既知との遭遇 前編
足の裏に伝わる感触を理解した瞬間に、自分が夢を見ていることを認識する。相変わらず僕の見ている世界は真っ黒な針葉樹林が果てなく広がり続けていた。
昨日はわからないことだらけだ。邑兎の言っていたことが事実だとしたらどことなく辻褄が合うような気がしてきているが、なぜ彼女がそんなことを知っているのか、更に根本的問題として『鍵』がどう造られているのか皆目検討がつかない。
そして、隣の宇宙の住人と繋がることで超能力を得ているというならば、僕の頭の中で騒ぎ続ける声もそのような類のものなのだろうか。遽には信じられないが、このタイミングで夢を見るのもある意味でいい機会なのかもしれない。
「そういうこと、なのか?」
この空間で自分が意識して声を出せたのは初めてだった。小さな声は一瞬で木々に吸い込まれて消えてなくなる。そもそも僕の頭の中で起きていることだ。『彼』がそれを聞き逃すとは思えない。
「そうだよ。『俺』は正確にはキミの脳の中で繋がっている別の個体の意識だ。あの少女、三倉邑兎が言ったことは概ね合っている。『俺』は、あの怪物のことを知っているし、それなりに身近に感じていた」
邑兎の言っていた、隣の宇宙の存在。あまりにも現実味がない話ではあったが、自分の頭の中で自分と同じ声で諭されると本当のことなのだと妙に納得してしまう。あの怪物が本当に存在している宇宙。彼も言ってしまえば地球外生命体という括りに含まれるのだから、ある意味で未知との遭遇である。そんなことを実感する間もなく、彼は僕に向かって言葉を続けていく。
「本当に、本当に偶然なんだ。キミと『俺』が繋がってしまったのは。道を歩いていたら小さな段差に躓いてバランスを崩してしまった程に些細な偶然だ。遠い遠い宇宙の彼方、重なり合った二つの宇宙にたまたま同じような存在がいて、あんちょくなたとえではあるけど、そうだな。『魂の色が似ていた』からチャンネルが繋がってしまったんだ」
冗談みたいな話だが、僕と彼が繋がった確率はそれこそ『天文学的確率』なのだろう。人為的にそれを行うのが『鍵』というわけか。そして、人類の殆どがリバーシブルとやらに捕食されている世界では、繋がりを持つ存在が、記憶という自我を大量に取り込んでしまっている怪物に換えられてしまっている為に、あまりの情報量に脳がオーバーフローしてしまう。それが『鍵』が夢で見せるビジョンであり、それを願望と判断した人間が起こした暴走が『お告げ事件』ということか。
「その通り。そして藍原未央もキミと同じだ。彼女も『俺』がいる宇宙の、リバーシブルではない誰かと繋がっている。『俺』たちがこうして会話をしているのと同じかはわからないが、彼女は繋がっている存在と無意識のうちに情報を処理しているようだ。世界を描き切ってもまだまだ情報の容量に余地がある脳の中で並行してありとあらゆる情報を解析して判断することができるならば、おそらく未来や因果を見通すことも不可能ではないはずさ」
風もないはずのこの空間で、針葉樹達がざわりざわりと揺れている。石とも金属とも取れる物質がぶつかり合うような音が幾重にも重なって頭上から降り注ぐ。
「最近までは、キミが寝ている時になんとなく繋がっているような感覚があったんだ。だからその時にコンタクトを取ることが出来た。キミはずっと忘れていたけれど、ずっとずっと前から、『俺』はキミと繋がっていたんだ。でも、ここ最近、そのバランスが崩れてきた。キミは寝ていなくても『俺』のことを認識しているし、『俺』も常時キミと繋がっている感覚がある。それは『俺』とキミのつながりが深くなっているということだ」
普段であれば一拍置いて次なる事実を突きつけてくる彼の声が、珍しく途切れる。
「つまりは、その、なんだ。なかなか言いづらい事なんだけど――」
珍しく言葉を濁す彼の声に一抹の不安を感じるが、やはり同じような思考回路をしているのだろう。彼が何を言おうとしているのか、直感的に理解出来た。
「僕とお前が、混ざりあって一つになるかもしれないってコトか。冷静に考えて、一つの頭の中で延々と会話してたらそうなるかもしれないしな」
