虎穴に入る羊たち 後編
大音量で流れているディスコミュージックを除けば、映画でよく見るダイナーのような形態の飲食店のようだ。入ってすぐ正面にカウンター席があり、奥の方に何席かテーブルがある。満員になっても20人が限度の小さな店であるが、この流れている音楽と、なにかの香りを打ち消すような強烈なホワイトムスクの香りが部屋に充満していて、頭の中が変になってしまいそうな感覚を覚えた。
「いらっしゃい」
おそらく店主であろう、まるで一昔前のヒッピーのように髪を乱雑に伸ばした男が小さい声で僕たちを誰もいないカウンター席に案内する。出来るだけテーブル席に近いところに座り、周りを改めて見回す。奥のテーブル席は二つが埋まり、そこでは先ほど店を出た男女と同じような格好をしたグループがビールを喉に流し込みながら、ミュージックに負けないほどの声量でバカ笑いしている。やはり僕たちにとっては世界が違いすぎる場所に、早速少しだけ後悔しはじめている。
ビールとノンアルコールカクテルを注文し、チャージで差し出されたナッツを口に放り込んでいると、テーブル席の方から金髪の男と緑髪に染めた女が僕たちのほうにやってくる。アルコールで頬を赤く染めながらも、なんだか真嗣のような人懐っこい笑顔をした二人はどこか心配そうに僕たちを見ていた。
「ねぇねぇ2人ともォ、こんなところでデート? この店はともかく、ここは危ないところだヨ。悪いことは言わないから飲むなら表通りに行ったほうがいいよ、マジで。それともコイツみたいな悪い男に捕まりに来たの? ゲテ趣味じゃないならやめときなヨ!」
緑髪の女が男を指差しながら、藍原さんに声をかける。眉を下げて本心から気遣っているような顔を見るとどうやら良心を持って話しかけて来たようだが、女に指を指された男は心外だと言いたげに腕を組んでいた。
「そそそそ、そんなことは無いです! この人は、その、ふぃ、フィアンセなんですから!」
勢いだと思うが、途轍もないことを言っているが取り敢えず話を合わせることにする。僕の腕を抱き寄せながら声を上げる藍原さんにつられて僕も頷きと睨みをもって二人に意思を伝えると、男は海外のドラマのように両手を肩をすくめる。
「うお、熱いねぇ。じゃあ尚更、この辺はマズいよ。この店はまだマシな方だ。店長はあんなナリだけど、しっかりしてる。いくら金払いが良くてもヤバい奴は入れないようにしてるけど、他の店にはマジモンのヤク中とかがウロウロするようなのしかねェさ」
男の言葉に、店長は苦笑いしながら「余計なお世話ですよ」と呟く。カウンターに置かれたビールに口を付けると、柔らかいあの口触りが幾らか緊張を和らげていく。それでも幾許か残っている強張りを男は見落とさない。訝しむ目をしながら、僕の顔を覗き込んだ。
「もしかして、ヤクとかそういうの目当て? やめとけやめとけ、こんなナリだから説得力無いけどさ、ヤクだけはやめとけよ。人生棒に振るぜ? ここだけの話、俺もちょっと前にやってたけどさ。ロクなこと無ェ」
部屋に流れるディスコミュージックにまるで似つかわしくないパンクロッカーのような長い金髪が、空調から噴き出る冷風によって微かに揺れている。
諭すような口調であったが、ここまで来て怖気付いてはならないと心の中で気合を入れる。意を決してジョッキの中身を一気に半分ほど飲み干すと同時に、勢いのままに男に向かって問いかける。
「クスリ、やってたんですか。ちなみに、何を?」
「……『鍵』って知ってるか? この辺にしか無いドクソマイナーなヤツ、なんだけどさ」
思ったより早くもたらされた手掛かりに思わずビールが注がれたジョッキを床に強く置いてしまう。ガラスと机が勢いよくぶつかる音が、一瞬の静寂を齎した。
「あ、この反応もしかして、それ目当て?」
