既知との遭遇 後編

 目が覚めるといつもの見知った天井があった。昨夜の夢の中で彼――コリィと話したことはまるで現実であったかのように鮮明に思い出せる。警察でもなんでもない僕が出来ることなんて殆どないかもしれない。それでも、何の因果か『知ってしまった』のだ。出来る限り動いて、動いたなりの結果を知りたいと思うのは何も不自然ではない。


 机の引き出しを開けて、奥に突っ込んであった小箱を取り出し、中身を取り出す。あの時野々村さんから受け取った紅く丸い錠剤が時間が止まっていたかのように収められていた。こんな錠剤が、あのような恐怖心を通り越した混沌で形造られたバケモノの肉体で作られているとは、とても思えなかった。


『俺の宇宙では、リシメルナルキスブリバキリンド……三倉邑兎はリバーシブルと言っていたあの怪物のことを発音するんだけど、今はキミがわかりやすい方がいいよね?』


 頭の中でコリィが小さく呟く。リシメルなんとかなんて一度で覚えられる気がしない。リバーシブルのほうがまだ理解できる。


「そうしてくれ。一々そんな長ったらしい名前で説明されたら頭がもっとおかしくなっちまうよ……」


『わかった、そのように。俺が噂で聞いた話では、そのリバーシブルに対抗する為にヤツらを研究する機関のようなものがあって、その中で並行世界からエネルギーを吸い取って攻撃手段にしようという話があったらしい。まぁ、事故か何かでその研究は頓挫したというか、主要メンバーが施設ごと吹き飛んでしまったらしいね』


 コリィの話を聞きながらケースを元の位置に戻し、身支度を始める。自宅に篭っているような気にならない。それ以前に、邑兎ともう一度話をしなければならない。彼女にはまだ聞きたいことがたくさんある。それにしても、施設ごと吹き飛んだとはなかなか物騒な話ではある。昔見たロボットアニメに事故に巻き込まれた瞬間に架空の異世界に吹き飛ばされるような描写があったが、もしかしてそのような現象が起きたのだろうか。冷静に考えるとあまりに陳腐な発想だ。


「馬鹿みたいな想像だけど、その吹き飛んだヤツらがこっちに飛んできたとかいう話をはないだろうか。根拠も何もない話だけど、仮にそのメンバーがこっちに来たとして、元の宇宙に戻る手段を探してるとか」


『なかなか面白いことを考えるね。そういうことか』


 僕の出鱈目な考えを、コリィは笑い飛ばさなかった。代わりに小さく呟きながら、思考に耽っているようだった。彼の思考を邪魔してはならないと、出来るだけ雑念を持たずに身支度を手早く済ませていく。


 無心で物事を行っていると、時間というものはあっという間に過ぎていくものだ。気づけばそろそろ出かける時間になっていた。着替えを適当に終わらせ、家を出る準備に差し掛かったところで、やっとコリィの声が聞こえてきた。


『……彼らにとってはリバーシブルが存在しないこの世界は理想郷そのものかもしれない。帰る手段を見つけるということは、行き来する方法を見つけることに他ならないだろう。そしてそれを探しているのは、彼らだけではないだろう』


 彼らだけではない。コリィのその言葉を聞く前から、その可能性は微かに僕の頭の中の片隅にはあった。考えなかったというよりも、考えてはいけないと思っていた。もし、対策を行なっていたとしたならばサンプルの一つや二つはあるだろう。それがメンバーと一緒にこの宇宙へとやってきた場合、状況によっては未曾有の危機を世界中にばら撒き続けるだろう。


『リバーシブルだよ。ヤツらもどうにかしてキミたちの宇宙へと行きたがっているのかもしれない。ヤツらは全ての高度意識を喰い尽くし、統合する為に動いている。この世界は、ヤツらにとって格好の餌場に感じているかもしれない』


