夢を泳ぐ鯱 後編

 太陽が東の空へと落ちていく。部室に掛けられた丸い時計は18時を指していた。


 珍しいことに、今日の部室には邑兎が顔を出すことがなかった。部活動をする場所というよりも部員達の溜まり場と化しているこの部室に邑兎はほぼ毎日やってきて、都市伝説から心霊現象や超能力などの超常現象に関して持論をひたすらに語り続けていくのだ。


 入部してから彼女の話を何日も、それこそ何年も聞き続けて、よく話のストックが切れないなと感心すると同時に、それこそ殆ど洗脳のように邑兎の少し高い声がこの部室の中に残っているような感覚すらある。


 そんな部室の隅で僕の隣に座って携帯ゲーム機に真剣な眼差しを向けているのは、後輩の樋野真嗣だ。


 金色に脱色した長い髪と、糸のように細い眉毛。そして耳に大量のピアスを付けたその顔はまだ4月だというのに太陽の光に焼けてワイルドさを出そうとしているのだろうが、中性的な美男子とでも例えられる彼の顔立ちにより、どこかアンバランスさを醸し出していた。


 そんな何処からどう見てもオカルト研究部に似つかわしくない風貌をした真嗣であったが、彼が入部して2年が経った今では彼がこの部室にいることが僕たちにとっても日常であった。


 真夏の海に吹く風のような彼の爽やかな笑顔は、オカルトの話を延々としている邑兎とひたすらに寝ている野々村さんの二人が生み出している、様々な意味でキノコが生えそうな空気を吹き飛ばしてくれる。


 こんな時間になってしまえば、もう今日は藍原さんや野々村さんも含めた女性陣は来ないようだ。『あくまで道楽、学業やバイト、就職活動の他の活動などを優先するべき』という邑兎の考えで基本的に部活は自由参加だし、僕もこの部室に来ない時も多々ある。


 俺と真嗣の二人だけが部室に篭るというのも、この手の部活にしては女性比が高いここにおいてはなかなか珍しい光景であるが、やはり男同士の方が気疲れしない時もある。藍原さんはともかく、特にあの二人は個性が強すぎる。


 視線を天井に向ける。ヤンキーに憧れるツッパリ少年のような彼の顔には似合わないというのもなんだか失礼だが、真嗣はやけに気配りの出来る、というか出来過ぎる男だ。僕しかいない部室で携帯ゲームに熱中しながらも、僕の資料集めの邪魔にならないようにイヤホンをしてボタンを押す力も入れずに出来るだけ音を立てずにいる。


 画面から察するにアクションゲームだと思うが、ゲーム性からつい熱中してしまってボタンを強く押したりせずに静かに押すのは無意識ではなかなか出来ないことだろう。


 更には僕の目の前には缶コーヒー。いつの間に置かれたのかわからないそれは、いつも僕が飲んでいる銘柄。出来過ぎた後輩とはいえ幾らなんでもやりすぎな気がするが、自然にやってしまうのが真嗣という男なのだろう。


「いつもありがとうな、助かってるよ」


 後輩としてこれ以上のものはない。今の僕の本心をそのまま口にする。


「気にしないでくださいヨ、俺が好きでやってるんですから。気が向いたら飯でも奢ってくれれば、それでイーブンですよ」


 イヤホンをしていても僕の声は届いているようだ。携帯ゲームから視線を外すことなく答える真嗣はさも当然と言いたそうだ。本当になぜこの部に在籍しているのか疑問に思って何度か聞いてみたことがあるのだが、いつもはぐらかされる。


 僕と同じくオカルトにはさほど興味もない。ここには情報が集まるから好きだと一年ほど前に言っていたことを思い出すが、ただそれだけで変人集団のレッテルを貼られているオカルト研究部に在籍とは思えない。


 そもそもこの風貌でこの部活に在籍しているだけで、変人扱いされても仕方ない気はするのだがそこは考えないことにした。


 まぁ、家賃を下げてもらう代わりというロクでもない理由で在籍している僕より余程純粋で建設的だろう。言いたくなったら言ってくれるだろうし秘めていくならばそれでいいので、そこ辺りは詮索しないでおく。


 ひたすらに資料を読み続ける僕と、ひたすらにゲームを続ける真嗣。お互いがお互いを邪魔しないように時間をゆっくりと過ごしていく。


 時計の秒針が一定のリズムで刻む音が、僕たちの間を通り抜ける。


「真嗣、ちょっといいか?」


「長くなります?」


「多分」


 曖昧な僕の言葉にも嫌な顔一つせずに答える真嗣はやはり後輩としての理想系なのではないかとつくづく思う。野々村さんだったら寝息を立てて無視をするかとんでもなく嫌そうな顔をするかのどちらかだろう。