目を丸く男の問いに、その通りだと頷くと男は口笛を吹いて驚いたような表情をした。僕は今、お告げ事件に関して調べていること、それが『鍵』が見せる夢によって引き起こされているかもしれないことを話すと興味深そうに身を乗り出す。
僕はビールをもう一杯注文し、彼にジョッキを渡す。アルコールで気分が良くなってくれれば、更に有意義な情報が得られるだろう。その為なら、ビールの一杯や二杯は安いものだ。
「あー、『お告げ事件』ねぇ。俺が見た夢なんて、お告げでもなんでも無かったんだよ。本人の願望を夢で見せるなんて聞いたけどさァ。俺が見たのは、ここでみんなで馬鹿騒ぎしてるだけの内容さ」
何が頭の中がわかるクスリだよ、と毒づきながらジョッキに注がれたビールを掲げ、美味そうに呑んでいく。
「刺激が欲しくて苦労してヤクを買って、使ったら日常の夢だ。なんだか馬鹿馬鹿しくなっちまってよ。それで辞めたさ」
どこか遠い目をしながらも、男は悔いなく青春を燃やし尽くしたような、どこか清々しい笑顔を浮かべていた。その笑みを見て、別のベクトルで緑髪の女は爆笑しながら男の背中を何度も叩く。
「あ、ケータ、アンタ『鍵』でそんなクソしょーもない夢見たんの? ウケる!」
「るせェ」
派手な化粧をした女は続けて男の背中を肘で小突きながら、口を大きく開けてずっと笑っていた。金髪の男……ケータは彼女の爆笑や行動には慣れているのだろう。それを意に介さずに手に持っていたジョッキの中身を喉に流し込んでいった。
「アタシの先輩は『鍵』使いすぎてさ、頭がアッパラパーになって病院に担ぎ込まれちゃったよ。いくらなんでも馬鹿じゃね? 馬鹿じゃね? やるならセツドを持てっていうか!」
さも茶飲み話のようにあっけらかんと笑いながら、とんでもないことを言い出す。
「あ、あの、もうちょっと、詳しくいいですか?」
ここで藍原さんが辿々しく女に話を聞く。やはり女性には女性が声をかけた方が話しやすいと彼女なりの判断なのだろう。
「えー? 詳しくはわかんないよ。『鍵』使うと最初はハッピーな夢見てたらしいよ? はじめは彼氏とラブラブしてる夢ばっか見るんだーってめっちゃ嬉しそうに言ってたけど、いつしか泡吹いてひっくり返っちゃったみたい。ケータはそんな使ってないと思うけど、繰り返すとマズい系なんじゃね?」
女はあくまで笑みを崩すことはない。まるでファーストフード店で話す他愛のない話のようで、なんだか現実味すら感じないような気がして背筋の奥が微かに逆立つような感覚を覚えたが、そんなことはお構いなしに女はひたすらに話を聞いていく。
「コイツ……ショーコが言ってるのはマジさ。今は病院にいるんじゃねぇかな、アイツ。まぁ俺は逆に使ったのは一回キリ。それ以来なんだかアタマが妙に冴えちまって、他のクスリ使う気も無くなった、というか。ここで馬鹿みたいに騒いでるのが、なんていうか、一番な気がしてるんだよな。それもある意味、『お告げ』かもなァ」
僕の疑問を晴らすかのようにケータが女性……ショーコを親指で指差しながら、達観したような表情で頷く。活発に笑い続けるショーコと何処か落ち着いているケータが行う軽快なやりとりは会ったばかりだというのに、二人の仲が非常にいいことがわかる。もしかして恋人同士なのだろうかと思ったが、それを詮索する気は起きなかった。
その後、二人から聞く話を噛み砕いて自分なりに纏めると『鍵』の効能のようなものがあくまで伝聞の域を出ることはないが、なんとなくわかってくる。
『鍵』というのはMDMAのような紅く丸い錠剤で、服用した後に就寝すると自分の一番望んでいる願望を夢というビジョンで映し出すことが出来るらしい。あくまで寝ているときに効果を発揮するものであり、起きている時は何も影響がないという触れ込みで広まったとされている。