 宇宙からもたらされた未知のものが地球に危機をもたらす。SF映画でありがちな内容だ。地球の中で繁栄を続けてきた人類の歴史に歯止めをかけるような存在がある日突然やってくる。だがそれはあくまでフィクション、虚構の話しだ。現実にあっていい話ではない。


『ヤツらは、喰った対象に擬態する。外見を服装ごと複製して、対象と寸分違わぬ記憶を持つ。つまりその対象そのものに成り代わるんだ。擬態したリバーシブルは、誰にも見分けることが出来ないだろうね』


 背筋がぞわり、逆立つのを感じる。語られることのなかった新しい情報。宇宙の果ての果てに、途轍もない力を持っている生命体が存在するとは、数ヶ月前の自分であったらとても信じることなどできなかっただろう。


「……記憶を持っていたとしても、ソイツがリバーシブルであるのとは認識しているん、だよな。それを忘れてヒトとして生きているなんてことは無いよな?」


『俺が知る限りでは、そんな事はなかったはずだ』


 自己の認識そのものを構成する記憶ごと外見を複製した存在がいるならば、それが本物か偽者か判断することは不可能だろう。隣人が怪物に擬態しているなんて自らが疑心暗鬼になりそうな話ではあるが、今はそれは考えない事にする。


「じゃあ、ソイツが誰かを唆して、自分や他のヤツの肉体を削ったりして『鍵』を作ってるってコトか? 広めた『鍵』でコリィのいる宇宙と繋がる人を増やしまくって、ネットワークを厚くしていく。そうして、二つの宇宙を行き来する方法を見つけ出そうとしている」


『キミの推理が本当だったら、とんでもないことになるだろうね。仮に二つの宇宙が繋がってしまったら、ヤツらがこちらにやってきたのなら。正直なところ、キミ達の宇宙の人々は俺達よりも暴力的だ。俺達がお互いを疑い始めるよりも早く、お互いを信じられなくなり、隣人を、家族を、恋人を疑い、排斥する。そうなってしまえば、もう終わりだ』


 ならば、僕がやることがなんとなくわかった。どうにかして『鍵』を作っている人間を見つけ出し、警察に突き出す。それが海外にいたならばどうしようもないが、近くにいるならば出来ることはある筈だ。


「言っちまえば、まだまだマイナーなクスリだ。今ならまだどうにかできる可能性ってのはあるだろ」


 両の頬を叩き、気合を入れる。靴を履いて勢いよく外に飛び出した僕の頭の上は、どんよりとした曇り空が広がっていた。これから雨が降るかもしれない。なんだか出鼻をくじかれたような気がするが、ずぶ濡れになるよりはマシだと一本後ろに戻り、傘を手に取って玄関のドアを閉めた。


 おそらく、邑兎は今日も部室に顔を出すだろう。また『講義』が行われるだろうが、もはやそんなことなどどうでもいい。彼女が知っていることを確認して、次なる行動の指針にするだけだ。階段を下りる足音が大きくなってしまいそうになるのを堪えながら、勇む足を前へ前へと伸ばしていく。


 流石に何も対策をせずに外でコリィと会話をするわけにはいかない。空中に向かって会話をする、それも隣の宇宙やそこに存在する怪物の話など側からみれば完全に危ない人だと断言される。ヒトに化ける怪物などにならなくても、ヒトから拒絶される方法など幾らでもあるのだ。


『流石に分別は弁えるつもりだけど、ね』


 彼の言葉を拒絶するつもりはないが、頭の中身を読まれるのもそれもそれで癪に障るのだ。イヤホンをスマートフォンに繋ぎ、音楽アプリを起動する。何も考えずシャッフル再生のアイコンをタップすることにより、耳孔に直接流れ出してくる一昔前のJ-POPを聞いていると、徐々に低くなる気圧を感じる。やはり、そう時間が経たないうちに雨が降りそうだ。手に持った傘が小さな安心感を僕に与えていた。

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