ホンモノの夢 後編

 久我の街並みは所謂田舎と都会の中間点のようなものだ。適度に栄えていて、適度に寂れている。至る所に植えられた木から聴こえてくる、夏の風物詩のセミ達の混声合唱がねっとりとした湿気を帯びた暑さを倍増させていく気がした。まるで風鈴のような涼しげな音の対極だ。そう思いながら久我の道をゆっくりと、隣で歩く女の子を置き去りにしないように気をつけながら歩いていく。


 住宅地ではどちらかというとお年寄りや小さな子供が歩いているこの久我の町の中で、この陣内大学周辺は若者向けの飲食店はそれなりにある。しかし、結局のところ男子大学生、それも資金的な意味でなかなか外食をしない僕の行くような店など限られている。そして、甘いものが出る店などなかなか入る機会などなかった。そんな僕でも唯一知っているスイーツを売りにしている喫茶店が、この大学と最寄駅のちょうど中間点にある。オカルト研究部に入部してしばらく経った頃に邑兎に教えてもらった店ではあるが、この店独特の落ち着いた雰囲気がなんだかとても気に入っていた。


 分厚い木製のドアを開く。冷たい冷房の風が火照った僕の身体を急速に冷やしていく。額に流れていた汗がどんどん冷たくなっていく感覚に、あまりの温度差に風邪をひいてしまうのではないかと一瞬だけ考えてしまう。真ん中あたりにあるテーブル席の椅子に腰掛け、小さく息を吐く。対面には藍原さんがちょこんと座り、楽しそうにメニューを広げていた。


 僕達が今いる喫茶店は『じぇしー・じぇーむす』という中々に物騒な店名だ。西部劇ファンの店主の趣味だという話ではあるが、幾ら平仮名で柔らかく表現したところで世界で初めて銀行強盗に成功した伝説のアウトローを店名にするのはどうなのだ、と初めて看板を見上げた時に思ったものだ。しかし慣れというものは恐ろしいもので、何度か通った現在ではこの頓痴気にも聞こえる名前に強い愛着を持っていた。


 そんなアメリカ西部開拓時代のなかで一、二を争う知名度のガンマンの名前を冠した店の中、木製のテーブルの上で目を輝かせている藍原さんの視線の先には、先ほど彼女が注文した餡蜜が置かれるところだった。どういうわけだかこの店は名前の印象とは180度違っていて、餡蜜や蜜豆などの和風のスイーツが人気の店なのだ。


「ふふ、美味しいです」


 幸せそうに餡蜜を口に入れていく藍原さんの姿は、なんだか微笑ましい。確か真嗣か邑兎か忘れたが、何処かで彼女がその手の甘いものが好きだという話を耳にしたような気がしたので、いい機会なのでこの店を選んだのだが、どうやら気に入ってもらえたようだ。自分がオーダーしたアイスコーヒーを飲みながらしみじみと思う。


 日常の安心感と冷房で身体と頭を冷やされることによって、少し前にあったことの異様さを改めて痛感する。藍原さんは僕のポケットの中で揺れている紅く丸い錠剤の存在を知らないだろう。出来るだけ揺れる音が聞こえないように、ケースをポケットの奥に無理矢理ねじ込んだ。


「改めてごめんな。こんな暑い日にガッコまで行くなんて大変だっただろ。なのに取り越し苦労みたいになっちまって」


「気にしないでください。今日はやることありませんでしたし、美味しい餡蜜のお店も知る事ができたんで全然、平気ですよ」


 僕の謝罪の言葉に柔らかく微笑んで返答する藍原さんの前には、殆ど空になった容器が置かれていた。相変わらずいつの間にか平らげているな、と驚きながら視線をあげると、藍原さんは複雑な顔をしながら僕を見つめていた。


「畑中さん」


 思い詰めているというよりは、今から自分自身でも整理がついていないというか、信じられないというような雰囲気だ。何度も何度も躊躇いながら言葉を選ぶ藍原さんを、僕は何も言わずに待ち続ける。とっくに飲み干されたアイスコーヒーのグラスの中で溶けた氷が立てた透き通った音と、藍原さんの小さく息を吸う声が同時に聞こえた。


「みんなというよりも、畑中さん。貴方にに話そうと思ってたんです」


 藍原さんは視線を僕から外しながら、何度も瞬きをしている。こうやって躊躇いがちに僕に何かを言おうとするということは、彼女自身が見た夢のことなのだろう。夏休み前の段階では、殆ど見なくなっていたという話ではあったが、何か進展があったのだろうか。


「―――また、夢を見ました。あの場所で、畑中さんが倒れる夢です。また同じ夢だと思っていたんですけど、違うところが何個かあって……」


 心臓が大きく飛び跳ねる。心の何処かで、藍原さんとの野村さんの二人とも出鱈目を言っているだけであってほしいという願望がまだ存在していたのだろう。頼むから、気のせいなんじゃないかって言ってくれ。血なんか流してなかったって言ってくれ。そうすれば、全てがなかったことにできる。『お告げ事件』や『鍵』なんか見なかったことにして、残る大学生活を平穏に過ごすことができる。表情では平静を装いながらも、ただそれだけを願っている自分も、僕の中に確かに存在するのだ。


 しかし、やはりなんだかんだで納得してしまっているのだ。自身の願望の世界の扉を開く『鍵』を使った野々村さんの言葉を信じてしまっているのだ。藍原さんが見る夢が、過程はどうあれ実際に未来を映しているということを。


