進化する哲学的ゾンビ 前編

 月日が経つのは早いもので、5月の連休があっという間に終わってしまった。つい先程まで春を全身に表していた桜の花びらも今では青々とした葉を広げて太陽の光を存分に浴びている。


 真面目に勉学に励んだ3年間で卒業に必要な単位をほぼ取得してしまっている僕や邑兎とは違い、最後の詰めに入っている野々村さんとギリギリで単位を取っている為に常に留年の危機と戦い続けている真嗣、それとまだ入学したてで余裕があまりなさそうな藍原さんは忙しそうに日々を過ごしていた。


 その中で藍原さんはオカルト研究部の活動として、自分の夢に関して調べていたが、まだこれといって成果は出ていないようだった。流石に入学して1ヶ月で何か分かったら苦労はしないだろう。


僕も空いている時間を見つけては彼女の力になる為にインターネット、雑誌や専門書などを活用して調べてみるも、よくわからないというのが現状だ。


「で、畑中クン。未央ちゃんとはどうなの?」


 部室の一番奥にある椅子の背もたれが軋む音が聞こえる。質問の意図がよくわからないので無視することにした。


「おーい、畑中クーン」


 視界の隅で奇怪な動きをしている女性の動きに眉を潜めながら小さく呟く。


「藍原さんの夢のことは、まだまだ全然わかんないぞ」


 缶コーヒーを飲みながらスマートフォンのスリープを解除する。端にヒビが入ったガラス製のフィルムを買い替えなければなぁ、と思いながらグループトークを確認するが、特にメッセージが届いている訳でもなかった。


「つまーんなーいのー」


 口を尖らせながら奇怪な動きを続ける邑兎はとりあえず置いておきながら、インターネットブラウザを起動してニュースを漁る。


 ここ最近は政治の面で国会が騒いでいるようであるが、正直なところ学生の自分にとってはまだまだ別の世界の出来事のように感じる。選挙権を持っている身分ではあるが、地元がそれなりに遠いのでその度に帰省する訳にはいかずに選挙に参加できない事が多くなってしまっていた。


 これ以上景気が悪くなって物価が上がることだけは勘弁してほしい、ただそれだけを願いながらニュースサイトの地域欄を選択すると、ここ久我周辺に起きた出来事が何件か表記される。その中で気になったものを見つけ、その記事をタップして出てきた詳細を確認する。


 記事には、昨日起きた久我の隣にある飛谷で起きた傷害事件が載っていた。今朝のテレビでも取り上げられたので、恐らく邑兎達も知っていることだろう。


 画面に映る小さな文字をゆっくりと目を通していくと、少しだけ引っかかるものがある。道を歩いていた中年男性が20代ぐらいの男にいきなり殴りつけられ、クリーンヒットした勢いで電柱に身体を打ちつけたせいで大怪我を負ったという事件で、言ってしまえばありがちなものではある。


 その後、周りの人たちにすぐに取り押さえられ逮捕された加害者の男性は取り調べにて意味不明な供述を繰り返すだけでなく、唐突に眠りにつくなど様々な奇行が見られる為に薬物検査や精神鑑定を行う方針だという。


 大手ポータルサイトから見ることの出来るニュースなど情報量はたかが知れている。これだけでは何を言っていたのか、他にどんな奇行をしているのかは知ることは出来なかった。


 普段ならばそのまま通り抜けるような、近いだけで別段興味も湧かないようなニュース。それでも何か喉の奥に引っかかる小骨のような何かを感じるのだ。


 邑兎を手招きし、スマートフォンに映るニュースを確認してもらう。


「これって、『お告げ事件』だと思うか?」


 僕の問いに邑兎は眉を潜めながら、顎に手を当てる。考え事をしている時の彼女のサインだ。


 先日、邑兎は『お告げ事件』のことを外宇宙からのメッセージを受信した人間の犯行だと言っていた。その考えは恐らく曲げていないし曲げることは決してないだろう。


 外宇宙、つまりは僕たちの認識の外からメッセージを受け取り、その言葉の傀儡になって他人に危害を加える。冷静に考えると恐ろしすぎる。もしその説が本当ならば自分が自身以外の意思を観測することができない以上、自分以外のすべての存在が外宇宙からの意思に、操られている可能性もあるということだ。そもそも今僕がしているこの思考すらも何かに誘導されていないと保証できるものは、何一つない。


