奇怪な部員達 後編

 真嗣が引き摺られて部室棟に消えてから、僕と藍原さんの二人は長机の手前に置かれた椅子に座りながら次に来るかもしれない入部希望の部員を待ち続けていた。


 ああなってしまえば、三人は新入生を勧誘するという今日の目的を完全に忘れてしまっているだろう。


 少しだけ空を仰ぐと、間抜けな程に青い空が広がっていた。これからも地球が回り続けていく限り、この空はいつまでも青いままでいるのだろう。


 平穏を絵に描いたような風景と昨晩の疲れからか、眼球の奥から睡魔が少しずつ忍び寄ってくる感覚を覚える。徐々に暖かくなってきた春の日差しの下で微睡むのはとても甘美な快感を僕にもたらすのだろう。


 一人でベンチに背中を預けているならば、その誘惑に争うことなく睡魔に降参をして欲望のままに瞳を閉じていたのだが、今は僕のすぐ隣に藍原さんがいる。頭の中で睡魔に掟破りのリバース・ステップオーバー・トーホールド・ウィズ・フェイスロックをぶちかましながら藍原さんと他愛のない話をしていく。


 まだ授業の選択が終わっていないという藍原さんに、英語の上位クラスを選択するのだけはやめておいた方がいいとか第三言語を選択するならば講師がとても優しいスペイン語をオススメするとか、この大学の先輩として少しでも助けになればと思い話を進めていく。


 どうやら藍原さんは聞き上手らしい。時折頷きながら興味深そうにこちらを見つめる彼女の視線は、先程まで微かに含まれていた不安のようなものが和らいでいる様な気がした。少しずつ輝きを増していく彼女の視線に少し気を良くなったのか、いつもより饒舌に喋ってしまっていた。


 聞き上手というのは全く恐ろしいもので、自分だけで喋り続ける気はあまり無かったが、いつしか語りに熱が入っていた。あっという間に正午を告げる鐘の音が構内に響き渡り我に返る。


 それでも楽しげに笑う藍原さんの笑顔に少し安心しながら、持ってきていた鞄に乱雑に突っ込んであったルーズリーフに『只今不在です』とだけ書き殴り、強い風に飛ばされないように適当にその辺の机の上に置く。


 もう昼飯時だ。新人を待つのは、昼食が終わってもいいだろう。


「お昼ご飯にしようよ。もう12時だ。食堂に行くつもりだけど、藍原さんは弁当とかは持ってきて……ないよね?」


「はい、今日は学食で食べようと思ってて。えっと、樋野さん? ……は、いいんですか?」


 どうやら部室棟の奥に消えていった真嗣のことを案じているようだった。僕にとっては日常の光景であったことからあまり考えていなかったけど、冷静に考えてみると確かに異様な光景であることを改めて実感する。


「大丈夫大丈夫、いつものことだから。まだまだ邑兎と野々村さんの話も終わりそうもないし、その内お腹が空いたら降りてくるでしょ、うん」


 藍原さんはそういう問題かなとでも言いたそうな顔をしながら心配そうに部室棟の方向を振り向く。確かに三人が部室棟に消えてから2時間半程度が経過していた。何も知らない人であれば不審に思うのも当然ではある。


 それよりも正直なところ、朝食を食べずにこちらに来た為に胃袋の中身はとうに空っぽだ。何でもいいから中身を補充しろと脳の奥が叫んでいる。


 いいからいいからと藍原さんを椅子から立たせて食堂に歩いていく。メインストリートからだいぶ離れているのが幸いか、僕たちが座っているこの場所から食堂まではそこまで距離がない。普段は人でごった返す食堂であるが、このタイミングならまだなんとか席に座れるだろう。


 案の定、食堂には沢山の人が食事をしていたのだが、空席がまだわずかに存在していた。少しだけ慌てながらその空席に滑り込み、鞄を置いて場所を確保してから四角い盆を持って料理を注文しに行く。


 僕は中華丼を、藍原さんはサバの塩焼き定食を注文する。ようやくオカルト研究部に所属した期待の新人だ。先輩らしくさせてもらおうと財布の中身をこっそり確認する。アルバイトで食いつなぐ苦学生の身ではあるが、学食の安いランチを後輩にご馳走する程度には財布の中身には若干の余裕があったので、会計のタイミングで二人分だと告げる。


「そんな、悪いですよ」


 目を伏せながら遠慮している藍原さんに笑いかける。


「別に気にしないでよ、今日は歓迎も兼ねてって事で、ね。という訳で、少しは先輩っぽいことさせてくれよ」


 僕の声を聞いて、藍原さんは小さく頷く。藍原さんが頼んだサバの塩焼き定食をはじめとしたこの大学の学食の数々は味はそこそこで値段と量は非常に宜しいという、まさに学生向けといった食堂だ。僕と藍原さんの持つお盆に料理が乗せられていく。あまりの量に目を白黒させる藍原さんを見て、僕もはじめて来た時は驚いたものだ。


 席に座り、丼や皿に盛られた料理を食べていく。この量を藍原さんが食べられるのか少し不安になるが、そこは敢えて考えないことにした。


 中華丼の中身が半分ぐらい減った頃、視線を上げると藍原さんの食べていたサバの塩焼き定食はほうれん草のお浸しが入った小鉢と大きなゼリーのカップしか残っていなかった。藍原さんの意外な一面に驚くと同時に、彼女の目を伏せながら何かを考えているような表情が視界に映った。何を考えているのかは見当が付かないが、それが沢山の料理に胃袋が詰め込まれたことによる不快感ではないことだけは分かった。

 