「野々村さんが、出てきたんです」


 その言葉が出てくることも、なんとなくではあるが理解していた。彼女の瞳は細かく揺れ続けている。自分の記憶している夢の内容を未だに信じられないようだと言いたげに、藍原さんは縋るような瞳で僕を見つめていた。


 暫くの沈黙が僕達の間を通り過ぎていく。それなりの人で賑わう店内に流れるピアノ調のBGMと人々のざわめきが作り出す混声合唱が僕と藍原さんの鼓膜を震わせていた。言いたくないことを言おうかどうか悩んでいると思われる彼女に、僕はその瞳を真っ直ぐに見つめ返す。本当のことを伝えて欲しい。それが解決への前提なのだから。目は口程に物を言うとはよく言ったものではあるが、僕の意思は確実に彼女に伝わったようだ。絞り出されるように藍原さんの口から放たれた言葉は、やはり予想していたものであった。


「野々村さんが、畑中さんのお腹を思いっきり叩いて、気絶した畑中さんを引きずって隣の部屋へと引っ張っていく夢でした。これって、もしかして、あの夢の起きたことをする人って、野々村さんなんでしょうか。私は、あの人を、疑うことなんて出来ないんです。野々村さんがあんなことをするとは思えない。きっと、間違いに、決まってますよね?」


 藍原さんも、自分自身が見た夢の話を聞いている対面の先輩の表情に何か思う事があったのだろう。一層の困惑を深めながら僕の顔を不安そうに見ていた。僕の頭の中では、今まで半信半疑だった藍原未央という女の子が見る夢が本当に未来を見通すものであるという確信もあったが、彼女が不安に思っていることが事実であることをどう伝えればいいかひたすらに回転を続けることに脳のメモリーを使っていた。


「.......畑中さん?」


 それでも、やはりその不安が的中していた事実に、どういう顔をしていいのか、どう話せばいいのか分からなかった。何も口に出すことが出来ず、口籠っている僕を見て藍原さんはより一層震えた声を出す。


「まさか」


 ここまで来てしまったのならば最早言い逃れはできそうにない。僕は視線を逸らしてしまいたい欲求に駆られているが強引に押さえ込み、藍原さんの揺れる瞳を視界の中央に収めながら静かに呟いた。


「その、まさかだ。それは、さっきあったことなんだ」


「う、嘘ですよね。何かの間違いじゃないですか。だって畑中さんは、倒れてたのに、お腹から血を流して.......あれ?」


 僕の言葉に藍原さんは目を大きく見開き、驚愕の表情を浮かべたが、すぐに違和感に気づいたのか、何かを考えるようなものに変わる。やはり、一番最初に見た夢はまだ先の未来の話のようだ。ただ単に、彼女が見る夢がいつのタイミングのものなのかは完全にランダムなだけなのだろう。


「一番最初に見た夢は、きっともう一度起きることなんだと思う。それとは別に、ついさっき起きたことなんだ」


 彼女にとっては非情過ぎる宣告だったかもしれない。言い方をもう少し柔らかくしたほうがよかったかな、と内心で後悔をする。しかし、ピアノの音に紛れ込むように聞こえてきた藍原さんの呟きは、予想とは大分異なるものであった。


「やっぱり、そうなんですね。さっき畑中さんが血を流していないことに気付いたことと、野々村さんが私に連絡をしたままいなくなったこと。夢の内容と照らし合わせると、二つの夢は別のものなんじゃないかって薄々思いはじめているところでした」


 静かに呟かれる藍原さんの言葉に、僕は頷く事しか出来ない。年下の女性に気絶させられたという情けない話ではあるのだが、僕が倒れて引き摺られたというのは紛れもない事実なのだ。


「藍原さんが今日起きたことの夢を見て、ホントのホントに確信したよ。藍原さん、君の見る夢は、本当に起きることなんだな。そして、君のその未来を見通すチカラがなんなのかは分からない。そういったチカラを人為的に手に入れる為に造られたのが『鍵』であり、それによって引き起こされたのが『お告げ事件』らしいんだ」


 彼女自身はこの夢が実際に起きると確信していただろう。実際に彼女の見た夢というものがこうやって起きてしまうと、彼女が今まで言っていた事が出鱈目や世迷い言ではなかったのだと改めて認識する。よくテレビや漫画で見るような予知能力。それを持つ女の子がこんな近くにいる事に驚くと同時に、あの場所で血を流して倒れる未来が近いうちに訪れることが確実に訪れるということを認識してしまい、背中に冷たいものが流れるのを感じた。


 それでも、未来が確定してしまったからといってもそれを甘んじて受け入れる程、僕は世界に従順ではない。出来るだけ抗って、その未来を捻じ曲げてみせる。

 

 藍原さんには、野々村さんが『鍵』を使用したことだけは言うつもりがなかった。それを口にしてしまえば、藍原さんのギリギリで形を保っていた日常が完全に壊れてしまうような気がしたのだ。これ以上日常が侵食されていくのは、僕だけで十分だ。


 気合を入れる意味も込めて、氷が溶けきって殆ど冷水と化したグラスの中身を一気に飲み干す。急速に冷やされた身体が一時的に血流量を増やして温めようとして、頭につながる血管が膨張することによって発生する……俗に言うアイスクリーム頭痛に襲われたが、気付と思うことにした。

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