その再現度は、現実に感じているものとほぼ同義。精神的感覚は勿論、質感や物音というような肉体的感覚まで感じる。その再現度は異様なものであり、仮にそのビジョンの中で性的交渉をするような内容を見るとして、そのような経験が無い人もさながら実際に行ったような快感を得られるという噂まであるようだ。
ケータは『身内と楽しく酒を飲む』という極めて平和な内容が夢に現れた上に一度で服用をやめた為に、そこまで悪影響はなかったと思われるが、もし例えば誰かを傷つけたり、手にかけるような物騒な内容であるならばとてつもない事になることは明白だ。
そんな非常に高い再現度で造られた欲望にまみれた夢を見続けていくと、文字通り夢の世界に溺れていく。それは使用者にとっての現実になってしまう為に、夢の世界で起きたことを自分にとっては当然の出来事と思ってしまう、ということらしい。
夢と現実が反転すると、覚えていない夢の内容を覚えていて、覚えているはずの現実の内容を忘れてしまい、記憶が混同されて改竄されていく。そうやって使用者は精神を加速度的にすり減らしていくのだ。
最後に、中毒状態まで行きついてしまった使用者が蝕まれる禁断症状として最も代表的なものが『悪夢』。これは服用時の逆のパターンが起きる、と言われている。つまり、本人が一番望んでいないことがとてつもなくリアルで起きる、という訳だ。その悪夢から逃げるために使用者はクスリを使い続けるという訳か。なかなか嫌らしく造られているものだと逆に感心するし、どういった成分が脳の何処にどう作用するのか、まるで見当がつかない。
「なんで『鍵』について調べてるかなんて知らないけどさ。アタシ達が言うのもアレだけど、あんまり関わんない方がイイよ。可愛いカノジョいるなら、尚更、ね」
話を締めくくるショーコの言葉に、藍原さんは僕の腕を再び強く抱き寄せる。握り締められた僕の左手の優しい痛みが、僕に蛮勇に近い感情を丹田の奥から捻り出す。僕は脳の奥で静かに暴れているアルコールが産み出している酩酊感による勢いもあり、ケータに向かって根本的な問いをぶつけた。
「何処で手に入れたん、ですか?」
「……兄ちゃん、あンまりにも無知すぎねぇか?」
僕の問い掛けに、ケータは僕を鋭く睨みつけながら、先程までの明るい声が嘘のような冷たくドスの効いた声をもって応える。その声に一瞬身構えてしまうが、すぐにその声は明るいものに戻り、バツの悪そうな顔をして小さく僕に耳打ちをした。
「普通は言わないし言えないモンだぜ。こういうの。まぁ、調べようがないから教えてやるよ。近くの店で買ったけど、もうその店は潰れちまったよ。今はパチンコ屋の一部さ」
ケータの言葉は、至極当然だ。普通ならば言えないものだ。状況によっては仲間や知り合いを晒す事になる。本当に潰れているかフェイクかわからないが、ここで情報は打ち止め、ということになる。
「いや、僕も出過ぎたことを聞きました。すごく参考になりました。ありがとう」
僕の言葉と同時に、藍原さんも小さく頭を下げる。僕達の行動に驚いた顔をしたケータとショーコは、照れくさそうに身を捩らせた。
「面と向かって感謝されたのって何年ぶりかね。なんだか、悪くねぇなぁ。この通りは危ないけどさ、ここはマシな方だ。気が向いたら、また来なよ」
代金を支払った僕達は、二人に再び礼を言って店を出る。すっかり夜も深まって、裏通りを吹き抜ける風は幾らか冷たくなっている。『鍵』においての情報はかなり得ることができた。今夜はかなりの前進だ。アルコールの影響もあって気分は上々だが、何度も何度も危険だと言われたこの場所に深くとどまる理由はない。もう掴んでいることが自然になってきた藍原さんの腕を逆に引っ張って、メインストリートへと戻っていった。
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