「畑中さん、ちょっと、聞いてくれますか?」 


 勿論だと言いながら頷く。藍原さんの表情は先ほどと変わらず、ずっと言葉を選んでいるというか、躊躇っているような。そんな印象を受けた。


 暫くの沈黙の後にゆっくりと口を開いた藍原さんは、僕に向かって非常に抽象的な問い掛けをぶつけた。


「畑中さんは、夢の内容って信じますか?」 


 吐息と共に小さく呟かれた言葉。想像もしていなかった内容に、少しだけ驚くが、彼女の表情から、それが他愛のない話題ではないことを察する。


「夢……?」 


「……夢です。夢って、本人の無意識の中の願望とか……そういうのが出てくるらしいです」 


 確かに夢という自身の脳の中で行われる不定形のビジョンと思われるものからキーワードを抜き出し。願望などを占う『夢占い』は遥か昔から存在している。例えば、歯が取れる夢は自分や身内の不幸やトラブルを暗示しているなどが該当する。


「願望、か。夢占いとかは聞いたことはあるけれど、それ以上はよくわからないなぁ」


 質問の意図をよくわかっていない僕を真っ直ぐ見つめながら、藍原さんは更に躊躇った様子を見せるが、やがて何かを決意したかのように息を吸い、一気に言葉を吐き出した。


「畑中さんは、どんな夢を見ますか?」 


 吐き出された言葉は僕の意識という名の水面に、小さな小石を落としたように大きく波紋が広がっていく。ただ言葉を聞くだけでは何気ないただの質問。


 それでも、彼女の質問に何か違和感のようなものを感じてしまう。何故その質問にそのような感情を抱いているのかも、わからない。それでも、彼女の視線は真剣そのものであり、僕を試そうとか騙そうというようなものではない事だけはわかっていた。


「夢、か」 


 言葉を口に出し、目を閉じてゆっくりと思考に入っていく。もう机の上に置かれた中華丼や、周りの喧騒のことなど意識の外に追いやっていた。


 夢。僕が見る夢。それは、どんな夢か。軽く記憶を探ってみる。 


 だけど。


 記憶を探って最近見た夢を思い出そうとすると、深い霧に包まれたように霞んでしまった曖昧なものが頭の中を埋め尽くし、鋭く胸に突き刺さる痛みが僕の身体を駆け巡る。どうしてその痛みがもたらされるのか。どうして記憶に霧がかかっているのか。何もわからないことに恐怖心に近い感情を覚えていた。


 軽く額に汗を滲ませた僕を見て、藍原さんは心配そうな顔をしている。先輩として、出会ったばかりの後輩を心配させることなどあってはならない。平静を装いながら汗を拭い、思い出せない記憶をそのまま伝える、それが、今の僕が藍原さんに出来る最善の答えのような気がした。


「僕は、夢を見た気がしないんだよね」 


「見た気が……しない?」 


 藍原さんの眼鏡の奥に光る瞳が微かに揺れている。


「うん。見てるような、見ていたような気がするんだけど……記憶が無いっていうか。なんていうか、覚えることが許可されていないような、そんな感じがするんだ」


 自分でも何を言っているのかよくわからない。説明するのが難しいこの頭の中の感覚を、どうにかして言語化してアウトプットしても、藍原さんに伝わるかどうかすら怪しい。


 それでも、僕が見ている夢の内容、つまり無意識の願望が気になるということは、彼女自身が見たものは一体なんなのだろうか。僕にこんなことを聞いてくるということは、自分自身が見ている夢に何か問題というか、疑問があるのだろう。


「藍原さんはどんな夢を見たのかな?」 


 思い切って聞いてみる。視線を下げて口元に手を当てながら、僕と同じく言葉を探っているとも信じてもらえるかどうか考えているとも捉えられるような複雑な表情をしながら、小さく息を吸って、吐く。


「私は――――」 


 藍原さんは下げていた視線を上げて真っ直ぐに僕を見つめながら、意を決したように先程より少し大きな声で僕に語りかけていく。


「見たことない人が出てくる夢を昔からずっと見ているんです。夢の中の私は、この大学に入学する前から、この学校の何処かにいるその人をずっと、ずっと探していました。こういうのって……何なんでしょうか?」


藍原さんの長い睫毛が小刻みに震えている。


「顔はよくわかりません。でもなんていうか、この学校にいるという確信みたいなものがはっきりと私の中に、あるんです。それがどういうことなのか、わからないんです。私は、その人に、会ってみたいんです』


 話だけ聞くとあまりにも荒唐無稽な話。それでも彼女が言っていることは偽りでないことだけはわかっていた。確かに夢で見た知らない人を探すなんて、完全にオカルトの領域だ。彼女が即断するようにオカルト研究部に入ったのも、恐らくどんな小さくても手掛かりが欲しかったのだろう。


 にわかに信じがたい藍原さんの独白を聞きながら、顎に手をかけながら考える。僕が藍原さんに出来ることといえば彼女の探し物の助力をしてやる事ぐらいだ。知ってか知らずか、変わり者集団と呼ばれている僕たちオカルト研究部に参加する事を決めた以上、先輩として後輩を助けるのは当然のことだ。


 そして偶然か、それとも必然か。邑兎が昨日に言っていた言葉を思い出す。


『ねぇ、お告げ事件って知ってる?』


 夢の中でのお告げによって行われた幾つかの事件と、藍原さんが見ていた何かを示そうとしている夢の内容。何か近いものを感じた僕は、外宇宙からのメッセージだと力説をしていた邑兎はともかく、部員に彼女の夢の話をして意見を聞いてみるのも良いかもしれないと思い、藍原さんに部室棟に行くことを勧める。


 力強く頷く藍原さんに笑顔で応えるが、僕達が座る机の上の中華丼は、悲しいことにすっかり冷め切っていた。

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