背後で囁く声 後編

 夜が明けて朝が来る。これは世界の定義であって当たり前の事だ。


 そして部屋に響き渡る電子音が煩いというのも、当たり前の事だ。煩くない目覚し時計など、なにも意味がない。むしろ音量によっては心地よい眠りを与えてしまうかもしれない。


 そして、その煩わしい電子音を止めてる為に身体を動かすという事は意識を睡眠から引きずり出して手を動かさなければ、電子音はひたすらに鳴り続けていく。


 しかし、長年続けられたルーティンは不快なはずの電子音に対してすっかり耐性が付いてしまっていた。だんだん大きくなる音に慌てることなくゆっくりと意識を現実に繋ぎ、目覚まし時計のスイッチを叩くように消すと部屋は静寂を取り戻す。


 また今日も夢を見た気がするが、思い出せない。先日、食堂にて後輩から投げかけられた問い掛けの答えそのままに、夢を見た気がするというのに、それを思い出すことができない。まるで蜃気楼に惑わされる旅人のような、モヤモヤした複雑な感情だけが僕の心に縛り付けられている。


 昨日、オカルト研究部に新しく入ることになった新入生の藍原未央が話していた言葉が、頭の中で蘇る。


『畑中さんは、どんな夢を見ますか?』


 彼女の問い掛けを頭の中で何度も反芻しても、僕の頭の奥で最後に認識している記憶は昨晩安物のベッドに潜り込んだところで終わっている。その後に見たであろう夢の内容は、幾ら頭を捻っても叩いてみても出てくる事はなかった。


 幾ら思い返しても出てくるのはやはり、昨日の記憶だった。


 結局あの後、藍原さんと二人で部室に戻り、憔悴しきった顔の真嗣と、若干満足そうな顔をした邑兎と野々村さんの3人に藍原さんが見たという夢の話をしてみたのだ。


 相も変わらず外宇宙からのお告げだの平行世界からのシンクロニティだの叫び続ける邑兎と話を聞けそうにない真嗣はさておき、大方の予想通り眠りから覚めている時の野々村さんはなんだかんだ言って面倒見がいい。辿々しく言葉を選びながら話をする藍原さんの言葉達を腕を組みながら静かに聞いているようであった。


 そして、野々村可南子が口にした今のところの見解というものは。


『夢というものはね、よ』


 至極簡単なものであった。


 想像もしていなかった答えに僕と藍原さんは同時に目を丸くするが、それすら想定内といったように表情を変えることなく野々村さんは言葉を続けていった。


『人間の脳っていうものはただ一日を過ごしているだけでとてつもないエネルギーを消費するものなの。視覚、嗅覚、触覚、味覚、聴覚といった五感だけじゃなくて、自分自身の思考や行動のフィードバックとか……ありとあらゆる情報がリアルタイムで握り拳程度の臓器に収められていくの』


 荒唐無稽な話が右往左往、縦横無尽に飛び回る邑兎の話とは違って野々村さんの話はとても分かりやすい。しきりに相槌を打つ藍原さんの目は、真剣そのものであった。やはり彼女は聞き上手なのだろう。


 数時間前の僕はそんな彼女に気を良くしてひたすらに話を続けてしまったが、野々村さんはいつもと変わらぬ仏頂面を崩すことはない。それでもその声は、いつも真嗣や邑兎、そして僕に大して放たれるそれよりもいくらか和らいでいるような気がした。


 それを口にすると大抵はロクでもないことになるので、なんとか言葉を飲み込んでいる間にも、野々村さんのレクチャーは続いていく。


『だから情報が入ってこない時、要は寝てる時に余計な情報を切り捨てていく。じゃないと、頭の容量なんてすぐに満タンになってしまうもの』


 野々村さんの艶のある紅く短い髪の毛が窓に差し込む日差しに当たって、その色を一層鮮やかに見せる。彼女の艶のある唇を見ていると、本当に後輩か疑ってしまう程の色気のようなものを感じた。


『場所もね、きっとどこかで見たこの大学によく似た感じに再生されて、起きた後にそう思いこんでるだけなのよ。英単語だけ読んで長文を意訳するように、記憶っていうのは都合よく編集されるの。本来は夢ってモノクロということは知ってた? カラフルな夢は、起きた時に記憶の中で相応しい色を無意識に当てはめているだけ。あなたが思ってるより、人間の脳っていうのは高性能ってことなのよ』


 横道に逸れていく僕の思考をよそに話を続けていた野々村さんは小さく息を吐き、一拍の溜めを作る。藍原さんが聞き上手なら、彼女は話し上手なのだろう。溜めを入れるタイミングといい、話すスピードといい、相手が聞いた言葉を頭の中で処理して理解するまでの時間が分かっているようだった。


 まるで講演や演説でも聞いているようだな、と話を聞きながら漠然と考えているうちに彼女の話は終わりを迎えてる。


『それでも、人間の脳っていうのは現在の科学でも解明できていない事だらけ。非科学的な話だけど、予知や透視といった超能力とかがいい例ね。ここにはそういう資料や話が沢山あるのだから、せっかくこの部活に入ったのだから、調べてみるのはどう?』


