果ての星のような底知れぬ恐怖に近いものを感じる輝き。無限ともいえる膨張の上、重なり合った隣の宇宙のことを知ってしまった僕に、邑兎は途轍もないことを言い出した。


「ばら撒いてる、とはちょっと違うけど――まぁいいや。可南子チャンに『鍵』を渡したのが、あたしだって言ったらどうする?」


「え」


 予想するはずもなかった邑兎の言葉に、素っ頓狂な生返事を返してしまう。


「だーかーら、あたしだって言ったらどうすんのって。造ることも売ることも罪にならないものをタダで渡したとして、それがなにか咎められるようなことになるの?」


「な……ッ」


 全く悪怯れることなく、さも当然と話す邑兎は呆気にとられて絶句する僕をちらり、と見た後に小さく息を吐く。彼女は自分自身の言葉を吟味するかのように顎をさすると、一瞬の静寂の後に力強く言葉を紡ぎはじめる。


「単純な話だよ、あたしは人類を進化させたいんだよ。いつか畑中クン、君に言ったよね。人々が会話もなくわかりあえる日はもうすぐそこだって。あの時はルーツツイン現象で例えてたけど、実際には『鍵』という外的要因による外宇宙との接続が1番手っ取り早いってコトさ」

 

 またも邑兎は僕の思考を読み取っているかのように、つまらなそうに応える。ルーツツイン現象とやらが何をどうするものなのか皆目検討もつかないが、『鍵』によって外宇宙の存在、つまり情報を共有している生命体……リバーシブルと繋がる存在を増やすことによって隣の宇宙とリンクを強めていくというこは、隣の宇宙に存在するリバーシブルを経由してこちらの宇宙に存在する僕たち人類の思考も共有されるという仕組みなのだろうか。全くもって机上の空論であるし、他人に思考が読まれて、感情を読み取られることなんて真っ平御免だ。


「うーん、畑中賢治クン。キミもやっぱりそう思うんだね。でも、みんながみんな、お互いの考えていることがわかれば、啀み合うこともない。殺しあうこともないじゃない。手札を開けたままのポーカーなんて、やっていてもつまらないでしょ? そんなクソゲーなんて、やることがなくなるんだ。そんな時にさ、うまい話が転がってきたんだ。乗らない手はないでしょ、この大きなうねりにさ。まぁあたしは世界を変えたいとか、ひっくり返したいとかそういう大掛かりな野望を持ったりしているワケじゃないんだ。ただ、あたしの周りだけ変わればいい」


 僕の否定の念をしっかりと受け取った邑兎は眼を伏せながらもはっきりとした口調で語り続ける。僕の心の声を読み取るって話すのももう驚かない。よほど僕の顔は感情を読み取れるのだろう。そうでなければ、本当に彼女は人の心を読み取っていることになる。


「可南子チャンは、残念だったよ。あの子は、あの子は強いと思ってたからさ。なんとか壁を越えられるのかと思ってたからこそ『鍵』を渡したのだけれど。悲しいけど、こういうこともあるだろうね」


 実験が失敗したかのように、更にはそれが失敗することがわかっていたかのように淡々と話す邑兎に悍しいものを感じてしまう。オカルト研究部としての日常を共に過ごしてきた仲間である野々村さんの現実を侵食するようなことが出来るのか。分かり合いたいという願望があったとしても、だ。無意識に椅子の上に置いていた手を強く握りしめてしまうことにより、自分自身の怒りを認識する。


「で、畑中クン。どうしてキミにここまで色んなコトを話したか、わかる?」


 僕の怒りもとっくにわかっているのだろう。徐ろに立ち上がり、僕を見下ろしながら三倉邑兎は楽しそうに笑いかける。『講義』をしている時とは違う屈託のない笑顔に面食らうが、小さく首を振る。なんとなく予感のようなものはある。それでも、それを口にするわけにはいかなかった。


 恐らく、邑兎も隣の宇宙の近い存在と繋がっている。それも僕や藍原さんと同じように、『鍵』などを使用せずに、偶然に。近しい三人が同じような状況に陥るなどそれこそ天文学的な確率だろう。しかし、それを頭ごなしに否定することなどできない。ここ最近、聞く話といえば現実味の欠片もない荒唐無稽なものだ。ここまで来てしまうと、もう何があってもおかしくはないのだ。


 僕自身が座っている安物のパイプ椅子が軋む音と安っぽい壁掛け時計が秒針を刻む音の二つが重なる。音楽を嗜む者ならば確実に眉を潜めるような不協和音が、今この瞬間が決して逃れることのできない現実であることを僕に告げている。せめてもの希望を持って奥歯で舌を軽く噛んでみたが、鋭い痛みが走るだけだった。


「わかってるよね、うん。その通りなんだ」


 聞きたくない言葉が聞こえるのも、現実そのものだ。

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