微かに息を呑むような声が聞こえた。自分で言うのも何だが、まるで自分自身の息遣いを聞いているようで不思議な感覚になる。声が同じということは、なんとなく理解ができる。携帯電話のスピーカーから聞こえる声は実は補正されていて、通信しやすいような声に切り替わっているという。彼がやっているのか、僕が無意識にやっているのかはわからないが、そうやって補正された彼の声が僕自身の声に切り替わっているのだろう。だが、息遣いや口調などの細かい癖などは補正の入れようがない。それなのに自分自身のものと錯覚させる彼の息遣いを聞く限り、やはり僕たちは同じような存在なのだと改めて実感する。
「そうだね、このままだと『俺』達は一つに混ざり合って、また別の存在へとなり得るだろう。それは『俺』なのか、キミなのか。それを予測することはできても、観測することは恐らく不可能だろう。そうなる前に手を打ちたいところではある。流石に『俺』は『俺』だからね、三倉邑兎だって言っていただろう? 自分の定義は自分が自分であると定義する記憶や認識をもって形作られるって。それが出来なくなるということは、死ぬということと同義だ」
誰だって死ぬということに根源的な恐怖を抱く。生命活動を維持し、次なる世代にその命を継承し続けていくことは全ての命の使命だ。命の定義に関して考えたことなどないが、自分が自分でなくなることが死であるならば、それは何がなんでも回避したいところではあるが、少し気になったことがある。
「お前は前に言っていたよな。僕はやろうとすればお前のことを消すことができるって。無理矢理切り離せば僕も影響があるとも言っていたけど、どうにかして無事に切り離す方法とかあるんじゃないのか?」
「……わからない。『俺』だって他人と繋がることなんて初めてのことなんだ。無理やり切り離すか、どちらかの生命活動が停止するか。今はそれぐらいしか思い浮かばない。何れにしろ、お互いが碌なことにならないだろうね」
繋がりが深くなってきているというのはどうやら本当のことらしい。本心などまるでわからなかった彼の心理が、だんだんと解り始めてくる。木々のざわめく音がどんどんと大きくなり、堅い葉が不規則にぶつかる不協和音が彼の不安を一層強めているように思えてくる。
「じゃあ、二人で考えよう。一人で考え続けることより、ずっとマシだろ」
だからこそ、声をかけなければならない。一人ではできないことがあっても、二人ならばどうにかなるかもしれない。人間というものは、そうやって数多の危機を乗り越えてきたはずだ。何億キロメートル離れているかわからないが、遠い遠い宇宙の彼方にいる彼もそれをわかっているはずだ。
「だから、お前も一緒に考えてくれ。まずは、藍原さんが見た夢をどうにかして回避しないと、俺が死ぬことになる。それは回避しないといけないだろ?」
成程、と背後で小さく呟かれた声には今は応えない。僕は彼に言いたいこと、伝えたいことはまだまだある。存在しない空気を強引に肺に送り込み、一ミリも膨らんでいない胸で存在しない二酸化炭素を吐き出しながら、再び声を上げる。その声はだんだん強まっていた。
「もう一つ。あのとんでもないクスリがどういう風に造られてるのかなんてどうでもいい。悲しいことに、こちとら文系なんだ。言われても理解出来るはずがない。僕が見つけなきゃいけないのは、『鍵』をばら撒いてる奴だ。どうにかして見つけて、警察に突き出すんだ。ていうか、一発はぶん殴ってやらないと腹の虫が治まらない。あんなのがなければ、僕が凱場でロクな目に合うこともなかったし、野々村さんがあんなことをする必要もなかった」
彼の気配は相変わらず僕の背後から移動することはない。いくら言葉を尽くしても僕の口が前を向いている限り、その声は直接届くことはない。それでも、喉の奥から声を振り絞り、何処までも届くような大きな声で叫ぶ。
「だから、だから力を貸してくれ!」
ざわめきを続けていた木々が、僕の叫びによって再び静けさを取り戻す。
「コリィだ」
相変わらず彼の姿は見ることができない。それでも、彼の気配をしっかりと感じることができる。今はそれだけで十分だった。
「キミの宇宙の発音で、一番近い発音だと、コリィ。うん。コリィと呼んでくれ、賢治」
聞いたはずのないその名前であったが、なんだか妙にしっくりきた。遠い宇宙の果ての果てにいる存在が、急に近くなった気がした。
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