 静かに語り終えた野々村さんは、藍原さんをじっと見つめる。二人の年齢はニつぐらいしか離れていないが、藍原さんの見た目がだいぶ幼く見えることもあってそうは思えない。


『だからそれは外宇宙からのメッセージだって言ってるじゃない! ミッチェルフォードで論文が出てるんだって!』


 そして、二人の話が終わったところで声を張り上げる邑兎。正直なところ、この三人の女性たちの中で誰が一番子供っぽいかと問われると確実に邑兎なのだが、やはりそれを口にするととんでもないことになりそうなので、口を噤むのだった。このオカルト研究部には、禁句があまりにも多い。


 藍原さんは机から身を乗り出して騒ぎだした邑兎に困惑した表情を浮かべたが、僕の方を一瞬だけ見た後に野々村さんに向かって首を縦に振った。それを見た彼女はこれ以上何も言うことはないと目蓋を閉じ、ゆっくりと寝息を立て始めた。


 このタイミングで寝るかと心の中でツッコミを入れながら窓の外をちらりと見ると、東の空が微かに薄暗くなり始めていた。4月になったばかりの夜は、春といってもまだまだ肌寒い。もう殆どの部やサークルが勧誘を終えて、片付けを始めていた。


 いつも思うことであるが、こういった催し物が終わりを迎えているこの光景がまるでキャンプファイヤーの炎が消え入るようで、僕にとってはそれがとても寂しくて儚くて、そしてとても美しく感じていた。


 結局のところ今日の新入生勧誘イベントでこのオカルト研究部に参加するどころか、なんらかのアクションを起こしたのは藍原さんだけであった。まぁ、誰も声をかけることなく無情に時が過ぎるのを待つだけであった去年のこのイベントよりは、遥かにマシなのだが。


 その後は藍原さんの夢の話は特に進むことなく有耶無耶になって解散になった。部室棟の階段を降り、大学を敷地を出て各々の帰路に向かっていくのだが、大学の近くに住んでいるのは僕だけなので、それ以外の部員は最寄り駅から電車に乗るので、自ずと皆は駅に向かって歩いていくことになる。


 なので、駅で解散というのがこの部での暗黙の了解の一つである。藍原さんの歓迎会をいつ何処でやろうか、6月にある文化祭でなにをやろうかなどといった他愛のない話をしながら、僕たち5人は赤錆色のインターロッキングブロックで舗装された歩道をのんびりと歩いていった。


 駅のホームに着き、皆が改札に入ろうとした時に、邑兎がなにか考えているような顔をしながら藍原さんに声をかけた。


『折角だからさ、未央ちゃん。自分の夢に関して調べてみなよ。真面目な話、ずっと気になってるんだ。キミの見た夢はお告げみたいで、絶対に何かがある気がするんだ』


 やはり、邑兎はずっとお告げ事件と藍原さんが見た夢が気になっているようだ。おそらくは邑兎の立てた外宇宙の啓示を藍原さんが受け取るところを見たいのだろう。彼女の瞳は冬の澄んだ空に浮かぶ一等星のように煌めいていた。


『どうやら、先輩も手伝ってくれるみたいだし、ね』


『え、俺ェ!? 俺ならいつでもウェルカルだよ藍原ちゃん! なァんでも聞いてよ!』


 無茶振りにも思える邑兎の言葉に過剰に反応するのは、やはりというか僕の後輩だった。


 脱色したとは思えないほどにしなやかな金髪を振り、まるで漫画の見せゴマのようにキメ顔をして藍原さんに向かって右手を前に突き出した変なポーズを取る真嗣を完全に無視し、野々村さんは僕に向かって優しく笑いかける。僕の視界の隅で真嗣がそれこそ漫画のようにズッ転けているのは、先輩の優しさということで見ないことにした。


『あの、畑中さん、よろしく、お願いします!』


 強い風が吹く。何処からか桜の花びらが何枚か風に乗って僕たちの間を通り抜けていった。その柔らかな微笑みを浮かべながらそんな風に言われては、僕は頷くことしかできなかった。


 各々が改札をくぐり抜けて、ホームへと向かっていくのを見届けた僕は来た道を無言で戻り、家に帰り、少し早い夕食を食べた後に身支度を整えてベッドに潜り込んだという訳で。


 やはり、その夜に見た夢を思い出そうとしても、残っているのはやはり胸の痛みと違和感だけだった。肺と心臓の中間に作られた謎の空白に、小さいトゲが刺さっているような感覚に眉をしかめる。


「夢のお告げ、ねぇ」


 覚えていないということは、どうでもいいことだ。記憶を辿るのをやめ、遮光カーテンを開ける。いつものように間抜けなほどにいい天気だ。眩い日差しが、僕の身体を照らしていく。


 何も変わることのない日常が続くからこそ、友人たちと過ごす平穏な日々が続く。当たり前だからこそ、思いついた時には有り難がらないといけない。頭の中で小さく感謝しながら身支度をして、家のドアを開けて外に出る。


 相変わらず太陽の光が優しく大地を照らしている。生命の息吹を感じさせる、この久我の町。その自然に満ちた街並みはいつもと変わらぬ時を刻み続けているし、その街を歩く人々も何も変わらない日々を過ごしていくのだろう。


 そんな中、抜け落ちているであろう記憶に歯の奥に物が挟まったかのような違和感を覚えている。その記憶がどういったものかはわからないが、なんだか胸がとても痛かった。 

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