 まぁ、そこまで考えてしまうと完全に哲学の思考実験の話だ。そのようなトンデモデタラメ説は当然信じないが、仮に中年男性を殴れ、なんて夢のお告げがあったとして、それを本当に実行するなんてあり得ないだろう。


 何故ならメリットが余りにもない。そのお告げのままにいきなり知らない中年男性をぶん殴ったら傷害罪でお縄につくということは分別のつく年齢になれば誰でも分かるはずだ。そんな思考能力を奪うような力がお告げにあるとは到底思えない。


 先月に邑兎が机の上に置いてあった資料に載っていた心理操作や洗脳などにより『ほぼ確実に逮捕される』という思考を塗り潰してしまう、というのも考えられる。


 しかし、この事件をはじめとした『お告げ事件』の数々においては加害者達に共通点や関連性というものがまるでない。その為に洗脳や心理操作などによる思考の制限という線は、それこそ外宇宙からの無作為な干渉でもない限り無くなる。


 恐らく邑兎も方向性が同じことを考えているのだろう。小さく唸りながら首を捻り続けていく。


「あ」


 僕が何か思い浮かぶと同時に、邑兎も頭の中に一つの可能性が浮かんだようだ。僕が自分の考えを口にするより一足先に、邑兎が先に自分の考えを述べる。


「もし、その加害者の男がとんでもない憎しみを抱くようなことを中年男性が将来やっちゃうなお告げでも見た、とかじゃない? だったらあらかじめ殴ったりして止めるかもしれない」


 邑兎出した答えは、やはり僕の考えたものと同じだった。外宇宙からのメッセージはともかく、『お告げ』が本当にあるならば、『中年男性を殴れ』というお告げではなく、対象によって被害を被るというお告げも十分にあり得るはずだ。


 将来自分が被るとんでもないリスクを管理する為に、予め手を打つことは人間社会の中のあらゆる事象で行われることだ。側から見たら斜め上や脈絡のないと思われても仕方ない対処を強引に行ったと考えれば、一応は辻褄が合う。


「だよなぁ。もし未来を見せるっていうなら、突如超能力にでも目覚めたとでもいうのか?」


 何気無しに放った言葉に、邑兎の大きな瞳が輝く。もし彼女の頭頂部に動物の耳があるならば、天井目掛けてピンと立てていただろう。彼女には猫の耳が合いそうだ。


「なるほど、そういうのもあるのか! 畑中クンにしてはなかなか着眼点がいいなァ。外宇宙からやってくるヤソパソミ言語でのメッセージがナッカラ効果によって人の脳に直接何かをすべきという啓示を与えるわけでなく、別のアプローチ、例えばルーツツイン現象で脳の未使用領域を刺激することにより強制的に未来を見通す能力を与えたってことか! 人類の変革は近いね、人々が会話もなくわかりあえる日はもうすぐそこだ!」


 勢いよく椅子から立ち上がり、上下左右の部室に聞こえるほどの大きな声を上げる。僅かな空白の後に廊下から「オカ研うるせぇぞ!」という怒号が微かに聞こえるが、邑兎にその言葉が届くことはなかった。


「頼むから日本語で会話してくれ!」


 こうなってしまったら最早僕の懇願は届くことはない。彼女のインスピレーションを刺激してしまった数十秒前の自分を殴りつけたくなる。


 意味のわからない、そもそも日本語によく似た言語で構成されているとしか思えない演説が始まった邑兎の高い声を意識的にシャットアウトし、脳を動かすのをやめて窓に視線を移す。


 5月の昼間に宇宙を漂うこの星は、間抜けなほどに青い空を広げていた。

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