「ちょっと待ってください、今クエスト終わったんでセーブさせてください」


 慣れた手つきでゲーム機を操作し、画面をスリープモードに移行した後、真嗣は椅子の位置を変えて、僕の正面に向き直る。人の話を聞くときは、真嗣はいつも対象の正面を向き、目を真っ直ぐに見る。まるで面接に参加するような彼の体勢に、僕自身も自然と心の中で気合が入る。


「はいはい、で、どうしました? 藍原ちゃんが言ってた夢のヤツですか?」


 就職活動を行う上で参考にしたいほどの綺麗な姿勢でも、彼の口から放たれる言葉はいつもの調子だ。


「話が早いな。というか聞いてたのか」


「そりゃあ聞くぐらいなら誰でも出来ますよ、俺ァ野々村ちゃんみたいに頭が良くないからビシッとした答えは出せませんでしたけどね。でも、家に帰った後にちょっと思い出したんですわ」


 真嗣は後頭部に手をやりながら、少し毛恥ずかしそうに笑う。


「今から俺が言う事はあくまで知り合いの知り合いが言っていたというレベルの噂だし確証もない。それに藍原ちゃんに至ってはあり得ないという確信はあるっス」


 先程までの雰囲気とは打って変わって急に真剣な顔をしながら話す真嗣に、思わず体勢を直して彼の顔を覗き込む。


「そもそも藍原ちゃんの出身高校が何処らへんかわかんないから、違ったらここで話が終わるんですけど、賢治サン、何処か知ってます?」


 知らないと首を横に振ると、真嗣は視線を微かに逸らす。何か言いたくないことを言うとき、真嗣は決まって目を逸らす。その時の真嗣は、人を騙すような話をする事はないということもわかっていた。


「2年ぐらい前からですね、銀城の高校あたりを中心にですね、脱法ドラッグがメチャクチャ流行ったらしいんですよ」


 銀城市というと隣の県にある大きな街だ。ここから電車で1時間もあれば着くので、都市部があるとはいえ、まだまだ発展しているとは言い難いこの久我からショッピングやイベントなどに向かう人も数多く存在する。


 そんな身近なところで脱法とはいえドラッグが、それも高校生に蔓延していたことに驚きを隠せないが、真嗣は少し声のトーンを下げながら話を続けていく。


「で、そのドラッグっていうのがどんな名前で効能があるのかはよくわかんないんですが、どうやら新しい世界を見る為に使うって言われてたみたいなんですよね」


 新しい世界を見るために使うものなんて、まるで異世界の扉を開く鍵のようだ。先程読んだ資料にあった『蒼の鯱』の内容を思い出してしまう。


 僅かに陰鬱な気持ちになりながらも、ふと思った疑問を真嗣に向けていく。


「よく南米とかにいるシャーマンが儀式や民間療法などで幻覚作用のある植物を使うとは聞くけど、そういうので新しい世界とやらが見えるのか?」


 僕の問いは真嗣の表情を崩すだけに終わった。まるで外国人のように肩を竦めながら目を閉じる真嗣は机の上に置いてあった缶コーヒーに口をつけながら、口を尖らせる。


「ンな事はやったことないんでわかりませんけど、精神世界とか自分の深層心理と対面できるとか聞きますね。もし藍原ちゃんがこういうのに手を出してれば、深層心理の自分の願望みたいなのをクスリの効能か何かで見ていて、それを夢の中で見たことにしてるんじゃないかって思っただけですよ。やっぱり言ってみると、ありえない話、ですけどね」


 言い方が少し悪いかもしれないが、良くも悪くも普通の女の子である藍原さんにはシャーマニズムやスピチュアルなものとはほぼほぼ無縁だろうし、そうなると彼女の見た夢と数年前に流行っていたドラッグは全く関係のない話だろう。真嗣のいう通り、ほぼありえない話だ。


「クスリの何が楽しいかさっぱりわかりませんし、殆どの人がそうだと思いますが、ね。俺ァ酒でさえ気持ち悪くなっちゃうのに、それより目が回りそうなの摂ったらゲロで溺れ死んじまいますわ」


 真面目な話は終わりだと言いたそうに、冗談めいた口調で真嗣は笑う。確かに下戸でアルコールすら無理な上にタバコも受け付けない真嗣には、ドラックなんて以ての外だろう。確かになと笑いながら缶コーヒーに手を伸ばす。


 喉に流し込まれていく、いつも飲んでいる無糖の缶コーヒー独特の薄い苦味と酸味が、変わることのない日常を表しているような気がした。

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